想春期

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想春期

 翔太は次の日もその次の日もうちに遊びに来た。いつでも来いとは言ったが、お母さんが休みの日以外は毎日来た。その日の出来事を事細かに教えてくれた。ワシは毎回きちんと聞いていた。  大して面白くはない話でも、何故かこの子の話は最後まで聞けた。  翔太が小学三年生にもなれば、自然と来る日は減っていった。たまに遊びに来る程度で、お母さんがいなくともお留守番が出来るようになっていた。そんな時突然ワシに質問があった。 「千代ばあ、人を好きになるって何?どんな感情なのかな。僕もいつか人を好きになることがあるのかな?」 「・・ワシには正直分からん。ずっと一人じゃったからの。」 「そっか、ごめん。突然」  ワシは正直に言ってどう答えたら良いのか分からなかった。真っ白で綺麗な翔太の心のキャンパスにワシの色を加えたくなかったのかもしれん。  そんな日もあったが、翔太は小学高学年となり、中学生へと成長していった。途中で翔太のお姉さんも実家に帰ってきて、挨拶に来てくれた。  それぐらいになると翔太は全然うちには来なくなったが、たまに突然やってきた。すっかり生意気になっての。 「千代ばあ。生きてるー?」 「勝手に殺すな、ワシはまだまだ生きる」  それだけの受け応えをする日がたくさんあった。翔太はいつもワシを見て安心して笑ってくれた。きっと翔太なりに心配して来てくれてたのじゃろ。本当不器用なやつじゃと思っていた。  中学二年、三年と翔太が育つとすっかり大人びていった。恋人もできたと報告をしてくれた日もあった。ワシは素直に喜んでいた。日々成長する姿を見て、本当の孫のように感じた。  高校生になり、翔太は遅い時間に出掛けていく日々が増えていった。だが、必ず出掛ける前にワシの家を訪ねてから出て行った。 「千代ばあ。今日も行ってきます。また明日ね」  何のためにワシの家に来ていたか分からない。もう九十過ぎた独り身のばばあだから、心から心配してくれていたのか。たまに見せる寂しい顔がワシの心にも伝わっていた。  ある日の夕方頃、翔太が突然やってきた。高校卒業間近じゃったと思う。 「千代ばあ。愛って何かな。俺凄い辛いや・・」  そう言って、ワシの前で泣いていた。  今までワシは自分のことを翔太に言ったことなどなかった。言っても名前と独り身だけということだけじゃった。だが、ここで言わんかったらこの子の為にならん。そして自分自身も後悔すると思った。 「ワシにも昔に愛する人がいた。将来を共に過ごそうと誓った相手がの。じゃが実はその人は違う女性とお付き合いしてての、結局ワシと結ばれることはなかった。ワシはその後に出逢いもあったが、その人のことが忘れることが出来なくてな。結局今も独り身のままじゃ・・愛とはワシにも分からん。じゃがの、正解などないのではないかと思うぞ。愛の形などきっと人それぞれじゃ。相手を愛してるかどうかなど、自分自身にしか分からないからの。相手の幸せが自分の幸せ。それも一つの愛じゃとワシは今も信じて生きている。愛が何かなど考える必要はない。自分の思う愛を相手にぶつけてこい。それが相手に伝わらなくとも、それが世で愛だと呼ばれなくとも、お主が愛だと思えば、それは立派な愛だ。大丈夫じゃ、翔太は世界一の優しい子じゃ。ワシの自慢の孫じゃ」  そう言うと、翔太は 「千代ばあ、ありがとう。俺頑張るよ」  泣くだけ泣いて、お礼を言って綺麗な目をしてどこかに出かけて行った。ワシはきちんと応えを言えたのかの・・今度翔太にどうなったか聞いてみよう。  翔太の好きなよもぎ餅を作っておこう。  その数時間後、ワシの頭に突然鈍痛が走った。意識が遠のく。足もふらつき倒れてしまった。あぁ・・自分はもう死ぬんかの。ワシのことは誰が見つけてくれるんじゃろ。翔太以外がいいの。あやつにはこんな姿見られたくない。  翔太の恋愛は無事に行ったのかの。翔太に出逢ってから、ずっと世話してきたつもりが、いつしか自分が世話になっていたかもしれない。最後の約二十年はずっと翔太が側にいてくれた。翔太のおかげでこの歳まで生きられたかもしれん。  好きな男に捨てられ、肉親もいなく、友達もいなかったワシの生きる意味だと、とうの前に無かった。毎日をただなんとなく生きていただけだった。いつ死んでもいいと思っておったが、いつしかこの子の成長がワシの楽しみになり、生きがいだった。本当にありがとうの。世話になった。死ぬ間際でこんな想いを持てたことをワシは心から誇りに思う。感謝してもしきれない。  ・・千代が深い眠りに付いた。独り身で九十を超えてもなお、元気に過ごしていたのは紛れもなく翔太の存在が大きかったのかもしれない。  千代が次に目を覚ました時には既に黒い猫になっていた。
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