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もし、本当に妖精がおれから何かを奪ったのだとしたら、時間を奪われたのだろう。
そもそも、一緒に遊んだ子供からして妙だった。山の中でずっと裸足だった。子供と話したことははっきり覚えているのに、その顔は思い出せない。思い出そうとすると、なぜかぼんやりと曖昧になってしまう。
山で子供と遊んだことを親にも話したが、「よそもの」のおれと遊んだ覚えのある当時の村の子供はいないとのことだった。
親はおれを不気味なものでも見るように見た。おれの一挙手一投足にどぎまぎしている様子で、遠慮がちに追ってくる視線が嫌だった。
弟は気軽におれに話しかけてきたが、兄ではなくかわいそうな子供に対する優しさのように感じてしまい、勝手に傷ついた。
おれは高校入学を期に一人で暮らしはじめた。
実際の年は三十歳をいくつか過ぎているらしいが、夜間の高校に通っている。
――ここに来た人には一応声をかけてるんだよ。とくに……あんたみたいな子供には。
駄菓子屋の店主には、おれが犯人じゃないよな、と冗談で言えるくらいの子供に見えるということだ。
目の縁に水が溜まって目の前が曇ってきた。
いつものことだ。現実に薄い膜が張る。山から帰ってきてからずっと……。
耐えがたくなった時にナイフをふるう。ただ、ナイフをふるうだけだ。膜を破るために。
今日は、弟の結婚式の日だった。
式に出るつもりでスーツを用意してはいた。が、結局、断って、逃げるようにここへ来た。
自分の前から他の人間たちが早巻きで通り過ぎていき、一人だけ取り残されてしまう気がして怖かった。
山をふり返る。
空は高く青い。萌葱色のなだらかな山がしんと静かにそこにある。
あの奇妙な男の誘いに乗るべきだったか、と今更ながら迷う。
家へ戻るつもりが、気づけば引き返していた。
山へ向かう。
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