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scene 9
明け方に夢を見た。初めてではない。同種のものを私は幾度も見ている。通常の夢とはまったく異なる「激烈な迫真力」を帯びた夢だ。私はこれを「リアル夢」と勝手に呼んでいる。今回のそれは「エド暗黒街一の伊達男、長谷川豹馬(そっくり…だが、おそらく別人)と白刃で斬り合う」という内容であった。
覚醒後、私は枕辺に置いている帳面を開き、リアル夢の要点を書きつける。夢の記録。好奇心に任せてやり始めたものだが、今ではすっかり習慣化している。
私が一番好きな土曜日の朝である。布団を出て、洗面所に入った。早速『妖怪御殿の攻防』の続きに没頭したいところだが、昨夜は食べ過ぎた。少しは体を動かしておくべきだろう。朝食は布袋商店街の喫茶店でしたためるつもりだ。戸締りを確かめ、身支度を整えた。出かける前に電話の電源を「ON」にし、着信の有無を確認した。私が寝ている間にかけてきた者は「ゼロ」であった。
玄関の鍵をかけてから、自室を離れた。雨除け付きの階段を下り、アパート近傍の〔なまず公園〕の方向へ歩き始めた。頭上に春の青空が展開していた。
住宅街を抜けて、坂道をおりると、陽光を浴びて、キラキラと光る〔なまず池〕の水面が見えた。私は池の周辺を囲む形で設けられている遊歩道を自分のペースで歩いた。後方に接近者の気配を感じたが、そのまま歩行を続けた。
私の傍をランナースタイルの男が軽快に通過してゆく。その際、精悍な横顔を視認した。おたま食堂で見かけるアルバイトの青年であった。名前は魔宮遊太と云ったか。職業は舞台俳優。もっとも、それだけで生活費を稼ぐのは難しいらしい。暮らしを成立させるためには、複数の副業をこなさなければならない。おたま食堂の皿洗い(兼会計係)もそのひとつというわけ。
演劇活動に青春の全てを注ぎ込むかのような魔宮遊太の情熱に、さしもの私も賛嘆を覚えぬでもない。だが、同時に、芝居とは、又、役者とはそんなにも面白く、魅力的なものなのだろうか?という疑問も覚えるのだった。
魔宮遊太としては、現在の状態を「修業期間」「雌伏の時」と捉えているのかも知れない。板の上で度胸と技術を磨き、確かな演技力を武器にして、いずれはテレビ、映画界へ進出する。そんな野心を燃やしているのだろうか。しかし、少年の面影を残す容貌からは、若狼や若虎めいた貪婪なぎらつきはほとんど感じ取れない。魔宮はやはり「純粋に芝居を楽しんでいる…」のではないかと考える。まあ、一度も彼の舞台を鑑賞したことがない私の意見である。見当違いの可能性が高い。
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