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●●●
雅に告げられた駅で電車を降り、改札から出る。
降りたことのない駅は全く土地勘がなく、どこに進めばいいのか分からず雅に電話をかける。
「雅、駅に着いたよ。
どこに向かえばいい?」
早く会いたくて気が急いてしまう。
電話の向こうは静かだ。
「そのまま正面の道をまっすぐ進んで。
信号があるからそこは右」
案内されるまま歩き出す。
住宅地なのだろうか、駅前ではあるものの店舗も少なく落ち着いた感じだ。
雅はここに住んでいるのだろうか?
「右に曲がってずっとまっすぐでいいの?」
「うん、川の手前の信号に来たら左に曲がって」
川とは少し前に見えるあの橋のことだろうか?だとすると信号はここのことだろう。
「曲がったよ」
「じゃあ、そのまま道なりに」
歩けば歩くほど住宅街に入っていくためこれでいいのかと心配になるけれど、今は信じて歩くしかない。
○○○
駅に向かって歩いていると彼から電話がかかってくる。
「雅、駅に着いたよ。
どこに向かえばいい?」
「そのまま正面の道をまっすぐ進んで。
信号があるからそこは右」
道案内をしながらも彼の声に足が早まる。息を切らさない程度に早足で、それでも急いで駅に向かう。
「右に曲がってずっとまっすぐでいいの?」
「うん、川の手前の信号に来たら左に曲がって」
息を切らしている様子はないから歩いているはずだけど、問われた道の具合からしてかなり歩くのが早いような気がする。
「曲がったよ」
「じゃあ、そのまま道なりに」
曲がったということはもうすぐ会えるだろう。
僕はもう、彼の曲がった道の延長線上にいるのだから。
○○○
「雅?」
驚いた声がしたのはその直後だった。
彼はこんなにも目が良かったのだろうか?気が急いて歩みが早くなる僕の耳に聞こえた声。
道の延長線上に見える人影が走り出す。
ここに来て急に怖気付いてしまいそうになるけれど、彼の言葉を信じて僕も走り出す。
2人の距離がもどかしい。
●●●
「雅?」
思わず呼んでしまった名前。
華奢な体つきはもちろん、あのコートには見覚えがある。
思わず駆け出すと雅らしき人影も走り出す。
2人の距離がもどかしい。
「雅、会いたかった」
「もう会えないと思ってた」
2人の声が重なる。
少し涙ぐんでいるように見える雅をそっと抱きしめてみる。
「向かえに来てくれたの?」
何か話さなくてはと思いそう聞くと肯定するように頷いてくれた。
「道、分かりにくいから」
言い訳するようにボソボソと言う雅が可愛い。
「ありがとう。
助かったよ」
そう言って身体を離し、そっと手を繋ぐと雅も同じように握り返してくれる。
「こっち」
短くそう言って俺の手を引きながら歩き出す。聞きたいことは沢山あるけれど時間ならたっぷりある。今はこの時間を大切にしたいと思い、素直に雅の後に続く。
住宅街であろうこの場所は大晦日は家族団欒のひと時を過ごしている家が多いのだろう。そこそこ遅い時間ではあるものの、どの家も電気が付いているのが印象的だ。
「こんな時間に来て大丈夫だった?」
雅がそっと聞いてくる。
「大丈夫も何も、1人で呑んでただけだから」
「そっか」
「雅は?」
「僕も」
沈黙は怖くなかった。
雅が今隣にいる、それだけで安心できた。だって、もう2度とこの手を離す気は無いのだから。
○○○
「雅が飲んでるなんて、珍しいね」
「ノンアルコールだけどね」
彼の質問に答える。
多少酔っている気はするけれど、あれはノンアルコールだから気のせいだろう。
彼の手を引き歩き続ける。
もうすぐ僕の家だ。
住宅街の中を進む僕のことが不思議なのか、時折キョロキョロしているけれど特に何も聞いてくることはない。
