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第二話 いわてや食堂の美人姉妹
元警察庁長官の家、坂崎邸で家政婦として働く女性、舞。
今日は、坂崎夫妻が共に外出していたので、家には一人。
掃除や洗濯などを一通り済ませると、夫妻が戻る前に、夕飯の支度をするために、買い物に出掛けた。
買い物は、坂崎家の夫人、晶子と一緒に行くこともある、下町の商店街。
「舞ちゃん、今日も綺麗だね!はいよ、これおまけ!」
「舞ちゃん、コロッケ、ご家族でどうぞ!」
「あら舞ちゃん、今日は一人?一パック多く入れとくわね」
晶子夫人の馴染みの魚屋、肉屋、やおや…、行く先々で色々もらう舞は、商店街の店主たちの間でファンが少なからずいた。
無表情で愛想がいいとは言えない舞だが、しつこい“ガラの悪い男二人”をやっつけたことで、すっかり人気になったのだ。
この下町の商店街には美人姉妹が営む“いわてや食堂″という飲食店がある。
“こと”が起きたのは、一ヶ月ほど前のこと。
もともと姉妹の両親が経営していた食堂だったが、父が大病を患い、母が付き添う形となり、しばらく休業していた。
しかし治療の甲斐なく父は旅立ち、何と不幸は続くもので、まるで後を追うような形で母は事故死した。
残された娘二人、二十五歳の姉の“琴慈、二つ下の妹の“琴音″は、悩んだ末、食堂経営を二人で続けることを決意したのだ。
両親ともに、お客さんに美味しいと笑顔をもらえることが本当に生き甲斐だったという。娘二人は、志半ばで旅立った両親の気持ちを組み、出来る限り、食堂を続けるということに至った。
小さな頃から、商店街で育った姉妹は、近所の人々からも可愛がってもらっていた。それ故に、姉妹が食堂経営をすることには近隣の人々は誰もが応援をしてくれた。
琴慈は、専門学校を出て調理師の資格を持っており、琴音も同じくパティシエ資格を持っていたことも、経営を続ける決心に繋がった理由だ。
両親の時より少し洒落た雰囲気のメニューも増えたが、父の残したレシピメモから、定番の定食や丼物も引き続き食べることが出来た。
まして二人は美人。
食堂は以前より繁盛を見せていた。
だが、良いことばかりではなかった。
食事よりも美人姉妹目的の輩も少しずつ現れるようになった。
それでも近隣の人たちが気がつく限りで目を光らせてはいたので、ストーカー被害などのトラブルはなかった。
だが、その相手が“ヤクザ″の名前をチラつかせる男二人となると、簡単な話ではなくなった。
「こ、困りますお客さん…」
注文のビールと料理をテーブルまで運んできた琴音の手首を引っ張るのは、チンピラ風な男二人。
派手なワイシャツにストライプ柄のスーツを着たオールバックの男と、金髪で派手なTシャツにネックレスを首に掛けた男だった。
この二人が来るようになって、姉妹はほとほと困り果てていた。交際を求めたり、強引な誘いをしてくるからだ。
だがこの日の男らは、それまでよりも酷かった。
「いいから隣座れって、なぁ、ちょっとビールつきあってくれや」
オールバックの男は、力づくで琴音を隣に座らせると、ニヤニヤしながら彼女の肩に腕を回した。
「なぁ、いい加減俺らと付き合えよ。悪いようにはしねえって。こんなショボい店の経営なんてしなくても、食うのに困らせねえって」
オールバックの男が嫌がる琴音の耳元で、生暖かい息を吹きかけながら、そう囁く。
「あなたたち!本当いい加減にして!」
厨房から出てきた琴慈が、怒気を込めて声を荒げた。
「何だ何だ、ここは客に対する態度がなってねえなぁ、あ?…と、言いたいところだが…俺は気の強い美人が好みでねぇ」
金髪の男は椅子から立ち上がると、ドス黒い笑みを浮かべて、琴慈に迫ろうとした。
物怖じしない琴慈だが、男の力で抱き寄せられれば、抵抗は難しい。
「や!やめて!」
琴慈は両腕をつっかえ棒にして抵抗するも、金髪男の懐に抱き寄せられてしまった。
金髪男は、密着した琴慈の髪に顔を埋める。その仕草にゾッとした琴慈は、思わず男の顔に平手打ちを放った。
「んー…いいねえ、本当に気の強い!ベッドで服従させるのがますます楽しみだな」
平手打ちは、返って金髪男を興奮させた。
「おい、あんたら!何してる!」
食堂の様子がおかしいことに気づいた、向かえの“尾形精肉店”の店主が、若い男性従業員と共に、勢いよく入ってきた。
