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第一話 家政婦、舞の隠れた特技
その女性、“舞”は、家政婦派遣会社“angel housekeeper”に所属の家政婦。
“angel housekeeper”は、人材を家政婦として派遣するだけではなく、家政婦として質の良い人材に養成するために一定の教育を行っており、不向きな人間はその時点で辞めていくので、派遣先からの評判は平均して良い。
その分、同業他社と比べて価格設定は高いが、それでも短期、長期とも契約数はそれなりに取っていた。
特徴は制服。
昔のお屋敷にいたメイドのような装いは、スレンダーな舞にはよく似合っていた。
舞の派遣先は、“坂崎家”という老夫婦宅。主人が元警察庁長官という、いわゆる金持ちの家だ。
主人の名は昭夫。その妻の名は晶子。
しかし舞を直接雇ったのは、その老夫婦でなく、一緒に住んでいた孫娘だった。
大学卒業後、警察官となった孫娘の“涼子”は、職場はこの家と同じ都内だが、外に出て一人暮らしがしたいということで、出て行くことになったという。
高齢の祖父母を気にした涼子が、家政婦を雇ってはどうかと提案したのが切っ掛けだった。
もっとも、八十歳を過ぎてはいるものの、二人とも元気で、人並みに自分のことは出来るので、舞の仕事は随分と楽な方であった。
そんな舞は、坂崎邸に住み込み契約をしていた。
孫娘が家を出たせいもあるのか、若い舞が一緒に住むことには、坂崎夫妻は歓迎してくれた。
坂崎邸には、舞の他に“高田″、そして“前田″という二人の男が、日常的に出入りをしていた。
二人は舞とは異なり住み込みではないが、元警察庁長官である坂崎の身辺警護兼運転手のため、警備会社から派遣されてるボディガードである。
近年は民間SPなどとも呼ばれる彼らは、民間人でありながら銃の携行が許可されている国家資格、ボディガードライセンスを取得している。
退職、退任後も、警察組織や社会に一定の影響力を持つ元公人が、その命を狙われたことは、多くはないものの実際に起きていることであり、警察庁はそういった人物には民間警備会社に依頼をし、警護を必ず付けるようにしていた。
さすがに現職の公人ではない者には、SPの警護や、自宅にポリスボックスの設置は出来ないので、A級と呼ばれるボディガードが所属している警備会社へ頼る形を取っていた。
高田も前田も、身長180センチはあり、ガッチリしているのがスーツの上からでも見て分かる。
舞はそんな二人を、心の中で“ガード一号、二号″と密かに名付けていた。
一号が高田。二号が前田。
坂崎邸に来て、自身が知り合った順番だ。
「おはようございます」
朝六時、坂崎邸に来た“ガード一号″こと高田に挨拶をする舞。
舞は、丁寧に、だが表情はそのまま。この少し無機質な感じが、彼女の特徴だった。
「おはよう舞さん」
そんな彼女に、優しい笑顔で挨拶を返す高田。
屈強そうに見える角刈りと、やや堀の深い顔の高田。そしてそんな見た目によく似合う、低い声。
しかし優しそうな笑顔で挨拶を返す姿は、まるで頼れる正義の味方だ。
左手の薬指に着けている結婚指輪からも、さぞ“いい夫″なのだろうと、想像してしまう舞。
最初は、舞の無機質な雰囲気にやや戸惑った高田だったが、彼女の丁寧な仕事ぶりや、坂崎夫妻が可愛がっているところを目の当たりし、もう慣れた。
この時間は警護の交代だ。
リビングから前田が出てきた。
“ガード二号″こと前田の髪型は刈り上げての七三分け。一重まぶたの薄い顔だが、鋭い目つきと、高田に負けない体格が、屈強そうな雰囲気を漂わせている。
彼は独身らしいが、恋人はいるという話を一度聞いたことがあった。
「お疲れ様、シフトの交代お願いします」
前田がそう言うと、高田は「確認しました。これより護衛シフトに着きます」と返した。
「お疲れ様です、前田さん。今、紅茶を淹れます」
前田は、仕事終わりに、舞のいれる一杯の紅茶を飲むことを日課としていた。
ちなみに高田の時はコーヒーだ。
二人の警護のメインは、元警察庁長官である主人の昭夫だ。
昭夫が外出する際は、運転手も兼ねて共に行動する。
妻、晶子が外出する際は舞が同行していた。
