―第一章:《水天一碧》―

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■《水天一碧(オールブルー)》本部  未だに悪い夢を見ているような現実味のなさ。  同じ土地にいるはずなのに。  こんなにも景色は変わってしまったのね。  監視のためにだけ取り付けられた窓。昔はステンレスを使っていたけど今は全て木製。昭和時代に戻ったよう。  歩き慣れた木製の廊下を渡り、たまにすれ違う隊員から大げさな挨拶をされ、いつも賑わう医務室にやって来た。 「姉さん、ちょうどいいところに」  スクラブに身を包んだしーちゃんが、あたしの顔を見て無邪気に笑う。 「先生が拾ってきた子、陰性だったんです。一応ご指示をいただこうと思って」 「軍人なんだっけ。……はぁ、先にあたしが尋問しておきましょうか」  あたしのセリフを聞いていたパンイチ少年が慌てふためく。精神的な訓練すら受けていないのかしら。京を見たのも、あの時が最後だから今の情勢なんて分からない。  彼が本当に軍人であると言うなら、京も随分大変な状況と推測できる。 「パンイチ君、あなたのところは捕虜になったら氏名、階級、生年月日、認識番号を言うように教育されているのかしら」  そんな捕虜の義務、いつの時代だったかしら。多分あたしたちが生まれるよりも前の話。この手の話は全部オタクな若ちゃんから聞いた。 「いいわ、あなたの名前にも誕生日にも興味ないから」  褐色の少年の向かい側に座る。  年齢はおそらく十七、八くらい。女性経験がないのか、あたしの格好を見て視線を泳がせている。 「まずどうやってここまで来たの?」  北側はでかい川、他は海に囲まれた地形。  侵入を試みるなら川からでしょうけれど、北側は治安が悪い。若ちゃんが押収した荷物には拳銃しかなかった。それも普通の鉛玉を出す金属でできたもの。 「オレは……京から逃げてきたんです。軍人としてあいつらと戦うのが嫌で」  情けないことを堂々と言う。そんな情けない生存本能が彼をここまで連れてきたのかもしれない。 「そんで途中、事故みたいな感じで水路に落ちてオレも死んだと思ったんですけど、気がついたらここにいて」  そんな上手いことがあるのかしら。  理論上なくはないけれど……。  なにを言われたところで信用なんてできないし。 「あなたが持っている京の情報を話しなさい。ものによっては命くらい助けてあげなくもないわ」 「さすが姉さんはあま、優しいですね」  師匠の影響もあって優しそうに見える医者は、案外冷酷。たとえ同じ食卓を囲った仲間であっても赤化病の兆しが見えれば躊躇なく殺す女。  彼女たちに比べればあたしは甘ちゃんでしょうが、今は正直事情がある。ここの地域は内部の人間にとても厳しく――厳しくせざるにおえず、疑わしきは罰する、裏切り者には死を、異端分子・異端分子予備軍を排除してきた。  結果、常に人手不足。  小間使いにでも人間爆弾にでもしたい。  どこまで本当か分からない情報をたどたどしく喋る男に期待できること。結構あったりする。 「もういいわ。とりあえずハギのところへ連れていきましょうか」 「でも姉さん、あなたの診察がまだですよ」 「今じゃないでしょう」  しーちゃんは分かりやすく舌打ちをしてパンイチ少年の腕を掴む。  そして、分かりやすく少年の耳が赤くなった。 「夕食前に終わらせるわ。あたしは若ちゃん連れてくるからよろしくね」   ◆  ◆  ◆ 「あででで!? いっだぁああ!?」  腕を掴まれていたと思えば、長身女が部屋から出て行った途端右耳を思い切り引っ張られ廊下に投げ出される。  あまりの激痛に慌てて耳たぶを触るが、千切れてはいなかった。 「はぁ……先生も歳のせいで甘くなったんですかね……」  美人に見下されるのもいいもんだと笑って親父が話していたこともあったが、あれは絶対嘘だ。 「行きますよ、すみやかに歩いてください」  初めに会った少女より随分とオレに対する警戒心が強いようで、先に歩くように促された。敵地で波をたてるわけにもいかず、とにかく言うことに従うがどうせこの美人もオレより強い。  おそらく医者。しかしオレ、というか新米衛兵より強い。ロストシティの人間は医者ですら訓練されているのか。 「そこ曲がってくださいね」  口調は相変わらず穏やかだったが怒気を隠せてないぞ、お姉さん。 「あの……」  呼びかけても後ろから返事はなかった。 