あとがき その3「歴史の一貫性」

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あとがき その3「歴史の一貫性」

 日本国…と言うより「日の本」の歴史と言うべきだろうか。「日本の歴史」には「一貫性」があると、私は思う。前頁にて「歴史に一貫性」…と書いたのはそういう意味である。  存在が確実とされる「継体天皇」から数えても1500年以上、初代である「神武天皇」までとするなら約2600年の「日の本の歴史」。  伝説の部分まで「正史扱い」するのは正直どうかと思うが、ともかく王朝の成り立ちを初代神武として二千年以上もの間、その宗廟を絶やす事無く同一の王朝が今日まで続いている。  「倭民族」というのか「大和民族」と呼ぶべきなのか分からないが、ともかく同一の民族が、同一の地(日本列島)にて同一の言語(日本語)と同一の文化と共に、「皇室」という同一の王朝の元で、建国より今日に至るまでその歩みを続けている。  時の支配者は皇族や貴族、武士政権による幕府から明治維新を経て現在まで移り変わっていくものの、「皇室」は建国より絶える事無くそこに有る。  「鎌倉時代」というように「◯◯時代」と呼称しても、中国大陸における「易姓革命」が起こらなかった日の本においては、それは共通の歴史の流れの中における「区切り」の意味でしかなく、王朝が代わるところを区切りとするものとは、全くの別物となる。  「平安時代」だろうと「戦国時代」だろうと、近代・現代含めその全てが「同じ日本の歴史」として認識出来るのはその為だろう。1つの王朝がその宗廟を絶やさず続いているからこそ、「全てが同じ国の歴史」と言えるのである。
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