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レストラン保守契約
さすがは頑丈さが売りの警察車両だ。分離帯に乗り上げて横転してびくともしない。安全ベルトを引きずって女が這い出た。緊急車両優先ルールが効いて幸い巻き添え事故はない。間欠性跛行を繰り返しながら歩道へ逃れる。
「ちょ、マテや」
凸郎はフロントガラスを蹴破って運転席から脱した。
わらわらと人だかりができる。スマホをかざして群がって来る。
「はぁ……はぁ」
女は髪を振り乱し全力疾走する。野次馬は一顧だにせず事故車に向かって雪崩うつ。凸郎はあっという間に取り囲まれた。
女はスカートのポケットから携帯を取り出して開いた。それはLTEのドラフト規格を先取りしているため現代の地上局にもばっちりアクセスできる。
「お前はもうおしまいだ」
裏切り者はピンチに陥っていた。だが追い込む側もまた瀬戸際にいた。
餌食は懐刀を持っていた。それはおごる者が蒔いた種でもあった。
トゥルルルル。
「チーム長、鳴ってますよ!」
「あン? てめぇのだろうが」
ひるんだ隙に岡部がジャンプした。
鉄格子が嵌った窓は割れない。だが、その破片は凶器になる。
「チーム長、いい加減に目を覚ましてください」
岡部はそれを振りかざした。
バナナを持ったようなシルエットが窓明かりをさえぎる。
「わあっ」
長谷部は怯んだ。
「チーム長!」
破片が左右に揺れる。ぎらつく。
「なぁっ! 岡部。やめろ、やめろ。話し合おうじゃないか」
殺虫剤を浴びたゴキブリのように長谷部は這いずり回った。
「だったら俺を追わないで下さい。そもそもチーム長の蒔いた種ですよ」
岡部はグリフォンの初期モデルを掲げた。莫大な捜査経費を投じて競り落とした。
「や、やめろ。わかったからそのボタンを押すな!」
長谷部は右手のひらをヒラヒラさせた。その腕が震えている。
液晶にアプリが全画面表示され赤い丸ボタンが点滅している。
「では退院させていただきます。あしからず」
岡部はガラス片をベッドにそっと置くと足早に立ち去った。
目が合った瞬間に言われた。
「おや? またお会いしましたね」
「はぁ?」
レストラン檸檬のオーナー飛田は耳を疑った。その業者に知り合いはいない。
なのに作業服姿の男は妙に馴れ馴れしい。
「今日は頑張って急ぎました。ちょっとだけ時間はありますよね?」
肩まで伸びる栗毛と日焼けしらずのうなじがなまめかしい。
「……ていうか、保護室は面会謝絶のはずだぞ」
飛田は頭から布団をかぶった。
「だからこそこうやって二人でお話できるんですがねぇ」
男はそそくさと作業服を脱ぎ捨てた。がっしりした骨格に無理やり脂肪で丸みをつけた。そんなちぐはぐな体付きをしている。
「ふざけるな。妙な細工で脅しやがって! 金が欲しいなら権利書ごとくれてやる。一等地だ。十年は遊んで暮らせる」
飛田はうんざりした顔で言う。
男は見せつけるように起伏の乏しい腰をベッドの高さに合わせる。
「アタシはお店なんかほしくないの。お金もね」
そういうと帽子を脱ぎ肩甲骨を栗毛で隠した。そして短いスカートを履く。
「俺か? 娘がいるんだ。示しがつかない。金ならいくらでもやる」
首を振る飛田に男は迫った。
「いたでしょ?」
「いた? 今でもいるぞ」
飛田は断言した。
「ああら、そう」
男は道具箱から女物のスマートフォンを出した。
ニュースアプリを起動しバックナンバーを検索する。
飛田の眼が釘付けになった。「【速報】警察発表によると女性の名前はタカナシ・エリコさん」
「うそだろう!」
飛田の脳裏で忌まわしい過去がジェットコースターのように駆け巡った。
◇ ◇ ◇ ◇
素っ頓狂な企画が良く通ったものだと思う。
その年の夏。日本のテレビ局は恥も外聞も輸出した。
場所は北米大陸。
「史上最大! アメリカ大陸横断婚活レース」の激戦地、テキサス。
ゲームを制した飛田は対戦者を娶って勝負を降りるか辞退してハイスペックの相手を探すか迫られた。
飛田は家庭を選んだ。挙式は番組スタッフが用意したチャペルで行うことになった。
ウェディングケーキ入刀の場面でそれは起きた。
仕込まれた花火が暴発し新婦のドレスが燃えた。
垂直に噴きあがる炎をマスコミはケーキ火山とあげつらってテレビ局を攻撃した。番組は打ち切りになり制作プロダクションは潰れた。
飛田は男手ひとつでエリコを育てた。血のつながらない連れ子であるなら母親の分以上に愛しようと決意した。
その愛娘もどこかの馬の骨と駆け落ちした。
飛田は酒におぼれ鶯谷に肌のぬくもりを求めた。
