呼び止めしは

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呼び止めしは

 仕事を終えた雪治が江戸に降り立つと、辺りはまだ明るく、どう見ても昼間だった。前回も時間が少しズレていたことを思い出し、自分の中で力が強くなっていることを自覚する。この力が強くなるほど人の道を逸れるのだろう。雪治は行き交う人々を眺めて眩しげに目を細めた。  神の加護により不審がられることはないが、やはり髷もなく浪人にしては着物の質が良すぎる雪治は目立つ。雪治が団子屋を通り掛かった瞬間、目敏くそれに気が付いた看板娘のお夏が彼を呼び止めた。  「ちょいとそこのお侍さん!待っとくれ、えっと……そうそう、雪治さん!」  「え?あ、俺ですか?」  雪治は自分が呼ばれていると気付かず素通りしようとしたが、おりんから名前を聞いていたお夏がその名を呼ぶと振り返り、不思議そうに首をかしげた。以前おりんのところへ連れて行ってくれた人だと覚えてはいるものの、雪治には彼女に呼び止められる理由が思い当たらない。まさかまたおりんに何かあったのだろうか。雪治は心配そうに尋ねる。  「何か……?」  「お代いらないからさ、団子食べて行っておくれよ。おりんを助けてくれた礼としてさ!」  雪治の心配に反してお夏は目を輝かせ、雪治の手を引いて通りに面した外の席に座らせた。礼と言いつつ拒否権のない流れに苦笑し、まだ"人ならざるもの"の活動が活発な時間ではないからいいか、と厚意に甘えることとした。  お夏は一度店の奥へ引っ込み、すぐに団子と茶を持って戻る。雪治の横に盆を団子と茶を置きながらあくびを噛み殺すお夏をよく見ると、目の下に少々隈ができている。  「眠れていないんですか」  「あ、すまない。……そうなんだよ、ちょいと夢見が悪くてね」  大丈夫、と笑って他の客の元へ去っていくお夏の後ろ姿を眺めた雪治の目には、僅かに黒い靄が彼女の腹の辺りに纏わりついているように見えた。だが恐らくそれは本体ではない。雪治はどうしたものかと考えながら団子を口に運ぶ。  「うまっ……」  雪治は通りを行き交う人々を眺めながら団子を食べていた。現代の団子とは違って甘さはないが、これはこれで美味いと雪治は舌鼓を打った。暫くは賑やかな江戸の町並みを眩しげに見つめていたが、ついに貰った団子を食べきってしまう。どうやってお夏に憑いている何かの本体を突き止めようかと考えている雪治に、お夏の母親が恐る恐る声をかけた。  「お侍さん、ちょいとお夏を診てやってくれないでしょうか?……最近あの子夢見が悪いみたいで……俺はきっと妖もんの仕業だって思うんです」  彼女は決定的な瞬間を見ていたわけではないが、母親の勘で娘の不調が何か妖に関係するものだろうとわかっていた。娘の友人であるおりんを助けた雪治が妖と戦う者と聞き、さらにその本人が目の前にいるとなれば助けを求めずにはいられない。  「どうか……!」  「ええっ、頭を上げてください!」  娘が助かるなら無礼だと首を斬られてもいい、という覚悟で声をかけた彼女がそのまま平伏しようとするのを雪治が慌てて止めた。着物の質のせいか位が高いと勘違いしていそうな彼女に、雪治は努めて優しく笑いかける。  「お任せください。むしろこちらから頼もうとしていたところです」  「ありがとうございます。ありがとうございます!」  「ただ……娘さんに直接取り憑いてる感じではなくて……何か本体に心当たりはありませんか?」  快諾した雪治に何度も礼を言う彼女に苦笑を浮かべつつ、雪治が心当たりを尋ねた。だが心当たりと言われてもすぐには思い当たらず、悩んだ末に彼女は提案する。  「俺なんかにはとんと検討もつきませんで……よければ家に上がって探してくれませんか」  「皆さんがいいのなら俺にとっては願ってもないことですが……」  雪治が家に上がって探すのが最良であるとは言え、年頃の娘のいる家に上がるのは好ましくない。今後のお夏の結婚話、更には看板娘に虫がついたと勘違いされては店の売上にまで関わる可能性もある。雪治は接客で動き回るお夏に視線を向けて言い淀んだ。  母親としては雪治の言外の心配は確かに気になるところだった。それに今やると勘違いした町行く人に通報されるかも知れない。結局、人気のない時間に誰にも見られないように家に上がり、変な噂が立たないように静かに解決することにし、雪治は一度団子屋を離れた。  
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