第二章 トリックスターの暗躍

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 いつも以上に厳しいセキュリティ・チェックを終えて、塚原のオフィスの前に近づいた時、真向かいの【10】の扉が開き、一人の男性が出てきた。四十の坂を少し越えた精悍な顔立ちの男が、塚原の部下でありながら自身も数人ほど暗殺工作員を抱えている遠矢サブチーフだ。 「岡崎さん、浅倉さん」  男臭い笑みを浮かべながら、遠矢は二人に気さくに話しかける。 「塚原チーフに呼ばれたのですか? ちょうど良かったです。私も塚原チーフに用があるので、一緒に入りましょうか」  サブチーフといっても、事実上チーフと同じ権限を与えられている。浅倉は元々遠矢の配下なので、早く戻りたいと訴えようと口を開いた刹那、塚原のオフィスの扉が開いた。 「失礼しますよ、塚原チーフ」  二人に先駆け上司である立場の遠矢が、塚原の戸惑いを無視して入室する。 「遠矢くん、君を呼んだ覚えはないんだが」 「ええ、呼ばれていませんよ。ですが貴方が勝手に高田さんの作業場から離脱したので、その後に発表された人事異動をご存じないでしょう? それを知らせに来たんです。私は本日付で幽霊(ファントム)セクションのチーフに昇格しました。つまり、貴方と対等な立場になったわけです」  氷のような冷たい言い方に、心なしか塚原が気圧されているように見えた。 「辞令はもう発令されていますが、その様子では未確認のようですね。同じく本日付で岡崎さんと浅倉さんは私の部下になりましたので、勝手に命令しないでください」  倉科兄妹の目付役にと考えていた塚原は、ぐうの音も出ない。いつの間にそんな辞令が出たのだと慌ててタブレットを操作すると、確かに遠矢の昇格と岡崎・浅倉両名が遠矢配下という辞令が出ていた。 「何を命じようとしたのかは存じませんが、二人はもう私の部下です。浅倉さんは元々私の部下ですが、貴方が強引に替え玉ミッションの際に引き抜きましたね。  替え玉を発案したのも私なのに、貴方は作戦会議の席上でまるで自分の案のように発表し、結果、自分の手柄にしてしまった。このことは上層部に報告済みなので、処分は追って沙汰されるでしょうね。  私の手許には草案も保存してありますし、何よりサブチーフでは上層部に直訴できませんでしたが、もう何の遠慮もしませんから」  立場が対等になったのだから、もう何の遠慮も配慮もしないと言わんばかりに遠矢は睨みつける。その迫力に呑まれかけるも、先輩チーフとしての矜持が頭をもたげ、表情にも気配にも顕すことはなかった。  今までの理不尽な仕打ちに対する報復と宣戦布告をキッチリと表明し、遠矢は部下たちに向き直る。どうやら新しい直属の上司として塚原の腹黒さに注意を促し、心置きなく決別させる意味合いが合ったようだ。行きますよと促され、隆宏と浅倉は真向かいの遠矢のオフィスへと向かう。  二人の暗殺工作員たちは、後ろを振り返ることはなかった。通路を挟んで真向かいにある遠矢のオフィス。初めて知る替え玉ミッションの裏事情に、浅倉は改めて遠矢の広い背中に羨望の眼差しを向けた。
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