scene 13

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scene 13

d1fc30ec-bffc-416b-95bb-a5a71dbaf1e7  魔宮遊太と「私」こと、石動台門が〔おたま食堂〕に着いた時、桃井かおりそっくりの女亭主は、いささか狭いが、機能的に設計された厨房の中でランチの仕込みに勤しんでいた。髪型は『サザエさん』の主人公風にまとめられており、糊の利いた愛用の割烹着は、飲食店に相応しい清潔感を醸している。その姿はとして、完全に独立、成立していた。  本名、谷川玉子。布袋商店街を代表する名物女将である。しかし、さしもの玉子も、予期せぬ来訪者(無論私のことである)の出現に多少驚いた様子であった。  私は湧水ボトルを渡しざまに去るつもりだったが、そうはならなかった。玉子が「一人も二人も同じですから…」などと云いながら、私のために食事の支度を調えてしまったからである。さすがは本職の調理者(プロフェッショナル)と云うべきか。断る間さえも与えぬ練達の早業であった。  膳の上には、炊き立ての飯といっしょに、和風オムレツ、紅鮭のおろし和え、きのことわかめの味噌汁の三品が載っていた。困ったことに、。これらの誘惑に打ち勝てるほど、石動台門の精神力は強くはない。  そのようなわけで、私は魔宮遊太と並んで、朝餉をしたためることになった。遊太は若い。ゆえによく食べる。食べっぷりに品があるのは、生来のものか、芝居の一種なのかは、私にはわからない。ともあれ、彼の演劇活動を支える重要なエネルギー源のひとつに接したことは確かである。この美青年は、毎日のごとく、ここで朝飯を食べているのだろうか。まったく羨ましいことだ。   玉子と遊太。二人の仲は「雇い主とアルバイト」の関係を超えているような気もする。まさか二人は…いや、これ以上は、下種の勘繰りになる。控えておこう。  食後の茶を飲み終えた私は、礼を述べ、財布から抜き取った中級紙幣を、ほとんど無理矢理に玉子に手渡した。堅気の衆に借りを作ることは、なるべく避けなくてはならない。闇社会(ダークサイド)に生きる者にも、最低限のルールがあるのだ。それすらも守れぬ者を私たちの世界では「外道」と呼ぶ。  外道の烙印をおされた者は、忌み嫌われ、居場所を失う。誰にも相手にされず、遅かれ早かれ、野垂れ死ぬ運命である。唯一の生き残り策は、外道同士でかたまることだが、長続きはしない。仲間割れを起こし、自滅する例が多い。  私は〔おたま食堂〕を出て、手作りパンの店〔へっどらいと〕へ足を進めた。でき立て、焼き立てのパンたちが、陳列棚を贅沢に埋めていた。私は好みの商品をトレイに載せ、最盛期の「ジャン・ギャバンそっくり」の亭主に代金を払った。
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