ギフテッド

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【閲覧注意!】見ただけで死に至る絵  見ただけで死んでしまう絵。そんなものが実在したら、怖いとは思いませんか? 筆者は、ぶっちゃけ怖いです! でもそれ以上に、どんな絵か気になって夜しか眠れないので、その落書きがあるとされる現場に、思い切って突撃してみました(ホラー映画の冒頭かよという)!  まず足を運んだのは、先日、ガス漏れ事故として発表された田無駅近くの路地裏。この路地では二十人近くが倒れ、うち二人が、搬送先の病院で命を落としました。で、その路地なんですが、写真①を見ていただくとわかるとおり、近くにでかい廃ビルが建っているんです。で、その壁なんですが、めちゃくちゃ綺麗なんですよ。落書きなんて一つもない。  実はこれ、おかしいんです。この路地をグーグルマップで見てもらうとわかるんですが(URL添付)、この壁、以前はめちゃくちゃ落書きがされてたんです。それが事件後、なぜか綺麗さっぱり落とされている。  もう一か所、ガス漏れ事故で被害が生じたとされる場所に向かいます。ここは、写真①の現場から二キロほど北にある地下道なんですが、こちらの壁もごく最近、溶剤で汚れを落とした形跡が見られます。同じ壁でもほかの部分は地下水の跡で汚れているのに、この箇所だけ不自然なぐらい綺麗なんです(写真②)。  ちなみに、付近の方に聞き込みをしたところ、これら二つの道路は、ごく最近まで通行禁止の状態が続いていたそうです! 一体これは何を意味するのか。単なる偶然か、それとも、本当に死を呼ぶ絵が描かれていて、それを消すために通行規制が敷かれていたのか―― 「か、い、え、だ、くんっ!」  陽気な声に名を呼ばれ、漣は顔を上げる。先日とは違う女子生徒が、何が楽しいのか上機嫌で漣を見下ろしている。いかにも男好きのするフェミニンな風貌は、愛らしさよりはむしろ、在学中に有望な男を捕まえてやりたいという貪欲な戦略性を感じさせる。 「なに読んでるの?」  何と問われると、いま目の前で開いている神経医学の専門書か、LINEで美海に送りつけられた三文キュレーションサイトのどちらを答えるべきか悩む。が、結局、真面目に答える義務などないことに気付き、「別に」と素っ気ない答えを返す。  そもそもここは大学図書館内の読書コーナーで、フロアは心地よい静寂に包まれている。多くの人間がマナーに従うことで保たれる静寂。それを無遠慮にぶち壊す人間とは、男であれ女であれ言葉を交わす気になれない。  ところが女子生徒は、漣の言外の拒絶を汲み取るどころか、逆に無遠慮に顔を覗き込んでくる。 「・・・何か」 「真っ青だよ、顔。体調大丈夫?」  そして女子生徒は、ほら、と手鏡を突き出してくる。別に体調は悪くないのになと半信半疑で覗き込むと、チアノーゼ気味の男が確かに映っている。 「てか病院行った方がよくない? あ、海江田くんは家で診てもらえるか」 「いや・・・大丈夫」  本を閉じ、足元に置かれたボストンバッグを抱えると、本を元の書架に戻して図書館を出る。最初はついてくるそぶりを見せた女子生徒も、いつの間にか気配は消えていた。漣の突き放すような早足に、さすがにないなと悟ったのだろう。  信濃町駅で下り列車に乗り込むと、そのまままっすぐ自宅を目指す。このままJR線で吉祥寺まで下り、あとはバスで西東京を目指す。それが漣の通学ルートだ。  ――動揺など。  していない。するはずがない。あんな、どこの誰が書いたとも知れない信憑性皆無のゴミ記事にどうして慌てる必要がある。壁の汚れが落とされていたから何だ。警察がガス漏れと発表したのならガス漏れ事故なんだろう。  新宿で乗客が一気に捌けたところで空席を見つけ、素早く確保する。その直後、いかにも足腰が弱そうな老婆が乗り込んできて、漣は慌てて席を立つ。が、急に立ち眩みを覚えてふらつき、逆に老婆に心配される羽目になる。 「いえ、大丈夫です・・・」  半ば強引に席を譲り、少し離れた場所で縋るように吊革を握る。その手がやけにねばついて、ひどい手汗に漣はうんざりする。 「見たら死ぬ絵だって。ヤバいよね」  ふと、隣に立つカップルの会話が耳に入る。 「見たら死ぬ? 何それ」 「いや、だから、見ただけで死んじゃう絵。そういう絵がね、あるんだって実際」  あの三文記事の話か。どうやら例の噂は、結構な規模で拡散しているらしい。 「てか、アート界隈じゃそこそこ有名な話らしいよ。見ただけで狂う絵とか、聴いただけで死ぬ歌とか」 「は、何それウケる」 「いやいやマジだって。ナオミが言ってたもん。