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 職員室の不思議を見つけるため、様々な用事を作って通い続けた。例えば、中間テストの時に提出したノート類を運ぶ協力を申し出たり、大して真剣に考えてもいない進路相談をしに行ったり、日直の日にはわざわざクラス担任のデスクまで日誌を届けに行ったりして職員室に入り込んでいた。  そうこうするうちに九月を過ぎ十月と月日は流れていき、文化祭や体育祭の熱も冷めた十一月中旬、職員室に通い始めて実に二か月が経った現在でも未だ調査は終わっていない。  あと一か月もしないうちに冬休みに入ってしまう。このもやもやを来年に持ち越すことはできるだけ避けたいが……どうにも不思議に遭遇しない。もしくは、実は遭遇しているのにそのことに気付いていないだけなのか。これまでの記憶を辿ってみるが、おかしい現象として思い当たる点は特にない。  一番怖いのは「すれ違い」だ。私が職員室に行く日と不思議が起こる日がズレていたらずっと見つからないままなのだ。遭遇率を上げるためにも、なんとか通う回数を増やさないと。  とりあえず今日は、英語の授業でわからないところがあったという体でりく先生に質問しに行って調査するつもりでいる。調査といってもただ室内を観察するだけなのだが。  放課後の職員室は人が多い。部活の顧問なのに暇そうに座っている先生や、遠慮なく先生との雑談をしに来ている生徒がちらほら見える。そんな中あの先生の姿がデスクに見えなかったため一瞬焦ったのだが、コピー機を使用していただけのようですぐに戻ってきた。  ほぅ、と息を整え私は声を掛けようとしたが、その瞬間どこからか鳴り響いた着信音によって声が遮られてしまった。最近の私はどうもタイミングが悪い気がする。初詣、行った方がいいのかな。ツーコール目で着信音が切れたのを確認し、再度声を掛ける。 「……それで、ここのthatが間違っている理由がわからないんです。関係代名詞ってthatを使っていれば間違いないって思っていたんですけど、違うんですか」 「あーここはね、thatじゃなくてwhoseを使わないと正しくないんだよ。確かにthatはなんでもござれの超便利な関係代名詞なんだけど、面倒くさいことに所有格用法としてはwhoseが正しいとされてるんだよね。  あ、そうだ。表作ってあげるよ。ちょっと待っててー」  なるほど。二つ三つ質問してみたが、思った以上に教えるのが上手い。生徒に慕われているのは、何も性格だけが理由ではなかったということか。 「ほい、できたよー。ノートにでも貼っときなー」 手渡されたメモ用紙には、用法と先行詞に対応する関係代名詞がまとめられていた。定規を使って綺麗に作られている所から、意外と几帳面なのが感じられる。  さて、今のが最後の質問だったわけだが…、特に何も起きていないな。もう少しだけここに残っていたいが、どうするか。  渡された手元のメモを見てほとんど考えなしに話しかける。 「先生、字、綺麗ですね。習字とかやってたんですか」 メモに書かれた漢字は確かに達筆だった。『関』の門構(もんがまえ)や『詞』の言偏(ごんべん)など、私が書くとバランスが崩れてしまう字がとても綺麗に書かれている。 「んー?うん。昔習ってて、辞めてからもなんか癖が取れなくてね。でも黒板に書くとなると思ったより綺麗に書けないんだよなー」 字が綺麗に書けるのは羨ましいことだ。それに、この字はどこか見覚えがある気がする。校内ポスターで見かけたとかだろうか、書き方に癖があるが、不思議と気にはならない。寧ろ落ち着くような…。  さすがに話題が尽き、私は職員室を後にする。すっかり「りく先生」と呼んでいるが、未だに苗字は知らないままだ。でももう呼び方に抵抗はないし、既にあの人は「りく先生」で定着しているため、いまさら苗字を聞く気にはならなかった。  時刻は十七時過ぎ。夏の時とは違い、すっかり暗くなった帰り道を歩いていく。  それからも何も起こらず二週間が経った頃、いつもとは反対に、私は職員室に呼び出されることになった。クラス担任が以前の進路相談の続きをしたいと言ってきたのだ。冬休みに入る前に、アドバイスと話の整理をしておきたいとのことらしい。  適当に進路希望を教師だとか言ったせいで、担任がやけに真剣にアドバイスしてくる。なりたいのは小学校の教師かその先か、理系か文系か、大学はどこを目指しているのかetc(などなど)...  長く居られるのはありがたいのだが、話が進むにつれ私の進路が着々と決まりつつあるのは非常に良くない。どうにか後戻りできないものかと憂いていたその時、至近距離で着信音が(とどろ)いた。  その着信音はすぐに鳴り止んだ。私のでも担任の携帯でもなかったが、話の流れが途切れたため良いチャンスなのに変わりはない。私は「冬休み中によく考えておきます」と言って話を切り上げ、席を立った。  職員室を出る前に、クラス担任のデスク周りを振り返る。相変わらず暇そうにしているどこかの部活の顧問や、教職員用の教科書を確認している真面目な先生など、やはり人が多い。  しかしここで思い返す。  あの着信音が鳴った時、誰一人。そう、誰も電話に出ていなかった。  あの時、着信音はすぐに途切れたため、誰か携帯の持ち主が電話に出たものだと私は思っていた。しかしそうではない。あの着信音は、勝手に途切れた。しかもスリーコール以内という短さで。  これが「不思議」なのだろうか、と思いつつも、今日はもう用事を済ませてしまったため帰ることにし、職員室を後にする。  出ていく一瞬、誰かの視線を感じたように思えたが、……気のせいだったようだ。
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