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男は小説家になりたかった。
だが、彼にはそれ以外の大きな夢もなく、大きな挫折もなく、卒なく人生をこなしてきてしまっていた。
「このままじゃネタがない……」
いっそのことそれをネタにして書いてやろうかと彼は思い、筆を執ったが、話は膨らまず、下らない日常をひたすら原稿に書き綴るだけになってしまった。
人によっては、それで良しとすることもできただろう。だが、彼にはできなかった。
「ネタ……どっかに落ちてたりしないかな。するわけないよな……」
男はトボトボと散歩を繰り返す。その様子を原稿に書いては、ぐしゃぐしゃに用紙を丸めて投げ捨てる、そんな日々を送り続けていた。
諦めて定職に就くのも嫌だったが、親からの仕送りももう無くなっている。
諦めるしかないか。いや、最後にもう一度散歩に行ったら何かあるかもしれない。
彼は一縷の望みをかけて、モヤシだけを入れた腹をさすりながら、ネタを探しに歩いた。
いつもと違う道を、路地を、練り歩く。
だか、何も起こらないまま日が落ちようとして、とうとう目さえも回りそうになる。
もうダメか。
そう諦めかけたところに、声を掛けられた。
「そこのお兄さん、大丈夫かい? 具合が悪いなら……そうさね、少しばかりここで休んでいくがいいよ」
その嗄れた声の主は、ポンチョから枯れ枝のような手を伸ばし、男を手招きした。
ローブで顔が隠されている、明らかに怪しい老婆だった。
そんな老婆が、何も置かれていない布だけが掛けられている机を前に椅子に座って、対面に置かれた椅子に座るよう、自分を呼んでいるのだ。
男は歓喜した。
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