もう何も失いたくない。誰も彼も愛という言葉すら信じられなくなった。
自暴自棄の捨て鉢を拾う神がいた。
ホテルサウナの出会いは忘れられない一夜になった。
「アタシ、岡亦エージェンシーの社員だったの」
枕元で男は告白した。
「アメ婚の?! そうか……それで俺をおっかけてたのか」
飛田は納得し赤い糸の力を感じた。手術痕を見つけるまでは。
飛田の傾向はそちらの方面ではないので、正体を知るや早々に逃げ出した。
スマホの電話番号を変え、引っ越し、仕事も辞めて転々とした。
男は忽然と消えては現れる飛田をしつこく追いかけた。
「勘弁してくれ。つきまとうと後ろの兄さんに対処してもらうぞ」
シャッター通りの突き当り。男のこめかみに冷たい鉄の塊がおしつけられた。
「ねぇ、ちょっと。飛ちゃん! これどういうことなの?」
引っ立てられるミニワンピース姿の男に飛田は言い放った。
「護って貰うことにしたんだよ。有料でな。こうなったのはお前のせいだ」
飛田が壁のスイッチを押した。ガラガラとシャッターがあがる。
白を基調としたバルコニーのある木造のイタリアンレストランだ。
檸檬をかたどったネオンサインが目に眩しい。
「ちょ…誘いこんだのね?!」
男はようやく罠に気づいたようだ。
「見くびるなよ。俺には金がある。優秀な弁護士先生がた目米テレビと戦ってくれるそうだ」
「あっちこっちに被害者面を安売りしたのね。でもそのお金、誰のかしら」
正鵠を射る一言に飛田が逆上した。
「うるさい! カネの額面に白も黒もあるか! 俺の妻は殺されたんだ」
ズドン、とアスファルトに穴が開いた。「ひぃっ!」男は腰を抜かした。レストラン檸檬のバルコニーにライフル銃を構えた男がいる。
「俺は知っているぞ! 婚活レースの第二ステージ。伊豆大島! イエス/ノーどろんこ爆破プロポーズ。爆破師のギャラをケチってADにやらせただろう?」
飛田はとっておきのスキャンダルで恫喝した。
「今ごろ何の話よ?」
「顔ぶれが同じだったんだよ。テキサスのチャペル。顔ぶれが同じだった。火薬を扱える資格者の入国審査は厳しいんだ。ロケにホイホイ追れこれるはずはない」
「それがどうしたの。アタシには関係ないわ」
「大ありだ。エージェンシーの違法行為を洗いざらいばらしてやる」
「だったら貴方もお終いね。フロント企業まで使って強請ってる」
「うるさい。カネに白も黒もあるもんか。俺は妻を殺されてるんだ」
そういい放つとアスファルトが火を噴いた。
「ひぃっ」
男は悲鳴をあげた。
レストラン檸檬のバルコニーに長身の銃を構えた人影がある。
「あんたはとっくに終わってるのよ。ホテルサウナでアタシを買った日から。奥さんを事故で失い、娘はどこかの馬の骨と駆け落ちした。女を二人も失って何もかも信じられなくなった。だけど人肌が恋しい。誰でもよかった。見境がつかなくなった。アタシでもよかった。」
そういうと、どこからともなくウェディングケーキ型のキャンドルを持ち出した。シュッとマッチを擦る。
飛田がみるみるうちに青ざめた。「やめろ! それだけはやめろ!」
怯える瞳にロウソクの炎が揺れている。それだけではない。
裏返しになったメッセージが逆光にちろちろと踊っている。
ケーキのスポンジに書かれていた文言だ。
飛田と妻の名前。永遠の愛を誓うという祝辞。
「懐かしいでしょう? ケーキ火山」
「ぐぇぇぇ」
飛田はフラッシュバックに見舞われた。口から泡を吹いて倒れる。
「しょうがない子ね」
男は飛田を抱え起こし檸檬に引きずり込んでいく。
数分後、ソファーで横たわる飛田の額にはおしぼりが乗っていた。
それから数年のあいだ。ドロドロの関係がぐるぐる渦巻いた。
男は定期的に口止め料をせびりにあらわれ、関係を強要した。
飛田は繰り返される追憶に苦しめられ、いつしか自分の方から求めるようになった。男はいつも出目金のおしぼりで彼を拭いていやした。
やがて二人は共依存関係になっていった。
◇ ◇ ◇
「今日こそ保守契約を結んでいただきますよ」
男は女になっていた。時代がニーズに追いつき戸籍上の性別が変更できるようになった。
「その前にどうして助ける? 俺は暴露のチャンスを潰した男だぞ」
すると女は作業服を飛田に差し出してこう言った。
「その彼を助けるために貴方をわざわざ入院させました。死体を運ぶのを手伝ってもらえませんか?」
「はぁ?」
飛田は耳を疑った。
「凸郎さんを止めるためです。彼の命が危ない。早く着替えてください」
女は飛田を促した。
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