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これはセザンヌだな、と嶋野凪は思う。
西武新宿線田無駅から徒歩十分の場所にある某廃ビルの周囲は、昨日発生した事件により規制線が張られ、おかげで路地にはほとんど人影がない。今回のような大規模な事件につきものの報道関係者の姿もなく、上からの統制が充分に効いていることを示している。それでも稀に、路地の向こうから言い争う声が聞こえるのは、そうした統制の効かないフリーのジャーナリストなり動画配信者なりが、警備に当たる制服警官と揉めているのだろう。
そんな、緩慢だがどこかひりついた空気をものともせず、凪は、目のまえのアートを静かに見つめる。
縦は最大で約二メートル。横は約五メートル。複数のカラースプレーを駆使して描かれたそれは、キュビズムを意識した形の取り方といい、明らかに後期ポール・セザンヌの影響を感じさせる。そういえば先週から、上野の都美術館でセザンヌの企画展が始まっている。そして……この作者は間違いなくそれを鑑賞している。
「で、どういった落書きなのです、それは」
凪の隣で、壁に背を向けたまま男が尋ねる。いかにも硬い仕事らしい、かっちりとしたダークグレーのスーツで身を固めた彼は、そのお堅い風貌に見合った硬い話し方をする。
「そうですね、一言で言えば・・・自画像、でしょうか」
「自画像? つまり容疑者が自分で自分の顔を描いていると? ――くそっ、何て野郎だ。悪趣味にもほどがある」
そう吐き捨てる彼の怒りは尤もだと凪は思う。確かにこれは作者の自画像だ。が、常人はこれを目にすることはできない。
いや、厳密には、できる。
ただ、そのためには大いなる代償が伴ってしまう。今の騒ぎも、まさにその代償によるものだ。
「いえ、おそらく彼は、今も自分の力に気づいていません。・・・純粋に、誰かに見つけてもらうためにこれを描いたんです」
「見つけてもらう? どういうことです」
「そのままの意味です」
すると男は、苦い薬でも飲んだような顔をする。
「実を言えば、その、〝力〟とやらの存在が、私は、いまだに信じられません。信頼する先任者の申し送りがなければ、一笑に付していた話です」
これは本心だろう、と凪は思う。確かに、男の立場を踏まえるなら実に妥当な理解だ。男が所属するのは内閣情報調査室。通常は国家の安全保障にかかわる重要情報を集めて回る彼らだが、その中に必ず一人、こうした案件に関わる担当者を定める伝統がある。それが、彼らにとって当たりクジなのかそれともハズレかは凪も知らない。
「仕方がありません。ただでさえ我々の存在は秘匿されています。そうでなくとも、一般常識に照らすなら確かに馬鹿馬鹿しい存在でしょう。・・・が、事実、ここで倒れた十七名の通行人は、偶然このアートを目にしたことで意識を奪われました」
「……で、うち二名が、搬送先の病院で命を落とした。彼らの死因も、そのふざけた力のせいだと?」
呻くように男は吐き捨てる。そんなふざけた力で国民の命が――そう怒鳴りつけたい衝動を辛うじて堪えているのが傍目にもわかる。が、凪に言わせれば、一般的な殺人や傷害の方がよほどふざけている。故意に他者の命や尊厳を奪う暴力行為の方が、よほど。
「とはいえ、自画像が描かれているのなら話は早い。後ほど、近くの商店街やコンビニから提供を受けた防犯カメラの映像をお見せします。そこから、近しい容貌の人間をピックアップして頂きましょう」
「防犯カメラ・・・ああ、すみません。自画像といっても写実的な要素は皆無なんです。なので、この絵をもとに作者を探すのは、少し無理があろうかと」
「どういう意味です」
「ええ・・・例えばピカソは生前、多くの肖像画を描きました。しかし、青の時代のそれならともかく、キュビスム期以降のものはモデルが高度に抽象化され、極端なものとなると、もはや人体として見出すことすら難しい。ここに描かれるアートも、確かに自画像ではあるのですが、一人の人間を構成する要素を、外面、内面もろとも粉々に分解、再構築した抽象画のようです」
