あとがき 「無自覚」はより罪深い

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あとがき 「無自覚」はより罪深い

 気持ちだけ真っ直ぐで頭がどうしようもなく◯鹿な人間というのは、邪な人間より余程タチが悪い。  自分の行いを認識出来ないにもかかわらず、「自分が善」だと頭から信じている◯鹿はそれ故に止まることがなく、説いてみたところで何も分からないのであるから意味が無い。  邪な人間に善悪を説いても無意味であるが、「損得」で引かせる事は出来る。止める方法があるだけマシなのだ。  仮にB男を糾弾したとしても本人は何も分からないだろう。「レイプ未遂に等しい」と言ってみたところで、「ハァ!?何でそんな話になる訳!?俺達は付き合ってたんだぞ!人を犯罪者扱いか!ふざけるなよ!!」…などと返してくるのがオチだろう。  邪な人間であれば「大学と警察に相談する」とでも言えば、(相手の出方次第にもよるが)対処は可能だろう。だが◯鹿にはそれも通じない。  然るべき所に相談、あるいは訴える等ともなれば、「故意であるかどうか」は重要なことだ。しかしながら  「故意かそうでないか」と、「無自覚であること」は別個とすべきである。  己のした事を自分で理解出来ない者が、自分が相手に与えた損害に対し全くもって無自覚である者が、「故意ではない」と言ったところで説得力などあろう筈が無い。それで納得する被害者などいないであろう。  無自覚は無罪ではない。より罪深いのだ。
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