「赤い水曜日」と日常

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わたしがまた会ったね、と思うのはカレンダーの「赤い水曜日」だ。 わたしはホラーファンで、オカルトも少し齧っている。 オカルトファンの間では「赤い水曜日」の予言は有名だ。つまり「祝日の日の水曜日」に例の大地震が起こるというのだ。 被害が大きいと予想される地域に住むわたしには、これは笑いごとではない。 ついでに昨年の11月にも「赤い水曜日」の日はあった。 その前日は、持ち出し袋の中を確認したり避難食を確保したりでてんやわんやだった。少ない自分用の小遣いの中から、ガスコンロとガスボンベを買ったりもした。 幸いその日は何事もなく平和に過ぎた。 だけど、地震はそのうち必ず来るはずだ。例の大地震とは別に、約五十年に一度の周期で来ている小さな地震があるらしいのだが、そちらもわたしより年上の上司がまだ経験したことがないというのでいつ来てもおかしくない。 そして、(きた)る2023年5月3日。またしても出会う「赤い水曜日」である。 正直、予言などに沿って来てくれるのであれば、対策も出来るし覚悟も決めることが出来る。予測できないからこその災害だし、予言であるからこそのオカルトだ。それでも、気になるものは気になってしまう。今回もバッチリ準備して(少なくとも、したつもりで)迎え撃つのだろう。 迎える度に防災について考える機会になると言う意味ではありがたい。 わたしにとって今住んでいる地域は、第二の故郷だ。 人格形成から失敗したわたしに人生を生き直させてくれている。転生ではないし生まれ直しでもないが、どこか2周目の人生のように思っている。 ただ一つの問題はわたしが幸せについて耐性がない、ということだ。 未だに幸せな日々に慣れない。 慣れないうちに、持て余すうちに、終わってしまう気がしている。 それでも本当は、わたしが受け取ることの出来なかったはずの日々、幸福であるから感謝の念でいっぱいだ。 78fec835-680a-4abb-b973-3a12dddbb0ff 最近、写真の趣味が出来た。 と言っても軽い趣味で、手持ちのデジカメで、日常の景色や出先の景色をパシャパシャ写しているだけであるが。技術もない。 誘われた訳ではないが、誰かに見せたい伝えたい、そんな気持ちが眩しくて少し憧れてしまった。 地震が来たらこの日常も変わってしまうだろうか。 いつも見ている景色も変わってしまうだろうか。 分からない。自分の生存すら危うい。 けれど少しでも何か残せたらと願うものである。 *** 「赤い水曜日」とは別に、予言の大本命は、『2025年7月』だとも思っている。 とりあえずその日まで、精一杯生きていたい。
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