「オレはこれからどうなるんでしょうか」 「死ねばいいと思います」  いーや、あんたの願望を聞いたわけじゃないんだけどね。  このまま人気のないところで心臓を後ろから貫かれたりしないだろうか。 「心臓なんて狙いませんよ。いくらあなた様が弱そうでも体格差がありますから。首の後ろからズドンです」  エスパー!?  とツッコむよりも早くうなじを抑えた。 「戦いの中であれば間違いなくあなたは死んでいたでしょうね。良かったですね、わざわざ漂流物を知らせてくれる優しい人がいて」  そうだろうさ。  戦いが怖くて逃げたんだからな。 「まだ話していないことがあるならちゃんと話した方がいいですよ。拷問なら姉さんたちより上手いですから、私」  ここに来るまでほとんど人に会わなかった。  開け放たれた扉の向こうは思っていたよりずっと質素で、広くもない。  目の前の硬そうな革でできたソファーに腰をかける老人。おそらく彼がハゲ?と呼ばれていた爺さんだ。  他には隅っこで膝を抱えている若さまと、机の上に腰掛けた露出度の高い長身女だけ。先程ぶりです。  帰りてえ。  ……そういや男の姿が全然ないな? 「しーちゃん、ありがとう。席を外しても構わないけどどうする?」 「いていいならいますよ」 「私戻っていい?」 「あなたはダメでしょ。拾ってきたんだから責任とって」  そんな野良猫みたいに言わないで。 「じゃあ……」  剣を抜くのやめて。ほんと寿命縮まる。 「やめなさい。とっとと話をまとめてくれ」  しがれた声。いつお迎えがきてもおかしくなさそうな爺さんがため息をつき、面倒くさそうに若さまからオレの軍服を燃やしたことと、所持品は長身女――姐さんと仮に呼ぼう――に渡したと話し始めた。  一応敵側の人間がいるというのに若さまは終始眠たそうで、自分が話すパートですら定期的にあくびを差し込んでくる。 「あたしの方はあっちの状況をちらちらと聞きました。まぁこのへんは急ぎのものなかったから後ほど資料まとめておくわ」 「頼んだよ。……それでなんで若様はこやつを拾ってきた?」  爺さんにも様付で呼ばれてるのか……、若さまはもしかして貴族的な立ち位置なのかな。 「え、だってこの前使えるものは殺す前に確認しろって言ったじゃん」 「言ったけどの、まさかお前さんが守ると思わなくて……」  緋色の瞳が鋭く爺さんを睨む。  老眼のふりか見えなかったのか、少し顔の角度を変えて爺さんは再びため息をついた。 「姉御とドクターと意見は……聞かんでいいな?」  即決殺されそう。 「見てわかるじゃろ。男手があると助かるんじゃが……お主はどうかな」  口調は近所のおじいちゃんだったが、目はオレを値踏みしていた。 「死ぬこと以外ならなんでもします」 「そうか、じゃあ雑用頑張ってな」  杖を持っていたから足でも悪いのかと思っていたが、すくりと立ち上がり爺さんは早足で部屋を出て行った。ぼそっと若さまが「クソジジイ」と言ったのも聞こえなかったかのように。 「パンイチ君」  一瞬自分のことだと分からずに反応が遅れただけで……首元に鋭利なナイフが突き刺さりそうな状況。ちなみにナイフの持ち主はドクターことシオンさんだ。やー名前で呼んだらきっとグサリとされる。  ちなみにオレのことを不名誉なあだ名で呼ぶのは姐さんだ。  うん、まさしく姐さん。似合った呼び方。 「しばらくはあたしたちの指示がない限り部屋から出ないこと。仕事で部屋を出る時も不必要な行動をしたら――」  厳しく姐さんが説明をしている中、よろよろと若さまが立ち上がり部屋を出ていこうとする。  外にいる時は厚着をしていたのに、室内と随分と軽装になっていた。姐さんみたいに腹や太ももが露出しているわけではないが。 「先生、まだ話終わってないですよ」 「私もう関係ないじゃん」 「ほら、先生だってこの後医務室に来てチェックしないと」 「眠い」 「あぁ、もう! だからって床で寝ようとしないでください! 先生!? 人の話を最後まで聞けと言ったのはどこの誰ですか!?」  マイペース生物ときびきびドクターの抗争が始まってしまい、姐さんは呆れて俺を新居へと連れ出してくれた。 「分かってたけどな。いい暮らしなんてないって!」  部屋と言われたからどこかの物置かと思えば、陽の光が届かない地下の牢獄だ。百年前にこんなものなかったはずだろうから、自分たちで作ったのか……。 「はいこれ」  渡されたのは一杯の水と干物。  干物はとても重宝される保存食だ。エクリプスは水を嫌うから、比較的魚は採れやすい。  もちろん漁獲で揉めるのは人間の性だ。 