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お兄さんとコーヒー
おばあちゃんと話している間とても静かだったひったくりの男は、回復したのか、立ち上がりそうな動きをし始めている。
お兄さんがやおら男の横に立ち、背中をポンポンと叩きながら
「大丈夫か。抵抗せんとは思うけど、逃げようとしても無駄やで」
と優しい口調で声をかけている。
口調は優しいのに言っていることは全然優しくないと思ったが、そのとおりなので黙っておく。
男は、はぁぁとゆっくり息を吐いて立ち上がると、姿勢を正し、私たちを正面から見据えた。
男の双眸から反撃してこないことは一目瞭然だが、万が一もある。私はおばあちゃんを背に隠し身構えた。
「バックをひったくって申し訳ありませんでした」
勢いよく90度に頭を下げ、謝罪する男。
まさか謝罪するとは誰も思っておらず、少しの間、沈黙が流れた。
「今さら謝られても……。警察は呼ばせてもらいます」
「はい。分かってます。僕がきちんと謝りたかっただけです。本当に申し訳ありませんでした」
「……何でこないなことしたん?」
「……どうしてもお金が必要で。……本当に申し訳ありませんでした」
震えながら、それでもきちんとおばあちゃんの目を見ながら話すこの男にも何か事情があるのだろう。
そう思わせるほど、とても真摯な態度で謝罪を繰り返している。
苦しそうな表情の男は、何か言おうと口を開くも、結局何も言わずに下唇を噛み俯いた。
それにより再度流れる沈黙。
ふとお兄さんを見ると、お兄さんは少し距離を取って誰かと電話で話していた。
電話が終わり、私たちのほうへ来るなり、
「立ち話もなんですから、よかったらうちの店で少しお話ししませんか。警察の方が来る間だけでも。美味しいコーヒーを淹れますので」
柔らかい口調で話すお兄さんの提案に異議を唱える者は誰もいなかった。
そして、お兄さんが扉を開けたのは、私の目的地である革小物専門店だった。
◇◇
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