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では自分の子らを朝鮮学校に通わせた、在日一世の感覚はどういうものだったろうか。
私の祖父母達を含め、日本に渡った在日一世の世代には、ろくに学校に通えなかった者も多い。私の祖母に至っては母国語の読み書きすら困難に近い。
そのろくに学校に通えなかった人達、とりわけ「母国語の読み書きすら困難」な人達にとって、民族学校はどの様な物に見えただろうか。
母国語(朝鮮語)の読み書き等、自分には出来なかった、叶わなかったものを与えてくれる場に見えたのではないだろうか。
それ故に「これからも日本で生きていく」それが解っていてもなお、「子供には母国語の読み書きが出来るようにしたい」と、願わずにいられなかった在日一世もいたのではなかろうかと、その様な動機で我が子を朝鮮学校に通わせた親もいたのではないかと私は思う。
特に韓国籍で子を朝鮮学校に通わせた親達は、もし韓国系の民族学校があればそこに通わせただろう。(韓国系民族学校は各種学校・一条校含め6校しかなく、全国に100校近くある朝鮮学校に比べ、圧倒的に少ない。)
とはいえ、これは私の想像に過ぎない。しかしながら、その「想像」が全くもって現実に則していないとも思えない。その根拠は己の実体験としか言い様がないけれど。
いずれ帰国することを見据え、子を民族学校に通わせた在日一世(或いは二世)もいただろう。
朝鮮学校の設立が1947年頃、帰国事業が主として59年から67年辺りであることを鑑みると、それが最も現実的にありえる選択だろうか。
いずれにせよ、今となっては確かめようもないが。
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