「一応警告はしといてあげる。脱獄してもいいけど必ず死ぬことになるから、もし死ぬたくなったら先に言って。ここで終わらせるから」  死にたくなくて逃げてきて、みっともなく捕虜になり、なぜだか貴重な食料までもらったら、とりあえず死ねなくね? 「あの」  格子越しにすらりとした背中を呼び止める。  感情のない瞳がオレをとらえた。 「名前はなんて言うんですか」 「上に名前を調べてこいなんて言われたの?」 「……んなわけないじゃないですか」  分かったところで何だって言うんだ。  ロストシティにいた緋色の女の本名は●●さんですと報告したってなんの利益にもならない。 「あたしたちのことはそっちも好きに呼んでいるでしょう」  双剣士の方は最近でも噂を聞く。  もう一人いるとは知らなかった。 「どうせ戸籍なんてないんだから、名前も分かればいいのよ。パンイチ君」 「その呼び名やめろ! それよりオレはこのままの格好なわけか!?」  姐さんはくすりとも笑わずに突き当たりにある階段を曲がって行った。  ……食糧をもらえただけマシか。  しかし、地下で石畳。明日には腹を壊すかもしれない。  トイレってあるんだろうか。   ◆  ◆  ◆  冷える床でも寝つけるくらいにはオレの身体は疲れていたようだ。  格子を蹴り飛ばされるまで起きなかった上に、寝起きに緋色の人間を見た瞬間はちびるかと思った。  昨日は屋内で脱いでいたローブを再び羽織った若さまが、大きなあくびをしながら牢の鍵を開けてくれる。鍵と言っても本気で逃げ出そうとすれば開けられるような粗末なものだった。  おそらくオレの行動自体試されている。 「おはよう。眠いね」  オレは十分すぎるくらい眠った気がする。体感的にはもう昼間だ。 「とりあえずこれ」  くたびれたシャツに膝が破けたズボン。かかとが擦り切れて穴が空きそうな靴。 「誰のだったかな……えーっとタナカさん? まぁこの前死んだおじさんのおさがりだけど」  タナカさんは何で死んだんだろう……。  汚れが気になったものの、さすがにパンツ一丁のままではいられない。変質者に間違えられて射殺なんて洒落にならん。 「ねぇ、君はなんで軍人になったの?」  眠たそうだし興味なさそうなのに、オレが靴紐を結ぶタイミングで若さまは問いかけてくる。答えを間違えたら殺されるのだろうか。  悩んで即答できずにつま先を見つめていると、 「聞いてる?」  地面すれすれの位置で覗き込んでくる。忌まわしい緋色の髪は、掃除が行き届いていない床にはらりと落ちた。 「君ってそんなに強くないよね? 何でわざわざ軍人になんてなったの?」 「……偉くなれば家族で京に住める。京に住めばある程度の脅威から守られる……それだけだ」 「なるほど。あそこは安全なんだ。お水たくさん持ってるもんね」  緋色の軌跡を描き、彼女が小さく後ろに跳ねた。 「姉御とハギが言うには、昔はそんな水があったわけじゃないんだって」  不思議だねと彼女はあくびをした。  ……あくびし過ぎじゃない? あまり寝られる環境じゃないのか? 「とっとと仕事終わらせようか。別に君なんていなくていいんだけど、姉御たち忙しいみたいだから」  そうして連れてこられたのは数時間ほど歩いた集落の外れ。  昨日みたいに異常な速さではなく、常人の歩く速さで小一時間。 「仕事ってなにを……」  民家があるのはもう少し手前だ。  昔は建物があったような地域だが、今はほとんど崩れ落ちている。鉄筋を主要にした建物が多い地域だったのかもしれないな。 「君はその辺の草むしりでもしていればいいよ」  オレは無意味なことを申しつけられ、若さまは中剣を一本だけ鞘から取り出してふらふらと奥へ進んで行った。  一人丸腰で残されても……。仕方なくオレは彼女のあとを追う。 「何でついてくるかな」 「ってぅあゎ!?」  キーキーとうるさいエクリプスの青を突き刺した剣を向けられたら、うちの将校だってきっと同じように尻もちをつくさ。 「噛まれたら殺すよ」 「退治にきたんなら先に言ってくれよ!」 「待っててって言ったのに」  断じて言ってない。 「私は君のことなんか守らないよ」  息絶えた青を払い捨て、もう一本の剣を抜き、双剣士は文字通り宙を舞った。真っ赤な空をバックにして。  きっと緋色の髪と合う空なのだと思った。ローブのせいで見えないのが残念なほど、彼女の戦い方は可憐であっという間で。 「こんなものかな」 「人里近くで結構出るんだな……」  オレの住んでいた集落は小さかったからこそ、水壁を作り自分たちをまもることごできた。