ほら、あの子美大に通ってるじゃん? そこで先輩に聞いたって」 「へー、じゃあその先輩ってのは誰に聞いたの。ソースは?」 「あーもう、あんたすぐそうやってソースソース言う! でね、そういう特殊なアーティストのことを、ギフテッド、って呼ぶらしいの」  ――ギフテッド。  一般には特殊な、あるいは過剰な才能を与えられた人間を指す言葉。だが、今の説明に従うなら、作品を通じて死や狂気を振りまく特殊なアーティストを指す単語、ということになりそうだ。  えもいわれない寒気が、ぞっ、と背中を襲う。  あの三文キュレーションサイトで紹介されたのは、いずれも、漣にとってはありすぎるほど見覚えのある場所だった。そしてそれらは、ここ二ヶ月ほど頻発する謎の集団昏倒事件の現場とも、偶然、重なっている・・・そう、偶然だ。漣がそこに立ち寄ると、ほどなく現地でガス漏れ事故が起こり、大量の患者が病院に運ばれてくる。患者は一様に意識を失っており、原因もわからないまま昏睡を続け、最悪の場合は死に至る。  そうした患者が、漣の病院にも十人ほど入院している。付近の病院も合わせるなら、患者は五十人を軽く超えるだろう。  ――一体これは何を意味するのか。単なる偶然か、それとも・・・ 「偶然にきまってる」  自分に言い聞かせるように呟くと、漣は公衆トイレの個室を出て洗面台の前に立つ。薄汚れた鏡に映るのは、オーバーサイズの黒のパーカーと、口元のバンダナで正体を隠した不審な男。だが、この姿こそ本当の自分だと漣は思う。大学のカーテンウォールに映る人畜無害な医学生は、漣に言わせればただの擬装だ。  誰も――友人も、家族でさえ、この姿の漣を知らない。  例えば試験シーズンが終わって、久しぶりに試験勉強から解放された夜。漣は、同科の連中が居酒屋へ打ち上げに繰り出す代わりに、このパーカーを纏って夜の町へと走り出す。そうして、今ここにいる自分と、本当の自分との間にできたズレをどうにか埋め直す。  パーカーのぶんだけ軽くなったドラムバッグには、近所のホームセンターで買い集めたカラースプレー。だが、描き始めの頃こそ何十色と使い分けていたが、ある時、プリンタは赤と黄、青、それから黒の四色で全ての色を表現していることに気付き、漣もそれに倣うようにした。いちいちスプレー缶を持ち変える手間が省けるうえ、こちらの方がより多彩な色を表現できる感があるのだ。何より、荷物が軽く済むのが良い。  トイレの横に停めていた自転車にふたたび跨る。人けのない夜の公園を横切り、さっそく今夜のポイントへ。通りの先に警察官の姿が見え、漣はさりげなく裏路地に入る。ここ最近、見回りの警官が増えている印象がある。マスコミはガス漏れ事故という見解で一致しているが、警察の方では毒ガスによるテロの疑いを捨てていないのだろう。  夜道をさらに自転車で駆けること二十分。三鷹駅の近くまで来たところで漣は自転車を止める。表通りから外れた路地裏の古いブロック壁が今夜の獲物、もといカンバスだ。  場所選びはいつだって真剣勝負だ。人の目が多いと、描いている最中に見つかる恐れがあるし、かといって鑑賞者のいないアートはアートたり得ない。やはり、多少の人通りは必要だ。作者と鑑賞者、その間に生まれる関係性こそがアートをアートたらしめるのだから。  アートが漣の中で完結するものなら、独りでスケッチブックにでも描いていればいい。危険を承知で落書きを続けるのは、誰かに見つけてほしいからだ。実家に恵まれた医学生としての自分じゃない、ただ、絵を描くことが好きなだけの自分を。  ――見ただけで死んじゃう絵。そういう絵がね、あるんだって実際。  スプレーの蓋にかけた手が、ふと止まる。  もし・・・あの噂が事実なら? ここ最近の昏倒事件の原因が、本当に、これまで漣が描いた絵にあるのだとしたら? 「は・・・ははっ」  溜息だか笑声だかわからない声を吐くと、漣は蓋を外し、黒のスプレーを壁に吹き付ける。見たら死ぬ絵? ありえない。常識的に考えて、そんなもの存在するわけがない。落書きの場所がいちいち事故現場と重なるのも、どうせ、ただの偶然だ。そうに違いない。  図案は、すでに頭の中に出来上がっている。授業を受けながら、電車に揺られながら、日々頭の中に湧いては溢れるイメージ。それを、四色のカラースプレーに乗せて黙々と描きつける。  万が一、あの噂が本当だとして。  それでも、描き続けるしかないのだと漣は思う。自分が自分であり続けるために。父のため病院のために机に向かう自分は、所詮、表向きの擬装でしかない。本当の自分はここにいる――  だから。  どうか誰か、見つけてくれ。俺を。
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