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斬れぬもの
完全に日が落ちて市中から人影が消えると、雪治はおりんに見送られながら団子屋へ向かった。店に近づくと傍に人影があり、雪治は一瞬身を隠そうとしたが、よく見るとそれはお夏の母親だった。
雪治が近づけば彼女は無言で家の中へ案内し、父親も加わって3人でお夏の寝ている様子を確認する。まだ苦しむ様子もなく健やかな寝息が聞こえる。3人は行灯の明かりしかない暗がりの中で顔を見合わせる。
「帯状のものだと思うのですが……心当たりは?」
「お夏の帯はこの辺りに……」
「いえ、恐らく男物の」
雪治が昼間に見た遺体から得た情報で尋ねると母親がお夏の着物や帯をしまっているところを案内しようとした。それを制止するように続けた雪治の言葉に、お夏の両親は暗がりでもわかるほど大袈裟に驚いて後退る。
「おおお男物!?」
「お夏がぁ!?」
そこまで驚かなくても、と雪治が目を瞬いたうちに足元の気配が動く。思わず小声でなくなった両親の声で目を覚ましたらしく、お夏が寝ぼけ眼で雪治を見上げる。
「んん?……なんで雪治さんが?」
「昼間にお邪魔した時、お夏さんから妖の気配がしたので……本体を探しにお邪魔しています」
「へぇ……」
年頃の乙女だというのに家に男がいてもお夏はほとんど無反応で、雪治の回答さえ聞いているのかいないのか、そのまま再び眠ろうとした。両親も一緒とはいえ警戒しなさすぎではないか、と雪治は苦笑した。
だが次の瞬間、雪治はハッとして小箱を開ける。両親は何も感じず何も見えずだったが、雪治には小箱の中で妖の気配が膨らんでいるのがわかった。
開けた小箱の中には男物のサイズの平ぐけ帯が入っていた。鳳凰が描かれていて男帯にしては派手だが、上手く使えばかなり洒落ている。鳳凰は翼の先や尾が切れているため、恐らく女物のリメイク品だろう。せっかくの美しい帯だが、黒い靄が集まっているのを見る限り雪治はこのままにしておくことはできない。
「これが……?」
静かに木刀を抜いて構えた雪治に、お夏の母親が端に避けながら尋ねた。父親もまだ半分寝ているお夏を抱えて部屋の隅に移動しながら雪治を見る。
「はい。この帯が本体かと」
「だめ!」
雪治が頷いて帯に斬りかかろうとした時、それを制止するお夏の声が部屋に響いた。父親に抱えられて目が覚めたのか、それほど帯が大事なのか、恐らくその両方なのだろうが、先程よりも明らかに意識のハッキリした声だった。
思わずそちらへ気を取られた雪治の隙をついて、帯は小箱からしゅるりと這い出て宙に浮く。雪治は間合いを取りながら木刀を構え直す。お夏は帯が宙に浮くという可怪しな光景に閉口したようで、今度は制止がかからなかった。
だが。制止がかからなくとも帯と雪治は互いに攻勢に出ず睨み合っていた。雪治が振るう木刀は一般的な打刀の大きさで、そう特段長い物ではないが、この時代の建物の中で、しかも人を巻き込まないように戦うのは些か難題だ。相手が平田ほど弱ければ別なのだが。
団子屋の親子が呼吸も忘れる程の沈黙と緊張の中、先に動いたのは帯の方だった。雪治の腕を封じるために巻き付こうとした帯を躱して、雪治は霊力を纏わせた木刀を横一文字に振るう。しかし、当たったはずのそれは元々が柔らかい物であるが故の帯の柔軟性で受け流されてしまう。
それでも当たった部分の靄は一瞬消え去ったのを見逃さなかった雪治が連撃を繰り出そうと構えた瞬間、消えていた部分に再び靄が集まった。雪治は咄嗟に間合いを取って顔を引きつらせる。
「まさか帯本体を物理的にどうにかしないと再生するってことか……?」
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