そんなある日のこと、舞は、晶子夫人に付いて、下町の商店街に食材の買い物に来ていた。
晶子は、もともと裕福な家柄の出身だが、昔ながらの商店街や市場での買い物を好んでいた。
舞の作る料理も喜んで食べるが、今でも自身で料理をすることもあり、買い物もこうして自ら出向き、商店街を歩きながら、店々の人たちと会話を交わすことを楽しんでいた。
そういったところが、高齢になっても健康でいられる秘訣なのだろうと、舞はそんな晶子夫人を見ながらの買い物は結構好きだった。
必要な食材を手に入れて、商店街のパーキングに停めている車に向かう二人は、今日はいい魚が買えたなどと、会話を交わしていた。
そんな二人に、そっと近づく者がいた。
その人物は、サングラスを掛けた、二十代くらいの若い男。
原付に乗っている。
目線は明らかに二人。いや、正確には晶子夫人の持つバッグだった。
晶子夫人と一緒に歩いている舞は、両手は買い物袋で塞がっていた。そして晶子夫人は身なりからも“金を持っていそう”だと、若い男は、ブランド物のバッグに目をつけたのだった。
ましてやバッグの持ち主は、見るからに高齢者であり、最高のターゲットだと、男はニンマリと笑みを浮かべてさえいた。
その目の付け所と、躊躇のない行動、男はいわゆる“引ったくり”の常習犯だ。
雑踏に掻き消されるよう原付のエンジンは蒸さず、ゆっくり、ゆっくりと二人に近づく若い男。
そしてそっと、晶子の手にあるバッグに向かって左腕を伸ばす。
バッグまであと50センチ…、40センチ…、
引ったくりの成功が頭を過り、心臓が高鳴る若い男は、原付のスピードを上げようとした。
しかし、その指が、バッグの紐に掛かろうとする、
その瞬間だった。
バシンッ!!
静かに音を立て、しかし激しく、男の伸ばしていた左腕が、上に弾けた。
「…え?」
まるで挙手でもしたような格好の男は、何が起きたか解らなかった。
そもそも解る前に、男の意識が飛んだ。
顔面に“何か″が飛んできて、勢いよくぶつかった。それが男の、次に目覚める前の最後の記憶だった。
男の伸ばした左腕は、舞が蹴り上げた右脚によって弾かれたのだ。
舞の両手は買い物袋で塞がっていたことも、その場で何も抵抗出来ないだろうと判断し、男がターゲットにした理由だった。
それ故に、まさか両手が塞がってる彼女が自分の腕を蹴り上げるなどとは、全く想像していないのは当然であり、どうして自分の腕がバッグに手が届く直前で弾かれたのか、理解出来るはずもなかった。
そしてその次の瞬間、舞は蹴り上げた右脚を地面に着地させたと当時に軸足に、左足で上段蹴りを男に放ったのだった。
二人を通り過ぎ様に、バッグを引ったくって去ろうとしていた男は、成功したと思った瞬間に、原付のスピードを上げようとしていた。
そのタイミングで、顔面に飛んできた上段蹴りの威力は、倍して男の頭部へダメージを与え、意識を刈り取った。
掛けていたサングラスは壊れ、首を後ろに仰け反らしながら、晶子夫人の横を通り過ぎて行き、数メートル先で原付ごと倒れた男。
「あらやだ!危ない!」
ヒュンッと真横から風を感じた晶子夫人は驚き、舞にしがみついた。
その時には、靡いた制服の長いスカートと、上げた右脚が地面に戻っていた。
晶子夫人は、自分のバッグが引ったくられようとしていたことも、舞が華麗な蹴り技でそれを阻止したことも、まったく気づいていなかった。
「危ないですね、こんな商店でバイクを跳ばすなんて。大丈夫ですか、奥様」
涼しげな顔で、そう言う舞。
「え、ええ、私は何とも…。あの人、救急車呼んだ方いいかしらね」
騒めく周囲の人たちを見て、舞は首を横に振った。
「いいえ奥様。皆見てます。既にどなたか呼んでいることでしょう。早く帰宅して、今夜のお食事の準備をなさいませんと」
そう言い、晶子に帰ることを促す舞。
実は彼女、晶子夫人を守ったのは、これが二度目であった、
舞…。履歴書には書いていないが、無門会空手の二段黒帯。加えて“無門会空手オープントーナメント″女子の部優勝の経験も一度あった。
坂崎家は、屈強なボディガードを三人雇っている。
いや、屈強なボディガード二人と、美人だが愛想のない無機質な家政婦一人を雇っている。
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