「あん!なんだお前ら」
入ってきた精肉店の店主らに、鋭い眼光を放つチンピラ風な二人。
「…っ!」
店主らは一瞬臆したが、幼い頃から知ってる姉妹を助けるために、男らから引き離そうと近づいた。
だが、次の瞬間、精肉店の店主は、オールバック男に蹴り飛ばされ、ガタガタン!と、テーブルや椅子にぶつかりながら倒れた。
「社長!」
慌てて駆け寄り、店主を抱き起こす若い男性従業員。
「警察だ、警察を呼ぶからな」
精肉店の男性従業員がそう叫ぶと、オールバックの男が小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「肉屋風情が生意気な。俺たちのバックには、泣く子も黙る“山東会“傘下、竹中組がいるんだぜ。もし警察沙汰にするっていうなら、今後、テメーらが自分の店で挽肉にされると思えよ」
そう脅されると、店主も従業員も返す言葉も出なくなる。
姉妹もその様子に、精肉店の店主らに申し訳なさも感じつつ、そして二人の男にすっかり恐怖してしまった。
「あーあ、今夜はここで“交流を深める”だけのつもりだったが、しらけちまったぜ」
「だな。仕方ねえ、早く店じまいして、これから一緒に新宿のホテルに行こうぜ」
チンピラ風の男二人は、俯く姉妹の顔を覗き込むようにそう言う。
このまま連れ去られてしまうのか…、姉妹がそう恐怖を抱いた時だった。
そこに現れたのが、舞だった。
食堂の外は、人だかりが出来ていた。
騒ぎに気づいた近隣の人たちが集まっていたのだ。
だが、あまり関わりたくない風体のチンピラ二人。それも精肉店の店主が蹴り飛ばされたのを見て、助けたくても皆一歩踏み出せないでいた。
そんな中、舞は躊躇することなく買い物袋片手に、食堂に入ったのだ。
舞の姿に気づいた、店内の全員が彼女の方を振り向いた。
精肉店の店主は、舞のことは知っている。
お得意で常連の“坂崎の奥さん”と共に来ることも、また一人で来ることもあり、家政婦の制服姿が一際印象的だったからだ。
「あ、あんた…坂崎さんとこの……ダメだ。は、入ってきちゃいけない」
床から立ち上がりながら、店主は舞に
今すぐここを出て行くことを促した。
「おやおやおや…なんかまたまた美人が入ってきましたよおお」
舞を見るなり、金髪男は、笑みを浮かべながら舌なめずりをした。
「いいねぇ、今夜は盛り上がりそうだ」
オールバックの男も興奮気味になる。
舞は、そんな嫌らしい男らの視線など、意にも介さずといった雰囲気で相変わらずの無表情だ。
「…今から竹中組の事務所に電話をします」
舞がそう返すと、オールバック男と金髪男はお互いの顔を見合い、首を傾げた。
「は?ねーちゃん、何言ってんの?」
二人の男は怪訝な顔で睨む。
「…暴力団は“カタギ”には手を出さないことは常識です。それに、この商店街は特にどの裏組織とも関わりはない区域。そこで組の名を語り、横暴な真似をしたわけですから、組の関係者であろうがなかろうが、この事態を竹中組が知れば警察沙汰より大変なことになるのでは?」
淡々と語る舞。
だが、何とも説得力のある内容だ。姉妹も、精肉店の店主らも、“え、そういうものなの?”という反応を見せた。
逆に、チンピラ風の男二人はその顔から余裕の笑みが消えた。
そしてオールバック男と金髪男は、それぞれ抱き寄せていた食堂の姉妹を、その手から離した。
「お前、女のくせに何ナメたこと言ってんの?」
「ちょっと外出ようか、おねえちゃん。俺らに付き合ってもらうぜ」
少し焦りを見せつつ、舞に危害を加えようとする殺気が見え隠れする男二人。
「お断りします。夕飯の支度があるので」
表情も口調も変えることなく、丁寧に返した舞の態度が癇に障った男二人は、彼女を無理やり外に連れ出そうと歩み寄る。
そしてオールバック男の方が手を伸ばし、彼女の左腕を掴んだ。
その瞬間だった。
オールバック男は自分の足の下から、フワッと“床が消える”感覚を覚えた。
「え?」
間抜けな顔で一言そう口にした直後、ドッ!と勢いよく床に体を打ちつけた。
「おうわっ!」
悲鳴を上げるオールバック男。
舞は、左腕を掴まれた瞬間、男のスーツの右袖を掴み返し、そして同時に買い物袋を手から放し、その手で襟も掴み、足を思い切り払ったのだった。
