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私は昔からよく振られる。
サッカー部のエースストライカーの大雲くんも、野球部のピッチャーの上田くんも、ボクシング部の原口くんも、そしてそして、陸上部の新里くんも、最初は私を可愛がってくれるのだ。
しかし告白すると確実に振られる。
「なんか、小動物? っていうか妹みたいなものだから」
みたいな台詞で!
そして今日もまた私は振られた。
だが、今日の振られ文句はちょっといつもとは違った。
星野先輩は私にこう言った。
「好きな人がいるから。その人を悲しませたくないから、ごめんな」と。
星野先輩とは、私が所属する天文部の一個上の先輩だ。
天文部で星野。星の王子さま、とあだ名をつけられている星野先輩は、そのあだ名をいつも恥ずかしそうに否定するような、謙虚で物静かな人だ。
これまで私が好きになったタイプとは真逆といっていい。
全然イケメンじゃないし、平凡を絵に描いたようなそんな人だ。
でも、優しい。
星野先輩は、陸上部の新里くんに振られて泣いていた私に気づき、こう言ってくれたのだ。
「人生いろいろあるから、雨降りな日もある」。
ポエマーか?と最初は思った。しかもその言葉と一緒に差し出されたのが、ハンカチではなくなぜかチョコレート。
ダースのイチゴ味のやつだった。
「なんで、チョコ……」
ずるずる鼻をすすりながら言う私に、先輩はふんわりとした笑顔で言った。
「河野さんは食べてるときいつも笑顔だから」
この瞬間、私は恋に落ちてしまった。
新里くんに振られた直後だったのに。
冴えなくて全然タイプじゃなかったのに。
私は前よりも天文部の活動に参加するようになった。といっても、部室に集まっておしゃべりしたり、宿題したりくらいしかしていなかったんだけど。
そんな緩やかな部室の中で、星野先輩は決まって窓際の席で本を読んでいた。
三国志とか、燃えよ剣とか。見た目のおっとりさとは違って男の子っぽいものが好きなんだなあと思ったら、それもなんだかときめいた。
いつもだったら「好き!」と思ったらすぐ告白する。
けれど、星野先輩にはそれができなかった。
なぜなら、星野先輩には彼女がいたから。同じ学年で同じ天文部の天野美鈴先輩という。
天野先輩は星野先輩と同様、物静かでいつもひっそり微笑んでいるような人だった。
ただ星野先輩と違うのは、天野先輩はとっても目立つ人だったというところ。
天野先輩はとても綺麗なのだ。背もすらりと高くて、腕も足もすんなりと長くて細くて。肌もきめ細かくて。少し茶色がかった柔らかそうな長い髪をそっと肩に払う仕草は十代に見えないくらい大人っぽくて、見ているだけでため息が出てしまう。
しかも頭も良かった。常に学年トップの成績を収めていることを後輩の私ですら知っていた。
そんな二人が付き合っていることを知っているのは、多分私だけだろう。
彼らから打ち明けられたわけじゃない。
ただ、見てしまったのだ。
二人がキスしていたところを。
その瞬間、私の失恋は決定した。
先輩の細い目、私を見るときますます細くなる目。もっと近くで見たかったのに。
宿題を見てくれるときの低い声、いつもどきどきしてたのに。
・・・・まだ、なにも言ってなかったのに。
二人が付き合っているのを知った翌日、私は部室へ行かなかった。
行けなかった。行かずにまっすぐ図書室へ向かった。
いつもみたいに私を振った相手の嫌いなところをノート一杯に書き連ねて忘れようと思ったからだ。
でも、マジックで書こうと思ったタイトル、「星野先輩の嫌いなところ全集」は、「星」の「日」部分を書いて止まってしまった。
どうしても書けなかった。
それでも必死の思いで「星野先輩の嫌」までは書けた。けれどそこから先、どうしてもペンが動かない。
そのときだった。
