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父の昔話①
本文の8ページで触れたが、祖父母と父達は一時期関西方面に住んでいたらしい。その頃の家は海のすぐ近くだったそうで、幼い頃の父は学校から帰るとすぐさま海に行って泳ぎ、その後夕方まで砂浜で貝を掘って取っていたそうだ。
九州に移動してからは祖父母は家の裏の空いたスペースに畑を作り、畑で取れる野菜は自給自足し、またニワトリを飼った。飼っているニワトリの小屋へ卵を取りに行くのは、当時小学生だった父の朝の日課だったとのこと。
そういった話を聞いていると、「はだしのゲン」をつい思い浮かべてしまう。実際にそれ程までの生活ではなかっただろうが、貧乏には変わりなかったようだ。
父は「混ぜ飯」を嫌う。赤飯や炊き込みご飯の類は良いが、グリンピースご飯だとか、とりわけ麦飯を嫌った。白米も水を少々少なめに硬く炊くのが、実家の定番だった。
おそらく、父は子供の頃は混ぜ飯ばかり食べていたのだろう。麦だの豆だのを混ぜた水増しした飯だったのだろうと思う。父の好みからそれが伺える。
私が小学生の頃、父は私に時折「こんな飯が食えるのは幸せなことやぞ」と言うことがあったが、当時の私には少々難しい話で、解るようで解らない感じだった。だが裏を返せば、それを想像しにくい程に恵まれた食卓を、親は私等子供に提供していたということであるのだ。
昔、父が一度だけ言ったことがある。
「お父さんはの、子供の時に御馳走なんか食うたことない。でも親(祖父母)はの、とにかく腹一杯食わしてくれたけ、ひもじかったなんち事はなかったの(ò_óˇ)」…と。
祖父母達は貧しかった。学校にも行けない程に。きっと「その日の食事にも事欠く有り様」だったろう。
だが一世たる祖父母達は、自分達の子である二世の世代には、「每日飯を腹一杯食べ、学校に行ける生活」を提供した。
そして二世たる親達は、子である私達三世に「豊かな食卓と更に先の進学」を提供した。
祖父母達も、親達も、「自分の頃には手に入らなかったもの」を、自分の子らに提供してみせたのだ。
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