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命は限りなく尊い
横川の高徳の僧が数人の弟子を連れ、宇治川の側の荒れ果てた宇治院に滞在していたある日。
弟子の僧が、裏庭の大木の下に横たわる白い物を見つけ灯火を掲げて近寄ると、艶やかな長い黒髪の若い女が、木の根元に身を寄せて泣いていました。
狐か妖怪かと騒ぐ弟子たちを横川の僧都は窘め、
「人間の姿をしているではないか。
命ある人を見捨てる無慈悲なことがあってはならぬ。
たとえ後一日、二日の命でも、限りなく尊いのだ。
薬湯を飲ませて助けてあげなさい。」
私は横川の僧都のお陰で一命を取り留めたのです。
僧都の妹尼は”死に別れた娘が戻ってきたようだ“と世話をしてくださいました。しかし、生きる気力を失った私は、介抱も虚しく衰弱していくばかり。
「身につけている白い綾織物の衣と紅の袴、衣に焚き染めた香(こう)も限りなく上品で、気高い感じがします。
身分のある姫君ではないのですか?
どんな事情があったのでしょう…」
妹尼が問いかけても私は何も理解できません。
ただ、生きていてはいけないという思いだけは強く、口を開けば、
「私は生きていても仕方のない見苦しい人間です。人目につかぬように、夜、川に流してください。」
と声も絶え絶えに言い、また気を失ってしまうのでした。
やがて、僧都は比叡の山へ、妹尼は住まいのある小野に帰ることになり
妹尼は意識の戻らぬ私も小野に連れていってくださいましました。
私は夢を見ていました。
夢の中で、とても美しい方が私の側にやって来て話しかけます。
「死にたいほど辛いことがあったのですね。でも、死んだとて周りの者が悲しむだけ。
私も生きるのが辛くて、死ねぬのならせめて出家をと望みましたが、光る君様がお許し下さいませんでした。
でも、不幸ではありませんでしたよ。
辛いことは沢山ありました。
母に早く死に別れ、父は御正室様を気遣われて稀にしか会いに来てくれず、祖母に育てられました。
祖母が亡くなると、光る君がさらうように私を連れて行き、そのまま妻になりました。後ろ盾もなく、正式な結婚ではありません。光る君様の愛だけが頼り。光る君をお支えするのが私の役目と思い定めても、他の方の処へ行かれるのをお見送りする辛さはいつまでも変わりませんでした。
女三宮様が御降嫁になり、私は正室でも女主でもなくなり、もう、何の役目もないと出家を望みました。
でも、気付いたのです。
光る君様の辛さを分かるのは私だけなのだと。
光る君様も幼くして母上様を亡くし、父帝の元でお育ちになりました。
帝のお子でありながら、臣下に下られて、淋しいことも悔しい思いもなされたことでしょう。
その辛さは、同じ境遇の者でなければ分かり難い物です。
一時は、愛は冷めたと生きる意味を見失いました。ですが、その事に気付いてから迷いはなくなりました。
自分の役目を見つけたからです。
あなたも、御自分の役目を見つけて下さい。そうすれば、何があっても生きている意味があり、幸せになれます。」
目が覚めると、清々しい思いがしました。
どなただったのだろう?紫の上様?
私を励ましに夢に出て来てくださったのですね。
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