オトナも悪くない

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 まだ高校1年生の冬ということもあり、進路調査票に「特になし」と思ったことを正直に記入したら放課後居残りになった。  二学期の終業式が終わったばかりの高校の教室には寒いのに元気に騒ぐ運動部員の声が聞こえてくる。 「元気だなぁ」  また正直に思ったことを口にしてみる。本当に彼等は元気だと思う。  この寒いなかで運動をしようだなんて美鈴ならまず思わない。こんな日は、外から一歩も出ずに部屋のなかで漫画を読みながらゴロゴロするのが1番いいと思う。  それなのに教師という生き物はなんなんだ、と思う。先週の二学期最後の体育では、この寒空のなか持久走をさせられた(先生の見てないところで歩いたけど)。国語の授業では、教室の暖房が暖くて寝たら怒られた。移動教室で音楽室に行きたくなくて教室でブランケットに包まっていたらそばを通りかかった担任にに見つかって音楽室に連行された。  大人は、いや、教師は何も分かっていない。きっと、自分達は今の自分と同じ高校生の頃も勉強がよくできたタイプなのだろう。だから、美鈴がいつも出席日数を稼ぐためだけに受けている授業も教師に何度か催促されてやっと提出する提出物も彼等には楽しかったはずだ。  だから、“優等生”である彼等には今の自分の気持ちが分かる訳がない。  別に就職先なんてどこでもいいんだけどなぁ。  心の中でそう呟きながら机の上でシャーペンのノックを押して芯を出しては机にひっつけて芯をしまうことを繰り返す。  この前やっと高校受験が終わってなんとか受かった私立高校は、何の特徴もない普通の地元の子達が通う高校だった。だから、よくテレビで紹介されているような私立高校みたいに制服がオシャレだったり美味しい学食があるなんてことはないし強い部活動がある訳でもない。  この高校は、普通に制服を着て通学して、普通に高校卒業に向けて授業を受けて、普通に卒業したら就職したり進学したりする何をするにも普通の高校だ。  もし、もう少し何か魅力のある高校に受かったらこの生活も違ったのかもしれない。でも、公立高校(今思えばあっちも普通だったけど)は受験に失敗して落ちたし、1番下のコースなら勉強ができなくても入れそうだった制服が可愛いことで有名な地元私立の女子校は学費が高いことや母子家庭であることを理由に母親に却下された。  でも、「もしも」のことを考えることは今でもある。もし、中学の時に何もなくて自分ももう少し受験勉強を頑張っていたら今のこの状況も少しは変わったかもしれない。せめて好きな人と一緒の学校だったらな・・・。  そこまで考えたとところで廊下から吹奏楽部の楽器の音が聞こえてきて、美鈴の妄想タイムは一気に終わった。吹奏楽部の子達は、何も悪くないけど、ここはもう少し“あったかもしれない高校時代”の妄想にもう少し浸らせてくれてもいいのに、と思いながらもう一度『進路調査票』に目を向けると教室のドアがガラッと音を立てて開いた。  入ってきたのは、英語教師でクラス担任の秋田だった。20代半ばの彼女は、美鈴が高校に入学する少し前に結婚したらしく左手の薬指にはキラリと光る婚約指輪が見えた。 「青野さん、書けた?」 「思いついかないです」  正直に答えた美鈴に秋田は「はやく書かないと帰れないよー」と言いながら教室で事務作業をはじめた。いつまで経っても進路調査票を提出しない自分を見張りにきたようだ。  そう判断した美鈴は、秋田の左手の薬指に目を向けたまま口を開いた。 「先生」 「ん?何?」 「私、高校卒業したら結婚して専業主婦になろっかな」 「え、青野さん彼氏いたの?」  秋田が興味津々といった様子で話に食いついてきた。  美鈴としては、秋田の指輪を見て不意に思いついた例え話だったことから予想外の反応をした彼女の様子に少し戸惑う。でも、秋田も既婚者とはいえ女だ。恋バナは好きなのかもしれない。 「いないです。一応好きな人はいたけど、向こうが中学の時に転校して以来音信不通なんです」 「その彼とは付き合ってたの?」 「告白する前に転校しちゃったんで。もし、相手と同じ学校に通ってたらそういう道も進路としてアリだなって思っただけです」  そう返して、指でシャーペンを回していると秋田は事務作業をする手を止めて美鈴の方を見た。 「青野さんは、家庭を持つ事が夢なの?」 「別にそういうのじゃないです。ただ、専業主婦って同じ会社でずっと働くより楽そうだなーと思って。毎日お菓子食べながらテレビ見てたら1日が終わる生活って憧れません?」 「それは相手にもよるかもね。ちなみに家事は得意?」 「無理」  即答だった。料理も掃除も洗濯も苦手だ。最近になって洗濯機を回すくらいならできるようになったけど、それは別に洗濯が好きな訳ではない。ダルいけど仕方なくやっているだけだ。 「じゃあ、専業主婦は難しいかもねぇ。それに私から見た青野さんは、専業主婦より働くことの方が向いてそうな気がするけどね」 「そうですか?」  美鈴としては、飽き性な自分にはどちらも向いてない気がした。  でも、強いて言うなら秋田の言うように会社員の方が向いているのかもしれない。専業主婦と違って嫌なら自分の意思ですぐに辞めることができる。 「先生、私普通に就職します」  その美鈴の言葉を待っていたのか、秋田は「それが良いと思う」と言って頷くと求人一覧が載ったプリントを美鈴に渡してきた。  自分が働いてる姿は愚か、大人になった姿すら今はまだ想像ができないけど働くのも悪くはないかもしれない。そんなことを思いながら求人票に目を通した。
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