―第一章:《水天一碧》―

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―第一章:《水天一碧》―

■ようこそ、ロストシティへ  オレは死ぬんだと直感的に思った。死にたくないと思うより先に、直感してしまった。もう駄目なんだと。  卑怯にも雨の日を狙い、オレは外へ走った。  皆から崇められている都市に喰われることを、礎となって死ぬことを恐れ、オレは逃げた。途中エクリプスに出会ってもなんとかなるように、なるべく水路の近くを卑怯に走った。  もちろん衛兵はいたが、最初のうちは新米の見回りだと嘘をつきやり過ごした。  軍服はそれなりに信用の証になるらしく、ある程度は誤魔化すことができたが鋭いやつも中にはいる。捕まったらそれこそ生き地獄だ。  なんのためにこの服を手に入れたのか。  最初から間違っていたのか。  ――大雨の中、水かさの増した水路に飛び込むしかなく、しょうもないかっこ悪い人生だと笑った。  しかし、オレは幸運にもどこかへ流れ着いたらしい。死ぬ覚悟なんて大げさだった。とても恥ずかしい。  意識はまだ遠いが生きていることだけは分かった。呼吸をすると肺が痛む。ゆっくりと息を吸い、目をゆっくりと開ける。眩しくてなにも見えない。  パチパチと心地よい音がする。何の音だろうか。焚き火?  京内で焚き火なんてすれば衛兵が飛んでくるだろうから、どこかの集落にでも流れつけたのだろう。  少なくとも火を扱うエクリプスなんて聞いたことがない。つまり人間がいる! 「って、ぅお、熱い!?」  突然胸から腹にかけて強烈な熱さを感じ、重たい身体が反射的に飛び上がる。あちこちが痛んだがそれどころではない。  どうやらオレは焼かれかけていたようだ。  赤褐色のローブをまとった人間が、燃え上がる木材をオレに積み上げようとしていたのだ。  そして、オレはよく見なくてもパンツ一丁で、軍服は見事に焚き火の燃料とされていた。袖口だけまだ形を保っているが着れたもんじゃない。 「あぁ、生きてたの?」  深く被ったフードで顔は見えなかったが、声からして女だ。手は革の手袋をしていて肌を見ることはできない。 「このまま焼かれるのと、首かっ切られてから焼かれるのどっちがいい?」 「いやいやいや待て。何でオレは焼かれる前提なんだ」  焦げかけた肌を払い、少し女から距離を取る。  わけが分からない。  身体に異変はないし、試しに髪を数本抜いてみたがちゃんと黒色だ。  オレは人間だし、一応京の軍人だ。  なぜいきなり見知らぬ女に燃やされる必要がある? 「君、軍人なんでしょ」  しゃがみこんでいた女は火を持ったままゆらりと立ち上がった。 「密偵にしては水路で流れてくるなんて間抜けな感じだけど……まぁいいや。時間がかかると怒られそうだし早く済ませよう」  独り言のように言って、女は腰から三ロートに満たない中剣を抜き取る。 「だから待てって! オレは敵じゃない!」 「この服は?」  ローブの女が灰になりかけたオレの軍服を指す。 「それはオレのだけど……」  剣を構えないでくれ。  こいつは軍人に恨みを持っているのか?  あり得なくない。軍という後ろ盾を利用して好き勝手する連中もいる世の中だ。 「オレは軍を抜けてきたんだ! 危害を加えるつもりはない!」  情けなく、オレはパンツ一丁で両手を上げる。 「行くあてもないんだ! なんだって手伝う! だから殺すのは待ってくれ!」  京を除けばどこだって人不足のはず。無意味に人を殺すなんてそんなこと、 「だからほんとに待ってください!?」  容赦なく向かってきた刃先を寸前のところで避ける。 「…………」  避けられたことが意外だったのか、ローブの女は首を傾げた。 「ほんとこの通り」  土下座という必死の懇願が通じたのか、女はため息をついて剣をしまう。  よかった、生きた心地が全然しなかった。おかげでパンツが汗でびしょびしょだぜ。 「君のことはハギたちに任せることにする」 「え、ハゲ?」  ご丁寧に火を消して、女がついてこいとばかりに歩き出した。 「逃げた瞬間に殺すからね」 「ぁ、はい」  もう一度焼け跡を見るが、オレの服は完全に灰となった。 「あの……」  機嫌を損ねぬように、オレは思っていたより小さな後ろ姿に話しかける。 「できればそのローブ貸してくれたりしません?」  どこに行くのか知らないが、ここらへんは人里らしい。  濡れたパンツ一枚で歩くのは、結構きつい。むしろこの女は気にならないのだろうか。オレの肉体が美しすぎるのか? 「何で?」  随分と不機嫌な声が返ってきた。殺意すら込められていそう。 「さすがにこの格好やばくないっすか?」  女は足を止めてオレの方を振り返り、そして目が合う。  フードの下に隠れていた瞳は空と同じ緋色だった。 「……それもそうだね」  息を飲んだ。ローブの下から現れたのは、瞳と髪が緋色に輝く少女。  腰にあるのは二本の剣。  