あまりに華麗な足払い、そして体格で自分より劣る細身の女性からそんな技が繰り出されるなど想像もしていなかったオールバック男は、床に落ちた時には何が起きたか理解していなかった。
さらに受け身を取る間もなかったので、床との衝突で呼吸困難に悶えた。
その様子を見た金髪男は、「テメーやりやがったな!」などと陳腐なセリフを喚き散らしながら、右拳を舞に向けて突き出した。
しかし舞は左手で飛んで来た男の拳を外に薙ぎ払う。
そして隙の出来た金髪男の腹部目掛けて、正拳突きを放った。ドッ!という鈍い音ともに、金髪男の感じたその衝撃は、まるで腹部から背中に浸透するように響き渡った。
「ぐおお…お」
金髪男は情けない声を出し、腹を抑えながら体を“くの字”に床に倒れ込んだ。
最後に舞は、まだ咽返しながらも意識のあるオールバック男の喉目掛けて手刀を喰らわせた。ダメ押しの一発だ。
オールバック男は白目を剥いた。
静まり返る店内。
スレンダーな家政婦が、その見た目にまったく似つかわしくない、華麗な武道の技で、体格に勝るガラの悪い男を二人をあっという間に叩き伏せた。
食堂の姉妹も、精肉店の店主らも、目を広げ、ただただ驚くばかりだ。
激しい技を繰り出しにも関わらず涼しげな様子の舞は、まったく表情を変えることなく、姉妹の方を向いた。
「あの、すみません、電話お借りしても…?」
その一言でハッとした姉妹二人は、身を寄せ合いながら、同時に頷いた。
すると舞は、受話器を手に持ち、番号をプッシュした。
「……もしもし?竹中組事務所ですか?」
舞の口から発せられた言葉に、何?何?何?と、もう頭が混乱する姉妹、精肉店の店主ら。
舞は、本当に暴力団 竹中組に電話を掛けたのだった。
組の名前を使って脅迫し、食堂を経営する姉妹にちょっかいを出し、それを助けようとした精肉店の店主を蹴り飛ばし暴れたことが、電話口で語られた。
「…はい、ええ、とりあえず現場で動けないようにしてありますので、よろしくお願いします」
ガチャ…と、受話器を置くと、舞は出入り口に向かい、床から買い物袋を拾い手にした。
「…これから、竹中組の構成員の方が、一番近い事務所から来るそうです」
“ヤクザが来る”、その言葉に更に絶句する姉妹と精肉店の店主ら。意味がまったく解らない。
「大丈夫です、それが一番ですよ」
警察を呼んでも、この床に倒れた男たちは逮捕こそされるが、大した罪には問われないだろうと、舞は言った。
そうなれば、またここにやってきて、復讐される可能性があることを考え、口していた“竹中組”に相談した方が賢明であると判断したのだった。
このチンピラ風な男二人が、本当に竹中組の関係者だとしても、カタギに手を出したことで間違いなく罰を受ける。勝手に組の名前を使って、実際には無関係なのだとしたら、尚酷いことになるだろうと、付け加えた。
「あとは、その人たちにお任せしましょう。失礼します」
舞がとても強いことにも驚いたが、何よりヤクザの在り方について詳しく、竹中組の電話番号まで知っているという、ツッコミどころ満載の舞。
立ち去ろうとする彼女に、琴慈と琴音の姉妹は、頭を深々と下げて礼を述べた。
それから十分ほどすると、竹中組の構成員数名がやってきて、姉妹と精肉店の店主らに謝罪をした。
チンピラ風な二人の男は、実際には組との関係はなかったので、竹中組が謝ることではないのだが、それでも自分たちの組の名前で迷惑を掛けたことに頭を下げ、姉妹には迷惑料と店内を荒らした分の弁償代を。助けに入った精肉店の店主には、治療費をそれぞれに置いていった。
ヤクザの金を受け取っていいものか戸惑ったが、人を騙したり脅したりした汚い金ではないことの説明もあり、構成員たちに恥をかかせないようにと、精肉店の店主が、姉妹に「では、受け取ろう」と促した。
ここで出た分の金は、今から事務所に連れて行かれる二人の男から搾り取るつもりであるとは、皆想像していないことであったが、オールバック男と、金髪男が、その後、臓器を売ったのか、マグロ漁船に乗せられたのか、商店街の人々が知ることはなかった。
これが、愛想のない舞が商店街で人気となり、よく買い物の時におまけをいただくようになった理由である。
目的の物を買う以上に荷物が増えるので、いつも一人の買い物の時は帰りが大変な舞なのであった。
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