「まだ歩く?」
「もうすぐそこ」
同じ距離でも1人で歩くのと2人で歩くのではかかる時間が全く違うように感じるから不思議だ。
「ここだから、入って」
やがて辿り着いた一軒の建物。
外観だけなら事務所にしか見えないそこに戸惑いを見せた彼だけど、僕が鍵を開けて中に入ると同じように入ってくる。彼が入ったのを確認してそっとチェーンを掛ける。
「ここは?」
「僕の仕事場兼、住居」
そう言って奥に通すと仕事部屋との違いにまた目を丸くする。
「ここにいたんだ」
怒るわけでもなく、かと言って喜ぶわけでもない。彼は今、どんな気持ちなのだろう。
●●●
「ここだから、入って」
雅に案内されて辿り着いた先にあったのは事務所のような建物だった。
騙されているのかと思ったものの、鍵を使って中に入っていくのだから間違いではないのだろう。
俺が中に入るとチェーンを掛けたことが気になったけれど…雅に閉じ込めなれるならば願ってもないことだ。
「ここは?」
それでも自分の知る雅とはかけ離れたイメージの部屋についキョロキョロしてしまう。
「僕の仕事場兼、住居」
そう言って奥に通された時に驚きと共に納得してしまった。
「ここにいたんだ」
なんと言うか、雅らしい部屋。
自分が雅をイメージする時に思い浮かぶ温かい、包み込まれるような感覚。
「入れてくれてありがとう」
雅の深い部分に触れているような気がした。
ここは雅の拠り所。
奪い去ってはいけない聖域なのかもしれない。
「仕事って言ってここに通ってたの?」
責めるようにならないよう聞いてみる。
「うん。
ちゃんと仕事してたよ?」
全然怒ってなんかないのに焦る雅が可愛くてどさくさに紛れて抱きしめてみる。
まだコートも着たままだし、うがい手洗いをしないままだなんて普段なら怒られてるところだ。
「怒ってないよ。
ここが雅の居場所なんだね」
俺の言葉に雅が少し考え込む。
「そうだけど…たぶんそうじゃない。
ちゃんと話、しようか」
そう言われ〈まずはうがい手洗い〉と洗面所に案内された。やっぱり雅は雅だ。
先に雅がうがい手洗いをし、その間に何やらゴソゴソとしているかと思ったらテーブルの上にはつまみと飲み物が用意されていた。
「あれ?
雅、ビール飲んだっけ?」
「これは友達用」
ビールを飲む友達に嫉妬しそうになるけれど必死にその感情を抑え込む。男なのか女なのか、どちらにしても自分以外の人間がここに入ったのが気に入らない。
「雅は何飲んでたの?」
そう聞くと缶に入ったワインを見せられた。
「ノンアルコールだけどね」
そう言って見せてくれたけれど、それはれっきとしたワインだ。
「雅、それ普通にワインだと思うよ?」
俺の言葉に缶を確かめた雅が目を見開く。
「ノンアルコールだと思ってた。
どおりで頭がふわふわするはずだね」
困ったように笑う笑顔が可愛い。
「呑んでなかったら電話、出なかった?」
恐る恐る聞いてみる。
「かもしれない」
その答えにワインに感謝するしかなかった。
偶然の積み重ねだ。
雅がノンアルコールだと勘違いしてワインを買ったこと。
それを大晦日に呑んだこと。
俺が我慢できずに電話をしたこと。
着信拒否されていないことに気付いたこと。
都合がいいと言われても世の中なんて所詮そんなものだろう。
縁があれば条件が揃うし、条件が揃っても縁がなければ繋がらない。
そんなものなのだ。
○○○
彼がうがいと手洗いをしている間につまみを追加する。
あざといかと思いながらも彼の好きな煮しめも出しておく。
飲み物は…直輝が置いて行ったビールがまだあったはずだ。
「あれ?
雅、ビール飲んだっけ?」
彼の声が不審そうなのは気のせいだろうか?
