序章 過去と始まりの物語

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 三日後。  また珍しく早く帰宅した英人は有紗手製の夕食に舌鼓を打ちながら、子どもたちを前に静かに告げた。 「お前たち、国家と国民のために命を捧げられるか? 捧げられるなら、近いうちに死人(しびと)になれる覚悟はあるか?」  突然のことに、妹は思わず箸を落とし兄はお茶を吹きかけた。 「今度、内閣情報調査室が組織改編されることになった。特別なセクションに所属する者は戸籍上死人扱いになり、任務のたびに仮初めの戸籍を国が用意する。お前たちは、そこで働く気はないか?」 「……考えさせてくれないか」 「では三日後の夕方、この時間に。父さんは三日後、また同じ時間に家に居るから二人とも熟考の上、返事を聞かせてくれ」  三日の猶予を貰った兄妹は、その翌日には心を決めていた。何故ならまた有紗の塾帰りに、母親の不倫現場を目撃したからだ。男の後ろ姿の背格好は、以前に見たものと似ていた。前回と違って今回は、相手の横顔が見えた。五十代の苦み走った、なかなかいい男だった。二人はホテル街へ消えはしなかったが、並んで歩いている。 「呆れた。離婚した直後だっていうのに、よくもまあ堂々と」 「内閣情報調査室って、あの女の職場だよな。という事は、相手も同じ内調の人間か? そうかい。そういうことなら同じ組織に入って徹底的に、精神的に相手共々いたぶってやるよ」  父を裏切った母とその愛人。両親は仕事が忙しくて家庭を顧みない傾向があったが、少なくとも父は不貞行為をしていない。他の女の影を一切匂わせなかったし、有紗も思春期の高校生とはいえ女の勘が鋭い。父親は白と判断していた。  兄妹は心を決めた。 「新しい組織の名前は、内閣保安情報局という。そこに入局するからには、事実上、親子の縁を切ることになる。どこかで会っても、他人と思って声を掛けることも禁止だ。友人たちにも会えないし、連絡できなくなる。命を落とす危険もある。そういう世界に入るが、構わないのか?」 「構わない」 「私は、あの女と愛人らしき男に復讐するためなら」  英人は判ったと呟くと、大学と高校に退学届を提出するよう二人に命じた。初めて見る父の公人としての一面に、兄妹は思わず背筋が伸びる。 「一週間後、お前たちは表面上は事故死することになる。それまでに最低限の荷物を纏めておくこと。その後は、この住所へ行きなさい。お前たちの未来は、そこからだ」  家庭を壊したあの女に、その愛人に復讐をしたい。兄妹の胸中に去来する思いはこれだった。
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