第59話 少女の過去 (2)

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第59話 少女の過去 (2)

 中学生時代、卒業式の日。校舎裏で自分が好きだった 榎本 光司 に告白した幸子。  すでに彼女がいるという光司の答えに、幸子の恋は破れた。  それでも、好きな人に「好き」と言えたことで、幸子はどこかスッキリした気持ちになっていた。  しかし―― 「こんなところで何やってるの、山田さん」  幸子の後ろから、突然、亜利沙が現れた。 「えっ、亜利沙ちゃん……?」 「本当に光司に告白したの? 笑っちゃうわね。ちょっと勘違いし過ぎじゃないの? あはははは!」  大笑いしている亜利沙。 「え? え?」  幸子は、状況の飲み込めず、笑っている亜利沙を見つめた。 「光司は私の彼氏よ、随分前からね。手を出さないでくれる?」 (!)  幸子の恋を応援すると言い、告白をけしかけてきた亜利沙は、その幸子が恋をしていた光司の彼女だったのだ。その事実を知らなかった幸子は絶句する。 「大体さぁ、はっきり言わせてもらうけど、アンタ気持ち悪いのよ! すっごくね!」  幸子の心の中で、何かがひび割れた。 「その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの? いやいや、ありえないから!」  幸子の心の中で、何かが崩れていく。 「アンタ一生処女だよ、絶対! だって、アンタ見て勃つ男いないでしょ! あはははは!」  亜利沙は、幸子を指差し嘲り笑った。 「いやぁ、でも二年近く、私もよく我慢したわ。先生にアンタをどうにかしろって頼まれたからさぁ、内申のためとは言え、アンタみたいな気持ち悪い女の面倒見てさ」  幸子とのこれまでの関係さえ、ニセモノだったと言う亜利沙。  幸子は、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。 「それにアンタ、何にもできないよね。使えなさ過ぎ。アンタ疫病神か何かじゃないの?」  幸子に侮蔑の目を向ける亜利沙。 「ようやく疫病神から開放されるわ。あ、友達ヅラして連絡とかしてこないでね、迷惑だから。これでアンタとは縁切りだから」  幸子は、何の言葉も出てこなかった。 「光司、お待たせ!」  光司の元に駆け寄り、腕を組み、身体を寄せる亜利沙。 「な、なぁ、どうなってんだよ、何で山田さんにあんなこと……」  状況を理解できない光司は、ただ慌てふためいていた。 「いいの、いいの! それより、ねぇ、卒業記念にさぁ……ね⁉」  光司は幸子に何度も目をやりながらも、亜利沙に引っ張られて行ってしまった。  残されたのは、幸子ひとり――  幸子は走り出した。ただひたすら走った。  どこをどう走ったかは記憶に無い。  気が付くと、自宅の前にいた。  ガチャガチャ ガチャリ  玄関の開く音に、キッチンから母親・澄子が笑顔で出てくる。  卒業式に参列した後、先に帰宅して卒業祝いの料理を作っていたのだ。 「さっちゃん、卒業おめでとう! ご馳走いっぱい……どうしたの?」  幸子は、玄関でうつむき立っていた。 「何かあったの……?」  様子のおかしい幸子に声をかける澄子。 「お前のせいだ……」 「え?」  顔を上げた幸子は涙をボロボロ零し、母親である澄子を睨みつけた。 「全部! 全部お前のせいだ!」  幸子の言葉に驚く澄子。 「さ、さっちゃ――」 「お前が私をこんな身体に産んだからだ! なんで普通の女の子に産んでくれなかったんだ!」  澄子は言葉を失った。 「お前のせいで何もかもうまくいかない! 気持ち悪がられて! 憐れまれて! 私が何をしたっていうんだ!」 「ご、ごめんね……ごめんね……お母さんがいけないの……ごめんね……」  幸子の言葉に涙が止まらない澄子。 「うるさい! うるさい、うるさい、うるさい!」  二階へ上がっていく幸子。 「お、お願い、さ、さっちゃん、待っ――」  追いすがる澄子。 「こんな……こんな思いするなら、生まれてこなければ良かった!」  バタンッ ガチャ  カギを締めたドアの向こう側から、幸子の泣き叫ぶ声が聞こえる。  澄子は、ただ涙を流しながら、娘の嗚咽を聞いていた。  ◇ ◇ ◇  ――深夜 (のどが渇いた……)  カチャリ カチャッ……  部屋を出る。  家の中は、深夜の静寂に包まれていた。  そっと階段を下りていく。  キッチンも、居間も、まだ明かりが灯っていた。  キッチンを覗く。  テーブルの上には、幸子の好物がズラリと並んでいた。  そのままになっていたのだろう、料理はすべて冷め切っている。  お祝いのケーキも置いてあった。  ケーキの上には「卒業おめでとう!」というプレートが乗っている。  心が痛んだ幸子。  居間から音がした。  キッチンを出て、そっと居間を覗く。  そこには、テーブルに伏せて、身体を震わせながら小さく嗚咽を漏らす母親の姿があった。  幸子は、自分の取った行動を激しく後悔する。  何の責任も無い母親を感情のままにただ罵倒し、責め立て、挙句の果てには子どもが親へ絶対に言ってはいけないことを口にしてしまった。その結果がこれである。  泣き崩れる母親の姿に、幸子の心は爆発しそうだった。 「お母さん……」  幸子の声にバッと身体を起こし、振り返る澄子。 「さ、さっちゃん! ごめんね、ごめんね、私がいけないの! ごめんね……」  澄子は、幸子の前で泣き崩れた。 「お母さん! ごめんなさい! 酷いこと言ってごめんなさい!」  澄子に抱きつく幸子。 「お母さんが全部いけないの……全部いけないの……」 「違うの! 違うの! お母さんは何も悪くない! ごめんなさい!」  幸子は、涙を流しながら叫んだ。 「さっちゃん……」  幸子の背中に手を回す澄子。  幸子も澄子の背中に手を回した。  ふたりは、しばらくの間抱き合いながら、心のしこりを洗い流すように涙を流しあった。  この後、幸子はこの日の出来事を涙ながらに澄子に話し、澄子は号泣する幸子をただただ強く抱きしめた。  しかし、幸子は<声>のことは、澄子に言わなかった。これ以上、母親に心配をかけたくなかったのである。  この時点で、すでに幸子の心は壊れ切っていた。依存していた亜利沙からの侮蔑の言葉は、幸子の心では受け止めきれなかったのだ。最後に幸子の心に叩きつけられた亜利沙の言葉は「新たな<声>」となり、幸子を苦しめ続けることになる。  そして、幸子の意識が覚醒していく――  ◇ ◇ ◇  ――幸子の部屋  幸子は目を覚ました。  身体は起こさない。  もう夕方になっていた。  足が痛い。  靴を履かずに学校から逃げ出したからだ。  そして、見ていた夢を思い出す。 (何をやっても変わらない……もうどうしようもない……)  天井を眺めた。 (高校に入学してからのことは全部夢……夢を見てたんだ……)  寝返りを打つ。  勉強机が目に入った。 (そうだ……目覚めの時間だ……)  ゆっくり身体を起こし、ベッドから降りる。  足が痛くて、うまく歩けない。 (早く目を覚まさなきゃ……)  何とか勉強机の前に立った。 (夢から覚める時が来たんだ……)  駿たちとの高校生活を思い返す。 (楽しい夢だったな……)  幸子は、文房具立てに入っているカッターナイフに手を伸ばした。
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