「国の単位」で考える

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 A君はそこでハッと気付いたか、と言えばそうではなかった。気付けるようでそこに辿り着けない、もどかしそうな感じだった。しかしそれは無理もない事だ。  それまで考える機会もなければ、その様な価値観を育て醸成する場も無かったのだから。  A君には冒頭の『佐賀県民と福岡県民、日本人と韓国人の形の例え話』をもう一度して、「まあ、こういう事考えてみるのも悪くないよ」と、その場ではそれで終わった。あとは時間の問題。A君に気付く日が早く来る事を祈るだけであった。 (A君はその後、自分なりに分かってくれたようであった。)  A君に対しての話は、気付かせると言うよりは「根付かせる」と言った方が正しいだろう。こういった事は、別に焦っても仕方ない。  人間誰しも「ハッと気付く」事はあるだろう。自分の中に育った価値観や概念、蓄えられた知識や情報、常識や世間知、等々…様々なものが「気付きの根底」にある筈だ。(子供の頃ならば「発達・成長」の類であろうが。)  それらが全く醸成出来ていない分野において、「気付き」に時間がかかるのは、致し方の無い事である。  だからこそ、「国旗を踏める」と答えたから即サヨクだの反日だのと断定するのは、早計を通り越して誤りだと思う。  ただ「今は分かってないだけ」、或いは「今まで無自覚だっただけ」の人は割合多いと私は思う。何より、「国という枠で考える頭」を醸成する教育を、日本は長年やっていないのだから。  一方で、「故郷・都道府県の枠で考える頭」は大体皆持っている。  故に「都道府県という単位」で話をして、その話を「国という単位」に置き換えてもう一度話す。この手法を私はよく使う。
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