「これは友達用」
そう伝えるけれど、何か悪いことをしてしまった気分になる。
「雅は何飲んでたの?」
そう聞かれ気のせいだったのかと思いさっきまで飲んでいたのと同じノンアルコールのワインを取り出す。
「ノンアルコールだけどね」
そう言った僕に彼が告げた衝撃の言葉。
「雅、それ普通にワインだと思うよ?」
その言葉に確認するとちゃんと缶に〈アルコール飲料〉と書いてあった。ワイン=瓶だと思っていたから缶のワインはノンアルコールだと思ってた。
「ノンアルコールだと思ってた。
どおりで頭がふわふわするはずだね」
思わず笑ってしまった。
「呑んでなかったら電話、出なかった?」
彼に聞かれて即答してしまった。
「かもしれない」
偶然の積み重ねだったのだろう。
僕がノンアルコールだと勘違いしてワインを買ったこと。
それを大晦日に呑んだこと。
彼が僕に電話してきてくれたこと。
こんなにも面倒臭い僕なのに見捨てずにいてくれたこと。
都合がいいと言われても世の中なんて所詮そんなものだろう。
縁があれば条件が揃うし、条件が揃っても縁がなければ繋がらない。
そんなものなのだ。
●●●
「とりあえず座ろうか」
雅に促されてソファーに座る。
俺の左手と雅の右手が触れる定位置。
歩く時も当然この位置で、逆になると手が気持ち悪いと雅が嫌がるのだ。
「先ずはごめん。
俺が見栄を張ったせいで雅を傷付けたこと、傷付いてることに気付いてあげられなかったこと」
手を繋ぎたかったけれど、一度触れて仕舞えば抑えが効かなくなりそうで我慢する。先ずはちゃんと話をするべきだ。
俺は仕事の事、弟のしでかした事、自分が雅にしてきた事への理由を改めて隠す事なく話した。
急に仕事が忙しくなった事。
元々忙しい仕事だったけれど、付き合っている時は雅に会いたくてなんとかやりくりしていた事。
一緒に住むようになって雅が家にいると思うだけで頑張れた事。
それでも疲れた自分を見せたくなくて弟の部屋を都合よく使ったせいでこんな騒動になった事。
家族写真を見せる事で誤解は少し解けたけれど、まだ弱いだろう。
「休み中に実家に行く?」
俺の言葉に雅が固まる。
当然のリアクションだろう。
「飲んでいい?」
雅が考える時間を作るためにも了承をとってからビールを開ける。
雅にとっては突然の申し出だろうけど、俺にしてみれば以前から考えていた事だ。
どんな返事が返ってきたとしても雅の手を離すつもりはない。
○○○
彼をソファーに促し自分もその隣に座る。久しぶりの定位置に気恥ずかしさもあるけれど、それ以上に〈僕の場所〉が戻ってきたことに嬉しくなってしまう。
「先ずはごめん」
そんな言葉で始まった彼の告白。
聞かされてみれば合点の行く話ばかりで彼の不器用さと、自分の無駄な我慢強さに頭が痛くなる。
止めは彼に見せられた家族写真。
そこに写っていたのは紛れもなく〈あの子〉だった。
こんな家族写真がスマホに保存してあるくらいだから家族仲も良いのだろう。(後に〈こんな時のために〉とわざわざ家族写真を送ってもらったのだと聞かされてちょっと笑うのだけど)
そして次に告げられた言葉で僕の動きは止まってしまった。
「休み中に実家に行く?」
彼は何を言い出すのだろう?
「飲んでいい?」
その言葉に条件反射で頷く。
実家に行くと言うことは彼の家族に合うと言うことで、彼は僕をなんと言って家族に合わせるつもりなのだろう。
僕にとって〈家族〉は失ったものでしかない。
大学生の頃に交際相手とトラブルになった事がきっかけで実家とは疎遠になったままで、この先お互いに連絡を取ることもないだろう。実家の住所や電話番号は覚えているけれどこちらからコンタクトを取る気はないし、実家からは僕に連絡を取る術など無いはずだ。
小説家になると決めた時に全て捨て去った縁だった。
そうだ、僕はまだ仕事の事だって彼に話してないのだ。
「あのさ、その前に僕の話も聞いてくれる?」
お酒の力を借りてでも全て話そうと、僕はグラスにワインを注いだ。
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