緋色の見た目、双剣使い。  ……緋色の悪魔。  彼女がいるということは、 「ロストシティ……」  オレは三途の川を渡ってとんでもないところに来てしまったらしい。 「なに、知らないで来たの? はい、あとで返してね」  少女は羽織っていた赤褐色のローブをオレに押しつけた。ローブはしっかりした布で織られており、いい暮らしをしていることが伺える。 「行くよ」  本当に下手なことはできなくなってしまった。オレは震える手をローブの袖に通そうとしたが、サイズが合わないので羽織るだけに留めた。  世代ではないオレだって緋色の悪魔を知っている。丸腰で勝てるわけがない。それにロストシティだって? 今まで何人も遠征に行って、誰一人帰ってきてないじゃないか! 「遅い」 「は、はひ、すんません!」  もしかしたら京にいた方が安全だったんじゃないだろうか。  異常に早く歩く少女を必死に追いかけながら、オレは混乱する頭を整理しようとするが緋色の髪が綺麗過ぎて思考が乱れる。 「止まって」  彼女が立ち止まり、髪の揺らめきが少し遅れて止まった。 「な、なんでしょう」  明らかに、どう考えても人の運動神経では不可能な距離を緋色の塊が飛び、草かげから現れた小さなエクリプスをいつの間にか抜いた剣で突き刺していた。 「《青》か」  エクリプスは弱いものから順に青、黄、赤で区分されている。  しかし、オレも昔いた集落ですら《青》以外を見たことがない。 「え、この辺って出るんですか……?」  エクリプスあるところに人は住まず、それくらい人間は奴らを避けている。 「いーや、ここらへんはいつも私が狩ってるから」  汚れを払い、刃を鞘に収めた少女は淡々とおかしなことを答えて再び歩き始めた。 「あ! 若様じゃないの!」  しばらく歩いていると、畑仕事をしている中年の女性が少女に手を振ってきた。オレはやましいこともしていないのに、姿を隠すようにフードを深くかぶり直す。 「どうも」 「羽織り着てないなんて珍しいね。……そちらは?」 「輸送中」 「? そう、さっきね、隊長様がここに来て若様を探していたよ」 「本当? 入れ違いになっちゃったかな」  少し困ったように少女は頬をかいたが、あくびをして「ま、いっか」と納得したようだった。 「おばちゃん、ありがとね」 「いえいえ、こっちこそいつもありがとうございます。そうだ、なにか持ってく? さすがにさつまいもは今ないけど……」 「いやいや、いいよ。いつも納めてもらってるのに。ちゃんと自分たちで食べて」  気を使う中年女性の話を打ち切り、手を振り返しながら少女は歩みを再開する。 「領主さまなのか……?」 「別に私は地主じゃないよ」  今日はよく晴れていて、赤い空から暑い陽射しが届く。  パンツだけではなくローブの下も汗ばんできてしまった。……これ、洗って返した方がいいのか。 「あ、来た」  突如、地鳴りのような音がして、少女の視線の先から車が走り寄ってくる。 「車!? こんなところにもあるのかよ……」  金属の使用が避けられるなってから、二十世紀前後に利用されていた自動車は姿を消し、コストパフォーマンスの悪い水鉱石等を利用した車が登場した。京ですら偉いやつらが仕方なく外へ出る時に使うくらいなのに。こんな辺境の地にあるなんて……。 「若ちゃん! 探したわよ、もう!」  傷をつけただけで死刑にされそうな車から降りてきたのは、その、……ずいぶんと表面積の少ない服装をした同い年くらいの少女。多分さっきの若と呼ばれていた人より結構背が高い。 「ちょっと何でローブ羽織ってないの? 早く乗りなさい」  後部座席のドアを開け、押し込むように長身の女は少女を車に乗せた。 「で、あなたは?」  睨まれて怯んだわけでなくとも、立て続けに緋色の髪と瞳を持ったやつに会ったらオレじゃなくても誰だって言葉を失う。 「あ、それはね、拾ったの。ほら、さっき連絡入ったやつ」  車からセミロングの髪がさらりと出てくる。 「出てこなくていいから! 着くまで横になってなさい」  窓を叩き、長身の彼女はオレへ向き直った。 「それ、返して」  オレが脱ぐよりも早くローブを奪われ、再びパンツ一丁に戻った。 「あなたが軍服着て倒れていたって男?」  緋色の瞳がオレの脳天からつま先まで追う。 「はぁ、多分……」 「多分ってなに?」  眼光が鋭い。  先程の小さい方は眠たそうな目をしていたが、こっちは獲物を仕留める目だ。 「いいわ、早く乗って」  後部座席では少女が寝ている。……前の席でいいんだよな?  車に乗るなんて初めてだった。  外から見ている限りは快適な乗り物だと思っていたが……。 「ちょ、ぇ、ぉぇ、無理……」  横にも縦にもひどい揺れ。  道が整備されていないおかげで、なにかを踏んづけるために車体が飛ぶ。  だんだんと脳と内蔵まで揺れるような感覚に襲われ―― 「都会の人はマナーがなってないのね」  窓から胃液を吐き出した。  そして車を汚したと二発、長身女からボディーブローをもらった。