「はぁ、ええとつまり・・・?」
「似顔絵としての役割は一切期待できない、とお考えください」
すると男は、あからさまに落胆の色を見せる。ひょっとして期待させてしまったのか、と、凪は少し反省する。
現状、彼らの捜査は難航していると言ってもいい。すでに現場では、警察による鑑識作業が行なわれ、防犯カメラのチェックや近隣住民への聞き込みなどにより、少しずつだが〝犯人像〟が絞られつつある。身長は一八〇センチ強。靴のサイズは二七センチ。ただし体格は不明。というのも、防犯カメラに映る〝犯人〟は、つねにボディラインの出にくいストリート系のファッションで固めているせいだ。なので、厳密には性別すらもはっきりとしない。
おまけにこの〝犯人〟は、ひどく用心深い性格をしている。というのも、人けのない場所や防犯カメラの死角を巧妙に狙ってグラフティを描いているのだ。逆にいえば、そうした事情に明るい地元の人間とも解釈できる。
妙だな、と、凪は思う。
これが普通のグラフティだったとしても、建造物損壊罪に問われれば、五年以下の懲役刑は免れない。一方で、こうした落書きを根拠とした犯人の検挙率は低く、一般にも逮捕、起訴されるイメージは少ない。事実、警察も余程の重要建築物に対する落書き以外には腰を上げないのが現状だ。
にもかかわらず、ここまで周到に監視の目をかいくぐるのはなぜか。
おそらくこのアーティストには、失ってはいけないもう一つの貌がある。失うとまずい社会的な立場が。教師? 公務員? 政治家? ・・・いや違う、このアートが示すのは。
「医者」
「えっ?」
「もしくは、そうですね、医学生。・・・何にせよ、人体に関わる専門職に就くか、それを志す人物でしょう。例えばここ――あ、やっぱり見ないでください。ええと、ここの描写など、血管の造型まで忠実に再現されています。筋肉の構造程度なら、今日日、それを表現できるアーティストは珍しくありません。特別な教育を受けなくとも、インターネット上にそうした描法が出回っていますので・・・しかし、これが血管までとなると難しい」
「それは・・・犯人の?」
「加えてもう一つ。この作者は間違いなく、現在都美術館で開催中のポール・セザンヌ展に足を運んでいます。可能であれば、そちらの来場者もチェックしてみてください」
「セザンヌ・・・ですか。わかりました。あなたが仰るのなら」
さっそく男は懐からスマホを取り出すと、どこかに電話をかけはじめる。気安い口調から察するに、相手は彼の古巣である警視庁公安部らしい。ご苦労なことだ、と凪は思う。たとえ下手人を確保しても、彼らが問えるのはせいぜい通常の建造物損壊罪にすぎない。多くの人間を昏倒さしめ、さらに、死者すら出した件については、少なくとも司法の手で裁かれることは決してない。
そういうことになっているのだ。こればかりは、三権分立の埒外としか言いようがない。〝その力〟が起こした犯罪については一切の罪を問わない。それが、〝力〟の存在そのものを隠匿する国家の方針だ。
電話はなかなか終わらない。そんな男を横目に、凪は目の前のアートに目を戻す。
先にも話したとおり、これは、紛れもなく作者の自画像だ。
一方でこのアーティストは、自分の姿を相手に知られることを恐れてもいる。似顔絵として用をなさないと男に説明したのは、抽象度の高い画風はもちろん、この、割れたガラスの破片を無理やり繋ぎ合わせたような表現のせいでもある。破片の一つひとつに描かれる、作者の肖像の断片は、鑑賞者の理解を求めながら、同時に拒んでもいる。
それでも、一つだけわかることがある。
このアーティストが、表現そのものを心から愛している、ということ。
「君は・・・どこにいるんだい」
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