挿話 内閣保安情報局の工作員たち

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 やわらかな春の陽射しが、夏の気配を感じさせるようになった五月上旬。  この時間は、出勤前にランニングをする市民が増える時間帯だ。市が運営する運動公園にも、早朝だというのに既に幾人もの男女が、ジョギングやウォーキングに汗を流している。  黒地に白の縦ラインが、四肢の外側に入ったジャージを着込んだ、三十代半ばの男。運動を主目的に造られた公園ではあるが、朝の早い年寄りが飼い犬を連れて、または夫婦連れでのんびりと散策する憩いの場でもある。  老若男女を問わず、この時間帯に十数名ほどが公園内に居た。男はちらと腕時計に目を走らせ、あと二十分走ったら終わりにしようと決めた。  ジョギングやウォーキングをする集団の顔触れは、ほぼ毎朝決まっている。そして例外なく園内を時計回りに動き、歩く者は内側を、走る者は外側をという暗黙のルールが出来上がっていた。  男は公園中央に広がる芝生に、新顔の男を見つけた。二十代後半か三十代前半の、目元が涼やかで整った顔立ちをしている。身体つきも、しっかりと筋肉が付いている。ジャージのせいでハッキリとは判らないが、おそらく相当に鍛えているのだろうと推測された。  新参者は入念にストレッチを始め、身体を目覚めさせていた。男は新参者を目の端で捕らえつつも、次の瞬間には存在を忘れ去っている。毎日ほぼ決まったメンバーが公園内にいるため、新顔は珍しいが、早朝ランナーに一人加わるだけのことだと、気にも留めなかった。  一周して同じ場所に戻ってきたときには、新参者は陽射しを避けるため、濃紺色のキャップを被っていた。端整な顔立ちを隠したために、さっきまで新参者に投げかけられていた、女性陣の熱い視線は回避された。あれだけの美男が付近で走ったら、若い女性は気もそぞろになるだろうと、男は己の平均的な顔立ちを少しだけ恨めしく思った。  新顔は、ちょうど人の波が途切れた男の後ろに、滑り込んだ。十数メートル前方に、数人のグループが走っている。  ウォーキングをしていた者たちは疲れたのか、芝生へと移動を始めた。植え込みには満天星(どうだんつつじ)や各種つつじがあり、蝶や蜂が蜜を求めて飛び回っている。  男は以前にスズメバチに刺されたことがあった。あの時の激痛を思い出すだけで、身震いが出る。出来るだけ植え込みから距離を置いてジョギングをしているが、それでもやはり気持ちのいいものではない。ましてや今日は、よりによって黒地のジャージを着てきた。 (これ以上、蜂が増える前に帰ろう)  男がそう思った刹那、うなじの辺りで異変を感じた。ほんの一瞬だけ、痛みを感じたような気がして手で確認する。だが、何も刺さってはいないし、血も出ていない。新顔が男を外側から追い越していった。新顔の足が長いせいか、軽い調子で走っているように見えて、あっという間に前方にいる集団まで追いついている。 (早いな)  その頃には首に感じた微かな痛みなど、意識の片隅に追いやっていた。
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