大昔の嗜好品

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「なあマスター、大昔に、タマゴっていう嗜好品があったらしいぞ」  薄暗い照明の下、男が緑色とも青色とも言えない飲み物を傾けながら、カウンターの向こうに話し掛ける。 「嗜好品ですか」  男の真向かいでグラスを磨きながら、「どうぞ」と棒付きキャンディを差し出す。  男は棒付きキャンディを一度くわえ、それを小さな皿の上に置く。 「このキャンディだって、昔は煙が出たらしいからな」  灯りの下で鈍く光るキャンディを指差しながら、男はマスターに言う。「本当ですか?」  マスターは訝しげな表情で苦笑する。 「本当だとも。そいつはタバコと呼ばれていたみたいなんだ」 「タバコ……ですか」 「ああ、タバコ。同じく大昔の嗜好品」  男はグラスを傾け、それを空にする。 「もう一杯、同じものを」  マスターは小さく頷く。  液体をシェイカーに入れながら、 「最初に言っていたのは、なんでしたっけ?」 「タマゴのことか?」 「はい」  マスターは返事をし、「どうぞ」と男の前に飲み物を滑らせる。 「タマゴというものも、煙が出たのでしょうか」  男は今度はちびりとグラスを口につけ、 「いや、タマゴというものはどうやら食べ物だったらしい。でも、名前が似ているし、もしかしたら似たようなものだったのかもしれないな」  そう言って、キャンディーを口に運んだ。 「どうしてタバコもタマゴも、今はないのでしょうね」  マスターが言う。 「さあな」  男はキャンディー棒を数回上下させた後、それを小皿に戻した。 「所詮は嗜好品。なくても良いものだから、なくなったんだろう」 「まあ、それはそうですね」  そう言うと、マスターは白くて丸いものを手に取り、ボウルの中でそれを片手できれいに割った。 「おっ、今日も作ってくれるのかい?」  男は目を輝かせる。 「ええと、なんていう料理だったか」 「白丸の溶かし焼きですよ」 「ああ、そうだっった。白丸の溶かし焼き。俺はこれが好きでたまらないんだよ」 「そうですよね」  にこりと笑い、マスターはポケットから棒状のものを取り出し、それに火を点けた。  煙がモクモクと立ち上がる。 「俺にもひとつ、モクモクを貰っても良いかね」 「どうぞ」  マスターはモクモクと呼ばれたそれを男に一本差し出す。  火を点け、一服する。  深く息をつき、そして男は目を細める。 「タマゴもタバコも、いったいどんなものだったのか……」  モクモクを口に、ボウルにあけられた白丸をかき混ぜながら、マスターも深く頷く。そして、 「嗜好品ですからね。飽くまで。日常生活に必要ないものは、淘汰されてしまうのですよ」  マスターの口から出た煙が、換気扇に吸い込まれていった。
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