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なぜいきるのか
いずくとも
身をやるかたの 知られねば
憂しと見つつも ながらうるかな
『紫式部集』
人生を、「憂し」と思いながら
生き永らえるしかなかった、と
私の物語を書いた紫式部は言います。
「こんな苦しい人生、なぜ生きる?」
「何の為に生きているのか…」
私の人生は、この問の答えを探す旅だったように思います。
私は、匂の宮様、薫の君様というふたりの貴公子に愛されました。それは、夢のような時間でございました。
では、私は幸せだったでしょうか?
一時は夢に酔い、幸せを感じましたが、
それは、本当の幸せではありませんでした。
むしろ、悩みまし苦しむことの方が多かったのです。
人は私を「浮舟」と呼びます。それは、私が川に浮かぶ浮舟のように、頼りなくゆらゆらとただ流されて行く日々を送る様から付けられた名なのです。
本当の名前は分かりません。私は父から認められなかった娘だからです。
父は、桐壷帝の第八皇子八の宮。母は八の宮の北の方の姪で、中将の君という女房でした。北の方のご実家は大臣家。母も元は良い家柄の娘だったのでしょうが、実家が落ちぶれたのか女房となって仕えていたのです。
父八の宮は、後に俗聖と呼ばれるほど清廉な方でしたが、北の方を亡くした淋しさゆえか母と結ばれ、私が産まれました。しかしその事を後悔し、母と私を追い出したのです。
母は止むなく私を連れ常陸介の後妻となり東国に下りました。兄弟の中でひとり父の違う私は、義父の家でも疎まれる存在でした。
母は尊い宮様の血を引く娘と大事にしてくれましたが、“生まれてはいけない娘”と肩身の狭い思いをして生きていくしかありませんでした。
それでも都に戻ってから婿となる人を母が見つけてくれ、結婚の運びとなりました。ところが、相手は財産目当てで、私が常陸介の実子でないと知ると、妹に乗り換えたのです。
私のために用意された道具は全て取り上げられ、妹の結婚の為に使われました。
実の父に追い出された私は、今度は義父からも追い出されたのでした。
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