吐いた。  吐くものもなくなって地面に転がっていると、緋色の少女たちがニ、三言葉を交わして小さい方は大きな建物の中へ消えて行った。  そう、どうやらずいぶんと大きなところに辿り着いたらしい。こうして地面から眺めると圧巻だ。古臭い感じは否めないけど。 「姉さん、急にいなくなって!」  また新しい女性の登場だ。もう顔を上げる余裕もない。 「心配したんですから……! どこか悪いところないですか」 「はいはい。あたしのことはあとでいいから。先にこいつが大丈夫か看てくれる?」 「……何でパンイチなんですか? ケダモノ?」 「ケダモノな上にさっきまで若ちゃんのローブを奪っていたのよ」 「殺しちゃえばいいんじゃないですか」  ええ、優しそうな声して物騒なことをおっしゃる。 「とりあえず情報も吐かせたいの。陰性かどうか確認をお願いしていい?」 「そりゃ姉さんが言うなら……でもそのあと姉さんの診療もしますからね!」 「はいはい、分かりました」 「……先生はどちらに?」 「すれ違わなかった? あの子は部屋にいるからコレ終わったら看てあげて」 「承知しました。さっさと終わらせちゃいますね」  尻をブーツで蹴られ、よろよろとオレは立ち上がる。まだ視界が揺れる。 「パンイチさん」  目の前に美女がいた。  姉さんと先程の少女のことを呼ぶからてっきり年下と思いきや二十半ばくらい。珍しいえんじ色の服を着た黒髪の美女。  吐き気とか目眩とか、一瞬で治った。 「ついてきてください」 「あ、はい!」  自分が不名誉な名前で呼ばれていることにも気づかずに、オレはだらしない顔でだらしない格好のままついていく。  腕、細いけど筋肉ちゃんとついてるんだなぁ。目の前の美女をまじまじと見るパンツ一丁の男。 「では動かないでくださいね」  医務室のようなところに連れてこられ、ぼけーっと彼女を見つめているうちにいきなり何かが腕に刺さった。 「えっ」 「しばらく動けなくなるかもしれませんが、死ぬようなものではないので心配しないでください」   ◆  ◆  ◆ 「若ちゃんは優しいわね」 「わざんざ嫌味言うために来たの?」 「いやいや、優しい幼馴染が心配になって来ただけだから」  会ったのは高校入ってからだけど。幼馴染の定義っていくつかしら。でも何十年と一緒にいたら幼馴染でいいわよね。 「氷は?」 「頭の上にほしい」  寄り道をしてもらってきた氷を袋に詰めて、若ちゃんの頭に乗せる。本当に綺麗な頭の形をしていて何をかぶらせても乗せても似合う。  氷を乗せていたら間抜けかしら。 「何で一人で行ったの」 「だって。やばいやつだったら早急に殺さないといけないし、それならカジとか待ってる暇もないし。連れて行きたくないし」 「あたしは?」 「姉御だって万全じゃないじゃん。一人で片付くものならそれでいいよ」 「それならせめて車使って……使えるようになって」 「うるさいな! カーブ曲がれないし、なによりアクセルとブレーキ覚えらんないんだよ! 何で二択にしちゃうかな」 「…………マリ●カートもいっつもビリだったものね……」 「そうなの。車は相性よくないの。チャリなら任せて」 「整備されてないところ走って転倒して、血だらけで帰ってくる若ちゃんしか思い浮かばないわね」 「でも自転車あったらいいと思うんだけどなぁ」 「バイクならありかな」 「姉御がバイクに乗ったらそれこそヤンキーだよ」 「うるさい」  キツイ顔と言われる。中学生時代からだ。目つきが悪く愛らしさがない。そんなことからついたあだ名が姉御だった。 「まー別にさ、アクセルとブレーキ間違えたところでどうでもいいんだけどね」  溶けかけた氷をテーブルの上に投げる。あたしが片付けるはめになるんだからやめてほしい。何十年経とうとこの子の大雑把加減は変わらない。 「それにしても若ちゃんが外の人間を連れて帰るなんて珍しいじゃない。連れてきてもいつも女の子なのに」 「変な言い方やめてよ」  心当たりがあるようで目を逸した。分かりやすい。 「軍人ならなにかしら情報引っ張り出せると思ったんだよ。それに」  呆れた視線が戻ってきた。 「あのパンツ男は超弱い」 「そうね」  おそらくうちで医務担当している人たちよりも弱い。 「脅威ならないと判断したまで。出て行くなり情報漏らすようなら殺す」  可愛い顔して物騒なことを言う。  そして物騒なことを実際にやる。  あたしに気を使ったところで罪は同じだと言うのに、率先してやる。 「若ちゃんはさ――」  何でそんなに頑張るのと聞こうとして、やめた。 「なにさ。いきなり黙って」 「そろそろしーちゃんのところに戻るわ」 「それなら私も、」 「いいわよ。まだ具合悪いんでしょ」  具合が悪い人を医務室に連れて行かない方がおかしいのだけれど。 「何があるか分からない世の中なんだから、お互い万全でいましょう」
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