第三話 性犯罪者と、美味しい夕ご飯

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第三話 性犯罪者と、美味しい夕ご飯

 高齢夫妻の坂崎家で、家政婦として働く、舞。  今日は珍しくお休みだった。  坂崎夫妻は、二泊三日の東北温泉旅行へ行き、家は留守だからだ。  旅行には、“2号″の前田が同行していた。  自宅は、契約している警備会社のセキュリティシステムを設置しているが、数日の留守が見込まれる場合は、自宅警備に、人が常駐する契約となっていた。  当然だが今回は“1号″の高田だがそれに当たる。 「それじゃ、高田さん。ちょっと出掛けてきます」 「はい、行ってらっしゃい。気をつけて」  今日は私服の舞。  デニムのパンツにスニーカーと、若者らしいカジュアルな装いは、彼女の顔を知っているご近所さんも、挨拶をされるまで“舞″だと気づかないでいた。  それだけ近隣では、舞の制服姿が印象に強いのだろう。  そして今日の舞の外出の目的は、都内にある図書館。  天候にも恵まれ、駅まで歩くのにも気持ちいい日だった。  図書館では、古い新聞記事を幾つか調べ、そして気づけばあっという間に十四時を回っていた。  調べごとも概ね出来たところで、空腹を感じた舞は、帰り道の途中で軽くランチでも済ませようと、図書館を後にした。  帰り道は、ランドセルを背負った小学生たちが目につく。  笑顔で楽しそうな小学生の放課後。実に微笑ましい。  聞こえてくる会話、笑い声。  普段は無愛想な舞も、少し口元が緩み、口角が上がってしまう。  そんな中、赤いランドセルを背負った女の子二人組に、視線を向ける人物がふと気になった。  男性。  年齢は三十前後だろうか。  人通りのある道。大人も行き交ってはいる。  しかしその人物の目つきと、視線に違和感を覚えた舞は、ピタリと足を止め、通り過ぎた二人の少女の方へ踵を返し、距離を取って付いて行くことにした。  気のせいならば、それでいいと。  だが、舞の違和感は当たった。  男は、舞の存在に気づかないまま、少女たちを尾行している様子だった。  人がいないところは危ないから行かないようにと、子供達に教える大人。しかし意外にも人のいるところにこそ、子供にとっての危険人物は潜んでいる。  “人がいるから安心”というのは、大人の勝手な思い込みであり、実際には他人の子供のことなど、見ている大人はいない。  むしろ、そういった油断があるからこそ、人混みで、子供を物色する輩が一定数いる。  変な大人に連れていかれる子供の姿というのは、人混みの中では返って目につきにくく、休日のモールで性犯罪の被害にあう子供、誘拐される子供の数は、毎年一定数いるのだ。  今、少女たちを尾行している男も、服装は小綺麗で、一見すると怪しさはない。 「ばいばーい、また明日ね!」  二人の少女は手を振って別れた。  男は迷わずに左の道に行った方の娘の後を追う。最初から狙っていたのがそっちの少女ということなのだろうか?  そしてこの先は住宅街に入り、人通りが一気に少なくなる。  もし男が、“何かやらかす”のであれば、おそらくはその時だろうと、舞はそのまま後を追った。  男が今尾行している少女を選んだのは、あるいはこの土地勘があってのことかもしれないと、足取りに迷いもなく、既に何度も同じことを繰り返している常習犯の可能性を感じた。  そしてその男の手際の良さが、その予想をより濃厚にさせた。  少女が住宅街に入る十字路を左に曲がった瞬間だった。男は小走りで左に曲がり、背後から少女の口元と、右手首を押さえて、側の建物の階段下へと引っ張り混んだ。  突然のことに何が起きたのか理解出来ない少女は、口を押さえられていたこともあったが、声も出せず、抵抗するという発想すら思い浮かぶことはなかった。  建物は空き家のようで、階段が死角になって道路から二人の姿は見えない。  自分には関係ないと思っていた、悪い大人の犯罪に巻き込まれたことを、少しずつ理解してきた少女は、急に恐怖に襲われ、身震いしだした。 「ああ、ほら、怖がらないで…痛くしないから安心してよ。ちょっと、ちょっとだけ、服脱いでくれればいいからさ」  ニヤつく男の顔、そして意味不明な発言に恐怖する少女は、心臓が高鳴り、足がすくみ、逃げることも出来ない。  頭が真っ白、まさにパニックだった。 「あなた、何が“ちょっとだけ”ですか?」  恐怖に強張る少女の耳に入った、女性の声。振り返ると、黒のショートヘアの“おねえさん”が階段横に立っている。  舞だ。  少女はこの時、とにかく目の前のこの“おねえさん”がヒーローに見えたと後に語るが、それくらい何か頼れる雰囲気を醸し出していた。  男の方は、“見られてはいけないものを見られた”といったような、目を広げて逆に恐怖に駆られた顔になっていた。 「いや…あの、これはその、僕はこの娘と知り合いで…たまたまこうなったというか」  何をトンチンカンなことを言っているのか、混乱する頭で懸命に言い訳をしようとしている様が、哀れになる舞は、腰に手を当て鼻でため息をついた。 