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「こら、そこ、暗いぞ!」
ハスキーな声がして、平岩は首の後ろからぎゅっと腕を回された。驚いて振り返ると、三山の笑顔があった。右手を平岩の首に絡ませ、左手で山田の首を抱きすくめている。
三山はボブカットで、もし化粧をすればOLの中では上位の美人になりそうな顔立ちだが、メイクには全く興味がない。生まれたままの、素顔だ。身体はフィールドワークが多いため引き締まっており、ひょっとして、一日中ラボに引きこもっている平岩や山田よりもタフネスがあるのかもしれない。
「君たちが必要とした古生物の3次元写真や、DNAは、誰が採ってきたと思ってるんじゃい」
ぐんぐんと首に回した腕に力がこもる。
「そりゃ、三山様ですよ」
山田が腕を払いのけながら、仏像でも拝む形で言った。
「中国の炭層から、ピグアナのほぼ完全なミイラを発見してきてくれたおかげですって」
「そう、ワシは偉いのじゃ」
三山は一つうなずき、再び山田の首筋を狙った。
三山に深い借りがあるのは、平岩も同様だ。三山が完全なDNAを持ってきてくれたおかげで、ゲノム編集や胚操作といった技術を駆使して、組織細胞や神経細胞を作ることができた。今回の論文のMVPは、実は三山なのだ。
「平岩君、山田君、三山君、博士号取得おめでとう。我が研究室から3人も同時に学位を取れた年は初めてだ。ポストが埋まっていて、私の研究室の助教にはなれなかったが、新天地で、今後とも、励むように」
考古学研究室の教授が、労いの言葉をかけた。63歳。もうすぐ引退という年に、最後の教え子たちが快挙を達成したことに、喜びを隠せないようだ。
白髪の教授が、再び乾杯の音頭をとる。他の研究室からの学位取得者たちが、一斉にワインのグラスを掲げた。
「おい平岩、今のうちに三山のところに行ってやれよ。俺は応援しているから、がんばれよ」
山田が平岩の耳元でささやいた。気の利く奴だ。
「三山、ちょっと」
平岩は三山の日焼けした手を握った。
「うん」
三山はうなずく。
平岩は三山とともに、テーブルの末席に向かった。皆、壇上で騒いでいる。出入口付近の席には人気はない。
「告白の答え、聞きたいんだけど」
平岩は1年前、三山に愛を告白した。研究室にこもっている自分に比べ、フィールドワークで海外を駆け巡る三山に憧れと、結果が出なくとも苦労話を明るく話す人柄に魅かれたのだ。この人と一緒に研究をすれば、楽しいだろう。家庭を持てば、ずっと楽しいと思う。
「ごめんね。私も平岩君、好きよ。だけど、今は研究で飛び回っている時間が、最高に生きてるなって感じがするの。だから、1年も待たせて悪いんだけど、答えはまだ、保留で」
「そうか、三山らしいな」
断られる覚悟でいたが、実際に言われてみると、衝撃がある。平岩は平静を装った。
「一応、指輪は買っておいたんだけどな」
平岩は、前もって用意していた小さな宝石箱を開けた。大小二つのリングが光る。
「チタン製なんて、平岩君らしいね」
三山は面白そうに指輪の表面を撫でた。
「決めた。ちょっと厚かましいとは思うけど、指輪は受けとっておく。平岩君が好きなことには変わりがない。何年かしたら、気持ちが変わるかもしれないしね。こんど会うときの目印にしましょ」
三山は指輪をひょい、と取り笑顔を浮かべながら薬指にはめた。
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