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 コンコンコン 扉を三回ノックする。これは私の手だろうか。頭に(もや)がかかっているようではっきりしない。 「───」 扉の向こうから返事が聞こえる。だが何と言っているのかは聞き取れない。すると ギキィーー ひとりでに扉が開いた。そこに居たのは。  体が汗ばみ、その気持ち悪さで目が覚める。夏休み初日から嫌な寝覚めだ。そのくせ頭は冴えていて、夢の内容をはっきり記憶している。七不思議の定番、トイレの花子さん。  夢の内容が現実だったら良かったのだが、生憎(あいにく)トイレの花子さんはうちの学校には居ないようだ。それどころか、女子トイレには何の不思議もないらしい。  夏休み前、B棟女子トイレの全ての扉をノックしてみたが、返事などはなかった。隅々まで調べてみたものの美術室のような機械の類は見つからず、ならば藤棚のように備え付けのものを利用しているのか、と思いつく限りのシミュレーションを脳内でしてみたが成果はなし。最後の望みとして、トイレに来た先輩たちにそれとなく心当たりがあるか聞いてみたが、惨敗。こうして女子トイレに不思議がないことがほぼほぼ確定した。  となると残されたのは男子トイレということになるが……いや、私女子だし。どうするかな…。  昨夜お風呂に浸かりながら考えた結果、調べる方法はやはり正面突破、中に入って、だ。(さいわ)い今は夏休みのため校内に人は少ない。寧ろこの夏休み中でないと調べられないのでは…。  早速行動することにした私は少し遅い朝食を済ませ、制服に着替える。休みなのにわざわざ学校に行くことを母親は疑問に思っていたようだが、適当な理由を告げて家を出た。今日は日差しが強い。というか年々日差しが強くなっている気がする。みっともない白い肌が徐々に焼けてきているのを感じながら、私は学校へ向かった。  地下にある下駄箱で、微かに響いてくる運動部の掛け声を聞きながら上履きに履き替える。一階への階段を上り、A棟からB棟へ移動。気温が上がってくる前に上の階から済まそうと思い、三階へ向かう。  校舎内に入ると、たくさんの生徒がいる普段の光景とは打って変わって、自分ひとりだけの静かな世界が広がっていた。この感覚はなんだろう。孤独感とはまた違う、自分だけが世界から切り離された感覚。例えるなら、終末の感覚…とか。決して楽しい気分ではなくて、少しノスタルジックな、そんな感覚。でもそんな感覚が、何だか。  夏休みの思わぬ良さに気付きながら三階男子トイレに到着する。目と耳を澄ませ、周りや中に誰もいないことを確認してから私はトイレに入っていった。  中はあの縦長の便器がある以外、女子トイレとあまり変わっていない。個室が三つしかない分、女子トイレよりも狭くなっているようで窮屈に感じたが、調査は比較的早く済みそうなので良しとしよう。  異性のプライベートゾーンを隅々までチェックするのはとても気が引けるし嫌な気持ちになるのだが、これは仕方のないことなのだと自己暗示して調査を進めていく。  ――なんとか全ての便器周りを終わらせた。しかし怪しいものは何もなく、ただ不快感だけが残っていた。綺麗に掃除されているため別に汚くなどないのだが、どうにも不潔だと思い込んでしまう。そのためどこにも直に触れていなかったが、私は一旦手を洗うことにした。  洗面台で手を洗いながらふと考える。この作業があと二回もあるのか。いや…、今日見つからなかったらもっとだ。少し億劫に感じ、思わず溜息が出てしまう。その溜息のせいか、眼前の鏡が曇ってしまった。……??  目の前で起きた現象に疑問を抱いたその刹那、鏡は通常通りに私の姿を映し出した。鏡の曇りが取れたのだ。それもフェードアウトするようにではなく、瞬く間に。  もう一度確かめるため、さっきよりもCO₂多めを意識してゆっくりと鏡に息を吐きかける。しかし、今度は曇らなかった。一応隣の洗面台の鏡にも同様に吐きかけたが、こちらも曇りはしなかった。これで今の時期に曇ることはあり得ないと証明されたわけだが、どうして二回目は曇らなかったのか、それがわからない。  見間違いではないとわかっていたが、今日の内に残り二か所の調査も終わらせたかったため、ひとまず三階トイレからは離れることにした。耳を澄ませ、近くに誰もいないか確認する。よくよく考えると、入る時よりも出る時の方がリスクが高い。不安になりながらも慎重に扉を開け、周りを確認して出ていく。これ、出る時キョロキョロしてたら余計に怪しく見えるな。次からはいっそ堂々と出ることにしようか。そんなことを考えつつ、階段で二階へ降りていく。  トイレに向かおうと歩き出すが、A棟からの渡り廊下から先生らしき人物がこちらに向かって来るのが見えた。おそらく向こうも私に気付いたはずだ。  適当な挨拶だけでやり過ごそうと思ったのだが、なんとその若めの男性教師は続けて話しかけてきた。 「こんにちはー。もう体調の方は大丈夫そう?」 いったいこの人は何を言っているんだ、と思っていたら、表情に出てしまっていたのか 「怪訝そうな顔だねー。あー、でも仕方ないか。気ぃ失ってたからそっちは先生の顔見てないんだよね?」 あぁ、なんとなくわかってきた。この人が、熱中症で倒れた私を保健室まで運んだ英語教師なのだろう。そういえば結局お礼を言えていないままだった。 「もしかして保健室まで運んで下さった先生ですか。あの時は助けていただき本当にありがとうございました。」 「いえいえ。見た感じ元気そうだね。良かったー。あの時ホント焦ったんだよねー。まさか…………あー、病院への搬送が必要なんじゃないかって。でも軽い症状でホント良かったよ」 まさか、の後の()が長かったけど何を考えていたのだろう。いや、気にしない気にしない。  その後なぜ学校に来ているのか聞かれたが、友達の部活の午前練習が終わるのを待っている、とか何だとか適当に嘘をついて誤魔化した。仕方ないが今日はここで帰ることになりそうだ。こんなことになるなら三階の調査を続けていたら良かったのに。だがまぁ、時間はまだまだある。焦らず慎重にいこう。 「それじゃ、失礼します。本当にありがとうございました」 「はーい。さようならー。まだまだ暑いから気ぃ付けるようにねー」 同じセリフを前にも聞いた。どうやら養護教諭もこの先生も、私のことを暑さに弱い貧弱キャラだと思っているようだ。まぁ、間違ってはいないが。  地下のひんやりと涼しい下駄箱で靴を履き替えながらあることを思い出す。私、あの先生の名前知らないままだ。恩人の名前を聞きそびれるとは…今度会ったときは絶対に聞こう。  夏休み一日目の調査は三階トイレだけだったが、成果は確かにあった。明日は他の階を一応調べた後に再び三階を調べることにしよう。  肌を刺す日差しに耐えながら、クーラーが効いているであろう自宅へ急ぎ足で帰っていく。
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