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「ねぇ健人、本当に報告しなくてもいいの? お母様に」
「その話は何度もしただろう。親父はともかく、お袋は昔の家族の記憶は消されている。第一、不倫して家庭を捨てた女なんか、母親と思っていない。同じ職場にいても、向こうが俺たち兄妹を子供と認識していないから、赤の他人と同じだ」
吐き捨てるような言い方に、香澄はまた健人の地雷を踏み抜いてしまったことを反省した。母親の話題は倉科兄妹にとって、禁句だった。
「ごめんなさい健人。せっかく無事に帰ってきてくれたのに」
香澄の脳裏に、情報分析官として勤務している佐々木の顔が浮かぶ。そして彼女が離婚前から付き合っている男もまた、この組織の工作員。更には有紗の射撃指導官という、なんとも複雑で皮肉な関係。長澤という男に、兄妹は良い感情を抱いていない。だが有紗は私情を抑えて指導を受け、たった三年で銃器類の扱いおよび射撃は、他に並ぶ者が居ないほどの腕前になっていた。
「まぁいいさ。親父には報告してあるんだから、問題ないだろう? 親父も俺たちも立場は違えど、似たような仕事をしているから反対はしなかったし。いいじゃないか」
倉科兄妹の父は――本人たちは知らないが――、公安警察のトップに君臨している。この内閣保安情報局とはライバル関係になるが、仕事とプライベートは別物だ。
「とにかく、何もなければ一ヶ月後には、俺たちは夫婦だ」
機械油臭い部屋に、甘い空気が流れる。もうすぐ正式に夫婦となる二人は口付けをかわし、名残惜しそうに身体を離した。
「さて、塚原チーフに報告に行ってくるよ。あと一件、仕事がありそうだけどすぐに終わらせて、帰ってくるから」
「うん」
香澄が笑顔で見送ってくれる。健人は手を振ると、軽やかな足取りで上司が待つオフィスへと歩を進めた。
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