「河野さんは、正文が好きなのね」
さらりとした引っ掛かりのない声がすぐ脇から聞こえ、私ははっとして声の主を見た。
天野先輩がすぐ隣に座っていた。
驚き過ぎて口をぱくぱくしている私に、天野先輩はいつもの少し寂しそうな笑みを浮かべてから言った。
「告白、すればいいのに」
「どういう、意味ですか」
最初は意味がわからなかった。次に浮かんできたのは真っ赤な怒りだった。
「私が告白したってどうせ振られる、そういう意味ですか? 自分が星野先輩の一番だって自信があるからそんなこと言うんですか?」
叫んだ私の手がふいに取られる。ぎょっとした私の手を引っ張って座らせたのは天野先輩だった。
「図書室だから」
腹立たしかった。大好きな星野先輩の彼女にこんな諫められ方をするのが。
苛立ちにまみれたまま手元のノートと筆記用具を鞄に投げ込む私の横で、ぼそり、と天野先輩が呟いた。
「自信なんてない。だって先に告白したのは私のほうだもの。正文は幼馴染だった私を突き放さなかっただけ」
消え入りそうな声に私の手が止まる。天野先輩を見下ろすと、先輩は長い睫毛を下ろしたまま、言葉を紡いだ。
「でもね、もうすぐそれも終わる。私、転校するの。引っ越し先は海の向こう。さすがにそんな遠距離、私も正文も耐えられない」
「そんなこと……」
言いかけて私は自分に驚いた。
そんなことない? なんでそんなことをこの人に言おうとしているのだ。この人は私の好きな人の彼女なのに、なんで。
自分自身の感情に戸惑っている私を天野先輩は見上げ、やっぱり悲しそうに唇の端を上げた。
「嫌なこと言ってごめんね。全部、自分のためなんだ。正文に彼女ができれば、私自身が吹っ切れる気がして。あっちに行って正文を思い出して泣かないで済む、気がして」
天野先輩の声が途中で途切れる。先輩の大きな目から落ちた雫が長い睫毛の先を伝い、つうっと落ちた。
透明な雫が、図書室の窓から差し込む夕日に照らされ、金色に輝くのを私は呆然と見つめていた。
勝手なことを言われている、とも思った。
でも静かに涙を零す天野先輩を見つめながら、私は気がついてもいた。
私は星野先輩が好きだけど、天野先輩のことだってとても好きなんだ、ということを。
星野先輩への好きとはそれは違うけれど、それでもこの人がこんなに悲しむ姿を私は見たくなかった。
だから。
「後悔しても知りませんからね」
そう言うと、天野先輩は涙に濡れた目で私を見上げた。
その姿は周囲から憧れの視線を一心に向けられている才女ではなかった。
私と同じ、恋をする一人の女の子だった。
私のライバルだった。
天野先輩と別れ、その足で私は部室に向かい、星野先輩に告白した。
結果は、惨敗。
「好きな人がいるから。その人を悲しませたくないから、ごめんな」。
そう言われた。
だからこう返してやった。
「私を振ったんだから、その好きな人、絶対大事にしなきゃだめですよ!」と。
こういうの当て馬っていうのかもしれない、と思ったけれど、意外なほど心はすっきりしていた。
だって私じゃ、天野先輩みたいな綺麗な涙は流せない。
それがわかってしまったから。
橙に染まる図書室の窓際で、私は鞄からノートを取り出す。
そして途中書きになっていたタイトルの続きを、黒々と太いマジックで書いた。
「星野先輩の嫌いなところ全集」と。
少し、目の前がぼやけた。
でも、平気。
このノートを書き終わるころにはきっと、星野先輩なんて好きでもなんでもなくなっている。
大雲くんや、上田くん、新里くんがそうだったみたいに。
大丈夫。
そう念じ、私は「星野先輩の嫌いなところ全集」の表紙を開いた。
真っ白なノートにボールペンを当てる。
そしてこう書いた。
「まっすぐで誠実なところが大嫌い」と。
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