京に限っては壁の向こうにエクリプスはいない。 「あいつらはどこでも出るよ。一気に発生したりしないから定期的に狩っていれば問題ない」  最後の一匹に止めを刺し、若さまは笑った。  初めて見た笑顔に、ドキッとした。  ……恐怖を感じて。 「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だよ。ここらへんは私も姉御もいるし、《水天一碧》の中でも強い人ばかりだよ」 「おーるぶるー?」 「え、姉御かシオンから聞いてないの?」  まったく。  オの字も聞いてませんが。 「君んところの軍隊と同じだよ。ここ……ロストシティって呼ばれてるんだっけ? そう、ここロストシティでエクリプスや規律違反をしたやつをぶっ殺し、民の平和を守る正義の味方」  上機嫌なのか、自分で言った言葉に「あはは」って笑う女怖い。 「君が泊まったところが《水天一碧》の基地局だよ。私もメンバーで、ハギが偉い人で、姉御が隊長だったかな……」  今度は急にため息をつく。この人、情緒不安定かもしれない。 「ロストシティは私たちが管理してる。だからここに来たやつは誰であろうと外に出すわけにはいかない」  厳しい眼光がオレの胸を真っ直ぐに射抜く。 「私たちは戦えないやつらを守る。強いから私たちは。その分食べ物とかいろいろ優遇してもらう。だから戦うんだよ」  戦わずして逃げたオレを嘲笑うように、目の前の少女はきっちりと立っている。 「戦えなきゃ死ぬ。殺さなきゃ死ぬ。君も戦えたら少しは足しになったのにね」 「……オレは弱いんだよ」 「知ってるよ。鉛玉しか持たされなかった下級兵士さん」  エクリプスを殺すために必要な水鉱石はとても貴重で、全ての人間に分け与えられるものではない。軍に入っても尉官クラスにならなければ支給されない。それまでにエクリプスと邂逅してしまえば水をかけて鈍器で殴るくらいしか対応方法がない。  若さまが抜いた二本の剣は透明に近い純度の刃先を持っていて、とても質のいい水鉱石を惜しげもなく使用して作られたものだ。それを持たされるということは信頼されているのだろう。 「君なんかに期待してないよ。……言い方が悪いね。私は他の人に期待なんてしてないんだ」  見た目の特別感。常人離れしたエクリプスみたいな運動神経。  人間に期待しろって方が酷なわけだ。 「期待ともかく、君はしばらく私か姉御んところでパシリくんだ」 「パシリ?」 「奴隷」 「あの、シオンさんって方の側につくことは?」 「シオン? 駄目に決まってんだろバカか」  そこまで蔑んだ顔しなくてもいいじゃんか。一番美人やったぞ! 怖かったけど! 怖さはもうみんな同じくらいだから、それなら大人の魅力をもつ彼女がいい。 「少年、君は私たちのために生きる以外の選択肢なんてないんだよ」   ◆  ◆  ◆  私の一日はほぼ室内で終わります。守られた室内にいるだけなのだから、それはこの世でとても幸せな部類なのでしょう。  家族は元気に生きていると思います。断定したいものの、今この瞬間に家族が化け物や野盗に襲われる可能性はゼロではありません。  私は運良く先生から物事を学ぶ機会を得、たまたま内容を上手く飲み込むことができ《水天一碧》の医者として働いています。《水天一碧》は私が生まれる前からこの地域一帯を仕切っており、周りの大人たちは日々彼女たちに尽くすように口うるさく諭すのでした。  事実、彼女たちなくして私たちは生きていけません。  “この世界”で絶対的な強さを誇るお二人がいなければ、そもそも人類は滅んでいたに違いないと区長はおっしゃっていました。その話を聞いて大げさに思わないのが《水天一碧》のメンバーです。 「シオン」  暇なのか暇じゃないのか分からない人ですけど、先生はよく私のところに顔を出し、患者が多い時は仕事を手伝ってくれます。  普段の言動はだらしがなく、かなり大雑把な生き方をしているくせに先生は器用で賢い。腹が立つくらいに。 「何ですか。勉強中なんですけど」  建物内はとっくに静まり返っていました。平和な夜です。 「眠れなかったから遊びに来た」 「話聞いてましたか。勉強中って言ったはずですが」  日中さんざん外で身体を動かしてもまだ元気みたいですね。 「夜更かしするから日中眠くなるんですよ」 「夜寝ると朝がくるじゃん」 「そうですね」 「嫌なんだよ。たまにすごく怖い」  私よりも幼い見た目をして、子供みたいなことをおっしゃる。 