「君、こっち来なさい」  舞が少女にむかって、そう言うと、男は表情を一変させ、怒りを見せた。 「はあああ?何勝手なこと言ってんだ!この娘を狙うのに二週間も掛かったんだ!その苦労も知らずに邪魔すんじゃあねえよ!」  男は叫ぶと、右ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出し、間を空けずに舞に向かった突き出した。  階段と金網の狭い間にいた舞は、左右にかわすことが出来ず、飛んでくる切っ先が届かない位置にバックステップで距離を取る。 「僕はお前みたいな“育ちきった女”じゃ満たされないんだよ!死にたくなければあっち行け!」  男の更なる追撃。  だが、隙間から出た舞は真っ直ぐ飛んでくるナイフの軌道を左掌底で外した。  男のナイフを持った右手は、腕ごと自身の体の左側に弾かれる形となった。舞はその隙を逃さず、男の顔面目掛けて、右の掌底を打ち込んだ。 「ハグわっ!」  ドッ!と鈍い音が聞こえたと同時に、情けない悲鳴を上げる男。その頭部は後ろに仰け反り、意識を刈り取られた。  カランと音を立てて地面に落ちるナイフ。数瞬遅れて崩れ落ちる男。  男がナイフを握ってから、ほんの三秒ほどの攻防だった。  舞は涼しげな顔で、落ちたナイフを足で軽く蹴り飛ばした。  白目を剥いた男の鼻から、タラタラと鼻血が流れてくるが、鼻骨が折れたのだろう。カウンター気味に掌底が勢いよく入りすぎたのだが、舞は決してやり過ぎとは思わなかった。 「さ、もう大丈夫よ」  舞が屈んで少女にそう言うと、少女は自分が助かったことを理解し、今になって涙が溢れて出てきた。 「怖かったね」  舞は泣きじゃくる少女を優しく抱きしめた。  騒ぎに気づいた近隣に住む人が、すぐに警察に通報。  静かな住宅街が、一時は騒然となった。  舞は、警察に保護された少女と共に、事情聴取を受けることになった。  逮捕された男の方は、宮本(みやももと) 歩夢(あゆむ)。二十九歳の無職だということだ。その割にいい身なりだと思ったが、都議会議員の息子らしく、親の脛かじりだと知った。  その議員である父親は、被害者少女の両親と示談で解決を試みたが、取り調べで、息子に余罪があることが判明。  被害者少女の両親は、自分の娘こそ助かったが、これまでの被害者のことを考えて示談を却下した。  少女の心に負った傷は決して浅いものではないが、最悪の体験は免れたことと、助けにきた舞の印象が凄すぎて、それが心の支えになっているようだった。  宮本 歩夢の鼻はやはり折れていたが、相手はナイフを持っていたことで、正当防衛は成立する見込みとのことだった。ちなみにナイフは、少女を騒がせない脅しのために持っていたもので、殺意はなかったと言っているらしい。  後にニュースで言っていたことだが、宮本 歩夢は、子供の頃から、いわゆる気持ちの“振り子の幅”が狭い傾向にあり、普段は気が小さいが、突然普通の人なら出来ないことやる人物だったという。  少女への猥褻行為をする、突然ナイフで切りつけるなど、その典型だと言えた。 「ただいま戻りました」  坂崎邸に帰る頃には、時間は二十時を回っていた。 「おかえりなさい。遅かったですね。随分とハメを外されましたか?」  出迎えた高田が、少し心配そうに尋ねると、舞は「まあ、ちょっと…」と返した。  そんな舞の鼻に、何かいい匂いがするのを感じた。 「…高田さん、何か作ったんですか?」 「ええ、夕方になっても、舞さん戻られないので、簡単な野菜炒めを…。勝手に食材使わせていただきましたが、大丈夫でしたか?」  舞は珍しくクスッと笑みを見せた。  屈強そうな高田が、料理をする姿を想像して、思わずだ。  それに昼食を逃したことを思い出し、漂う匂いに急に空腹感が増してきたことで、気持ちが緩んだのだった。 「明日、買い物行きますから、問題ありませんよ。その、私の分もありますか?」 「あ、ええ。大雑把な男の手料理でよければ、まだ残ってますよ」 「よかった。ぜひ、いただきます」  高田が温め直した野菜炒めと、白米に味噌汁。野菜も肉も、切り方が豪快で大きく、高田らしさの出ているものだが、この日の夕飯はとても美味しかった。  つけていたリビングのテレビで、下校途中の少女を狙った性犯罪者逮捕というニュースが流れた。  神妙な面持ちでニュースを見ている高田には、同じ年頃の娘がいることを話してくれた。ニュースの内容に、他人事とは思えないのだろう。 「…しかし被害者の娘、偶然に通りかかった女性に助けられたらしいですが、よかったです。その女性がいなかったら、加害者はこれからも同じような犯罪を重ねてたでしょうしね」  高田がニュースを見ながらそう言うと、舞は食後のお茶を飲みながら、「そうですね」と一言返したのだった。
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