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なんとも言えないな……。だけど、嘘をつかれていたとしても、この経験自体はネタとして使えるかもしれない。
そんな打算的な考えもあり、男は不満を呑み込んで首を横に振った。そして、タマゴを割らないように慎重に机に戻して、口を開いた。
「これ、いただけますか?」
そんな彼の言葉に、老婆は口角をさらに吊り上げて笑う。
「あぁ、それならそのタマゴは、今からお前さんのものだ。大切に使うがいいさ」
男はそれじゃあ、とポケットを弄って、財布の中身がほとんど無いことを思い出す。
「あ、あの……お代は……?」
バツの悪そうな顔で尋ねる彼に、老婆はひゃひゃ、とまた声を上げて笑った。
「五百円で十分さね。ここに辿り着けた時点で、資格はあるんだから」
男は財布の中の硬貨を勘定して、なんとか五百円を用意すると、なけなしのそれを老婆に差し出して、これでいいのか? と言いたげに彼女に視線を送った。
「あい、たしかに……」
老婆はそれを確認して懐に仕舞い込むと、小枝のように頼りない指を一つ立て、
「一つだけ忠告しておいてあげよう……。たった一つ、たったの一つだけでいいから、割らないでおくんだよ」
と、愉快そうにしていた時とは比べ物にならない静かな声で言った。
男は生唾を飲み込むと、つい頷いてしまった。
なんだかそうしなくてはいけないような、そんな迫力があった。
「いいことがあるといいねぇ」
ひゃひゃひゃ、と老婆は笑う。
途端に空気が冷えたような気がする。
男が周囲を見回せば、いつの間にか日は落ち切っていた。
彼はお礼の言葉だけ述べると、足早に帰途に就く。
背後では老婆が笑い続けているような気配があったが、最早彼にはそれよりも、この毒々しい色をした軽すぎるタマゴたちと、不意に訪れた寒気の方が気掛かりであった。
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