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 二日目、一階と二階の調査を行ったが、鏡は曇らず、怪しいものも見当たらなかった。やはり不思議は三階にあるということで間違いなさそうだ。そんなわけで再び三階トイレの調査に臨む。  前回の調査では鏡を詳しく調べていなかったため、今回はよく観察し、仕組みを暴くところまで進みたい。まずは…、もう一度鏡を曇らせるところから始めよう。  昨日、家に帰ってからずっと考えていたのが、「二回目は曇らなかった」ということ。息を吐きかけることが鏡を曇らせる条件なのだろうが、二回目に吐きかけた時には鏡は曇らなかった。曇った一回目との違いはいったい何なのか。  目の前の鏡と向き合う。そこに映る、少し緊張気味な表情。私はある仮説を確かめるため、鏡に息を。  一回目と二回目の違いは、吐いた息のスピードだ。あの時思わず出てしまった溜息は、例えるなら…机に置いた紙がヒラッと飛んでいく位の強さだった。二回目は言うまでもなく、ほぼ無風。この息の強さ、つまり風速の違いが、二つの結果を生み出したのではないだろうか。  息を吹きかけて数瞬ののち、鏡が曇った。それも吹きかけた部分だけでなく、全面が。見事に均等に白濁色で曇ったと思いきや、すぐに元の状態に戻り、にやけた表情の制服女を映し出す。どうやら仮説は正しかったようだ。なら次は、この仕組みを暴いてやろう。  この夏休み中、急坂を上って家に帰るのは今日で最後だろう。息切れと汗が止まらないのはもう()()りだ。(やかま)しい蝉時雨を浴びながら、私はついさっきの調査結果を思い返す。  鏡を壁に固定している金具のうち下のひとつから、鉛筆の芯ほどの太さの何かが飛び出していることに気が付いた。どうやらそれが風を感知するセンサーらしく、そこだけに息を吹きかけると鏡は曇った。これが溜息で曇った理由のひとつだ。  そして肝心の曇る原理だが、何年か前にニュースで見たことのある、透明の公衆トイレと同じものなのではと考えている。電気が流れているとガラスが透明で中が丸見えになり、トイレを利用しようと鍵を掛けると周りのガラスが不透明になる、というものだ。  これは調光フィルムと言うらしく、ニュースの例では通電状態で透明だが、逆の仕組みで製造することもできるらしい。電極がフィルムに着いていないと通電しないとのことだが、それらしきものは鏡には着いていなかった。だがきっとこれも金具の内側に隠したのだろう、ネットで調べてみると電極と金具の大きさはほとんど一緒だった。  少し悩まされたのが、どうやって電源と繋がっているのか。この仕組みは、センサーで風を感知した後、電源へ信号を送り電極へ電気を流す必要がある。となると電源から電極へ伸びているコードがあるはずなのだが、それが見当たらなかった。  しかし思い出してほしい。美術室の時も無線で作動していたではないか。この不思議を作った人が機械の回路に詳しいとすると、改造して無線化することだって可能なのでは。希望的観測に近いが、そうとしか考えようがない。  ちなみに電源は近くの掃除道具ロッカーに隠されていた。薄型のため確かにパッと見ではわからないけれど、少し隠し方が雑な気が…。  坂を上り切り、平坦な道に入る。次の不思議の場所は、粋なことに鏡に記されていた。  曇った鏡をよく見ると、曇っていない部分が小さくあり、そこが文字になっていることに気付いた。持って来ていた携帯扇風機で風を当て続け、文字をよく読む。ついでに写真も撮っておいた。 ★→職員室  ここに来て頻繁に立ち入れない場所が選ばれた。夏休み中は怪しまれるだろうし、何の用事もなしに職員室には入れないだろう。大人しく夏休みが終わるのを待ちつつ、策を考えることにする。  帰る途中、普段入ることのないコンビニエンスストアに立ち寄る。今日中に不思議を解くことができたのだ。ご褒美のひとつくらい、自分に与えてあげないとね。  一番安い棒アイスをシャクシャク食べながら、私は軽い足取りで家に帰っていった。  退屈な夏休みが明けた。職員室に入る理由は既に考えてある。あの英語教師にお礼の品を渡すという口実なら、何の問題もなく入ることができるはずだ。  それっぽい菓子折りを用意しておいたが、問題なのは今すぐには渡しに行けないということだ。私の学校では夏休み明けに中間テストを実施するらしく、その二週間前、つまり夏休み明け初日からは、テスト内容保護のため職員室への立ち入りが制限されてしまうらしい。  平穏に過ごすためにも、ここはもどかしい気持ちをグッと堪える。今は学生らしく、勉学に励もう。  そうしてテスト週を含め三週間が経ったのち、私は職員室を訪れた。いざ征かん、と踏み込もうとしたのだが、ここで重大なことに気付く。…名前を知らない。  そうだった、聞きそびれていたんだった。気持ちが前のめりになり過ぎて忘れていた。入る前にまずあの人の名前を知らないと呼ぶに呼べない。今日は一旦退()いて、あの人の名前を調べよう。職員室から引き返し、私はB棟を歩き回った。  あの英語教師は一年生の担当ではない。一年生の教室があるC棟で、ただの一度も見かけたことがないから確実だ。また、私が中庭(B棟C棟間)で倒れた時に近くを通ったということは、B棟の二年生を担当している可能性が高い。このままB棟を徘徊していれば情報収集ができるはずだ。ただ、本人に会うことは気まずいためできるだけ避けたい。  B棟の徘徊を繰り返すこと数日、あの教師と二年生が話をしているところに遭遇した。バレないよう隠密で近づき、会話を盗み聞きする。断じてストーカーではない。  会話を聞いてわかったのは、その教師が「りくせん」と呼ばれていること。名前に「りく」が入っている「先生」で「りく先」ということだろうか。渾名(あだな)で呼ばれるとは、なかなか生徒との距離が近いらしい。  他の生徒との会話も聞いてみたが、結局下の名前だけで苗字はわからなかった。名前は「りく」らしい。漢字はわからなかった。そんなことより、話す生徒全員が下の名前か渾名で呼んでくるってどんだけフレンドリーな教師なんだ。他の先生に怒られないのか。  翌日、菓子折りを持って職員室に赴いた。仕方なく「りく先生」と声を掛けて彼のデスクに向かう。改めてお礼の言葉を申し上げ、菓子折りを渡す。ここからが本番で、いかに話を振って延ばして、ここに居続けられるか。私は彼のフレンドリーさに懸けて話を続けていく。  十五分くらいは話を続けられたが、結局何事も起こらず会話デッキは次第に尽きていき、最後に「英語の質問を今後しに来てもいいですか」という話をして職員室を出た。  今回の不思議は厄介すぎる。これは長期戦になりそうだ。二年生になるまでかかると覚悟しておいた方がいいだろう。  そうしてその日から、職員室に入るための用事を作り続ける日々が始まった。
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