「シオンこそ眠れる時に寝ないと身体もたないよー」  勝手に診察用の椅子に先生が腰掛けます。すぐに戻る気がないようです。 「私が覚えたことを他の人にも共有しておかないと……私もいつ死ぬか分かりませんから」 「……そうだね」  姉さんなら嘘でも「あたしが守る」と言うのでしょうが、先生は基本的に“他人”の死に冷淡で、きっと私が組織を裏切るような行為をすれば、それが愛する家族のためやるしかなかったことだとしても殺す人です。 「シオンならしぶとく生きそうだけどね!」 「先生みたいにですか」 「ん、そうそう。姉御もね」  ここで名前を出してもらえない区長が少し哀れです。  姉御も区長も昔のことをあまり語りたがりませんが、いわゆる第一世代の生き残りで2010年の災厄から一緒にいるそう。 「そんなに長く生きていて楽しいですか?」  資料作りも捗らなそうなので私は引き出しの中にくたびれた紙をしまい、落ち着きなく足をパタパタさせる師匠に視線を移しました。 「楽しくないよ。そんなんとっとと死んだ方が楽じゃん」  なにバカなこと聞くのと言いたげに先生は手を振り、 「まぁ君たちが頑張ってるから。おねえさんたちが頑張らないと。他に代わりがいないしねー」  この人はまったくもってお姉さんらしくありません。様々な方面で経験値を蓄え、実戦で活かし、多くの人たちを導いてきましたが普段はただ子供っぽくて面倒くさい人。 「今さら片方欠けたらさ、残った方は頑張れないよ。だから私は姉御が頑張るならついていくだけかなぁ」 『あなたに言っても想像できないだろうけど、あたしたちは特別なんかじゃなかった。同じ環境に身を置く上で、一年なら一緒にいた方が楽だっただけ』 『もうあたしたちは特別になってしまった。戻れないの。あたしたちは死ねなかったから』 『若ちゃんは寂しがり屋なの。あたしは若ちゃんを理由にして毎日生きてきただけよ』 「はぁ、重たい依存関係ですね」  今更な話ではありますが。  ため息が出そうになるのを堪え、先生よりさらに後ろにある窓の外へ視線を移し、真っ暗な世界で気を紛らわせましょう。 「シオンは周りに頼らなすぎだよ。昔っからそう。君にはちゃんと家族がいるんだから、あんなに早い段階で出てこなくても誰も怒ったりしないよ」  限られた人数の中、私たちは生きていかなければなりません。  私たちは十六になると子孫繁栄を望まれます。また、十六までには自分の在り方を定めなければいけません。  基本的な流れであれば、男は《水天一碧》に従事する形で兵士になり、女は子を育み家を守ります。ただし、私のように医療智識を身につけていたりする者はこうして本部で内勤をしますし、先生や姉さんのように最前線で戦う女性もいらっしゃいます。  私の父は農業の知識に優れていることを買われ、戦いの道ではなく生産部門として地域の指揮をとっていました。 「私は畑を耕すより、傷口を縫う方が向いていただけです。後々教えを乞うより、先生に早く教えてもらった方がよかったですし」 「えー、シオンが縫う時痛いんだけど」 「それは先生が治療中じっとしていないからですよ」  この人は重症で運ばれてきても、「まだ姉御が」とか言って戦場に戻る。いくら丈夫な身体をしていても、こっちは生きた心地がしないからやめてほしいんですよ。 「でね、今度遠征に行くのよ」 「……もうそんな時期ですか」  忙しさのあまりスケジュールを全然把握できていなかったことに気づきました。  私が知る限り世界最強の先生は、エクリプス討伐のためにも、それこそ民衆をまとめるためにも一定のタイミングで他の地域へ視察へ向かうのです。 「今回は……北部。なるほど」 「まだ先だけどね。医療班の予定とか私分かんないからさ」  北部へ視察に行く道中、私の故郷があるわけで……。 「たまにはシオンも一緒にくるかなって」  正直、この無邪気な人についていきたい気持ちはあります。家族に会うことより、彼女が絶対に無茶をするから。特に北部は危険地域。 「ありがとうございます。医療班として同行が必要であれば申請をお願いします」  しかし、それ以上の爆弾を放置して私は何日もここを開けることはできません。 「そっか。まぁ手紙とか書いたら持って行ってあげるから」  本当の目的を話し終えた先生は我慢していたあくびをして、部屋を出て行きました。 「私の手紙なんて待っている人、いませんよ」
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