【1】約束の代償

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江原が職員室へ戻ると、教頭が手招きしていた。 慌てふためき「遅い!」と叫ぶのを堪えている。 呼ばれるままに、応接室に入る。 既に杉山が、柳原と三森を連れて来ていた。 「彼女は3年B組担任の江原先生です」 校長が警官に紹介する。 他の紹介は済んでいる様子で、江原を見る校長。 「江原先生、橋田さんと幼馴染の小日向さんはどうしました?」 予想した問いである。 しかし、責めるような口調には驚いた。 「それが…かなりショックだった様で、気分がすぐれず、保健室で休んでいます。今話しは無理かと思います」 咄嗟に嘘をついた。 逃げられたとは、とても言えない。 「そうでしょうね、よろしいですよ。形だけの事情聴取ですので、気を楽にしてください」 優し気な警官が、雰囲気を精一杯和らげる。 普通ならあるはずの笑顔は見せない。 「では始めさせて貰います」 もう1人の堅そうな若い警官が始めた。 「死亡したのは、この学校の生徒である橋田優樹菜さん14才。今朝方、母親がベッドで死んでいるのを発見。昨夜は特に変わった様子はなく、通院する様な病気もなかったとのこと」 彼女は学校を休むことなく健康的で、弓道部の主将も務めていた。 「死因は…」 それまで明瞭であった彼が、言葉を選ぶのに戸惑っているのを見て、ベテランが繋ぐ。 「え〜医師の見立てによると、優樹菜さんに外傷や薬物反応、自殺の様相は認められず、目下のところ死因は、急性な進行性疾患と診断されています。早い話が、不審死ですが、自殺や他殺ではないということです」 医者が使った、『老衰』の言葉は出さなかった。 彼女の身体は一晩で推定80歳に達し、母親でさえ本人と認めるには無理があった。 医師は解剖調査を要望したが、両親は同意せず、事件性や自殺の疑いがない以上、警察も強いることは出来なかった。 「柳原さんと三森さんは、彼女と1番仲が良かったと聞きましたが、普段の彼女に何か変わったことはありませんでしたか? 何でもいいんです。時々頭が痛かったとか、何か悩んでいたとか…」 「僕は生徒会の副会長として、良く会長の優樹菜と話していましたが…特に変わったことは、思い当たりません。優秀で健全なでした」 ベテラン警察官である舟越(ふなこし)。 三森が彼女を優樹菜と呼び、『生徒』ではなく『女性』と言ったニュアンスに、恋仲であったことを悟った。 それと同時に、その割に冷静であることに違和感を感じ、その理由に何か秘密があると視た。 そして、その理由の一つを知った。 「私は小学校から橋田さんと一緒で、自然と話すことも多かっただけです」 警察を前にして、柳原の少し棘のある口ぶり。 校長と教頭、杉山、江原の警戒心が騒ぐ。 「そうでしたね柳原さん。彼女は勉学と弓道に打ち込み、あまり親しい友達は作らない生徒でした。刑事さん、生徒達はまだ事実を受け入れるのに時間がかかるでしょう。今日のところは…」 教頭が口を挟み、終わらせようと図る。 それを見逃さない舟越。 「柳原さん、何か彼女について、知っている様ですね。良かったら教えてください」 教頭を無視して、柳原に真顔で尋ねた。 「しかし…」 「邪魔をすると、公務執行妨害罪になりますよ」 若い警官が、教頭に釘を叩き込んだ。 さすがに黙るしかない。 「確かに、彼女…橋田優樹菜さんは、非の打ち所がない優れた存在でした」 次に来る否定論に、固唾(かたず)を飲む教員達と三森。 「でも人として、最低最悪の存在でもありました。誰にでも、良い面と悪い面はあります。しかし、彼女は幼馴染である3年B組の小日向智代さんを、まるで奴隷の様に見下し、周りにもそうさせていました」 舟越の目付きが、鋭さを増した。 「さっき、連れてくるはずだった生徒だね?」 「はい。多分バレるのを恐れて、先生達が手を打ったのだと思います」 「それは違うわ! あっ…」 思わず声が出てしまった江原。 しまった!を表す表情に、教員達の目が向く。 「なるほど、それが亡くなった橋田さんの、隠されていた一面ですか。まぁ…凡人の私には分かりませんが、完璧であるにはそれなりのストレスがあり、そのはけ口だったのかも知れません」 (この子は、三森のことを…) 舟越は、こんな場で、死んだ生徒会長の汚点をバラした柳原に、橋田への嫉妬心を理解した。 「幼馴染…と言いましたね、その小日向さんは。彼女にはそれが分かっていたのでしょう。よく自殺もしないで、今まで耐えて来たものですね」 その言葉と視線は、教員達に向けられた。 思わず一瞬身を引く彼ら。 「ありがとう、柳原さん。それは、ここだけの話しにしておきましょう。津田、オフレコだ。調書には載せるな」 「はい。了解です」 「彼女の死には関係ないことです…が、この先の小日向さんが心配です。先生方、シッカリ彼女のメンタル面と、環境に気を配ってあげて下さい」 優しく話してはいるが、警告であった。 事件性のないものに、警察は動けない。 しかし、正す役割は行使できる。 黙って頭を下げる教員達。 「あの…マスコミは…」 「校長先生、イジメによる自殺の場合は、マスコミが過剰なまでに取り上げますが、今回は違います。ご心配は要らないでしょう」 ホッと胸を撫で下ろす校長。 そして…事件は起きた。
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