自死と命

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自死と命

 翔太と出逢って約四年の月日が経とうとしていた。翔太は仕事が忙しいのか、帰りが遅い日が続いていた。目に見えて痩せていってた。元気もなく、あまり喋ってくれなくなった。  ある日の日曜日だ。夜中に部屋から音がするから、起きて見てみると縄を固定をし、その縄をずっと眺めている翔太がいた。すぐに死ぬつもりだと理解をした。  やめてくれ。窓からワシと目が合ったが、何も言わずに翔太はすぐに目を逸らした。凄く悲しい顔をしていた。縄を首にくくり、後は椅子から飛び降りるだけになっていた。  ワシは全力で窓を叩いた。やめてくれ。死なないでおくれ。ワシも結婚相手に捨てられた時に自死をしようとし、踏みとどまったことがあった。どんなに辛くとも、生きていれば良いことがあるとワシに教えてくれたのは、紛れもなく翔太、お主じゃ。  そんな時、もう一度ワシと目が合った。ひどく泣いていた。静かに縄を首から外し、窓を開けてくれた。 「・・ごめん・・ごめん」  ただひたすらに謝っていた。その日以降、ただの一度も自死をしようとはしなくなった。  一緒に過ごして約五年の月日を迎えようとしていた時、ワシの体が違和感を覚えていた。体が重い。太ったのか。いや、これは違う。先が永くはないのだと分かった。  本来であれば、すぐに失っていたであろうこの命、一切の悔いはなかった。翔太と過ごせて幸せな人生だった。いつ死んでもいい、そう思っていた。  ある日、いつも通りワシは翔太の家に向かっていた。少し時間遅くなったかの。翔太も少しずつではあるが、前を向いて歩き出していた。もうワシの死は確実にすぐそこだ。実感していた。じゃが、ワシは最期の最期まで見届けるぞ。最期ぐらい彼女でも連れてこんかの。そんなこと考えていながら歩いていた。  少し歩くと翔太と出逢った公園に救急車が止まっていた。なんか事故かの・・  ・・「男の人が子供庇って撥ねられたんだって」  そんな声が聞こえた。ワシは嫌な予感しかなかった。体中痛かったが、必死に見える場所まで移動をした。  懸命な蘇生処置をしている救命士。その蘇生先は・・翔太じゃった。  言葉も出なかった。救命士が必死に動いているが、翔太はびくともしない。救命士が 「どいてください」  と叫んで担架に乗せようとしていた。翔太の全身は既に力が入ってなく、ワシでも手遅れじゃと思うぐらい血が出ていた。  ・・神か仏か聞こえるか。お前たちがこんな運命を与えたのか。ふざけんのも大概にしてくれ。まだ、家族に恩返しも出来ていないとずっと悔やんでいた。結婚も子供も出来なかった。愛した人を結局忘れることも出来ず、決別も出来ず悩んでいた。  確かにこやつは自分の人生などもう・・と一度は諦めた。じゃが、やっと前を向いて歩きだしたところじゃった。ここから翔太の人生は新しく始まるのだ。  ふざけるなよ。こんな最期など残酷すぎるじゃろ。ワシのこの体で良いから、翔太にあげてくれ、頼む。いるのなら、聞いているのなら、どうせこの命も先の永い命じゃないんだ。くれてやってくれ。最後にワシが出来ることをさせてくれ。  前世も今世でも一度も天に頼みなどしてこなかったワシが初めて天に祈った瞬間だった。目の前の時が止まった。誰一人動かなくなった。なんじゃこれは・・  一つの声だけ聞こえた。じゃがその声だけでもこやつが誰だかすぐに理解できた。 「今の頼みを叶えてやることは出来るが、本当にいいんじゃな。」 「二言はない。じゃが、一つだけ聞かせてくれ。ワシのこの体はいつ死ぬんじゃ」 「・・明日だ・・後一つ聞かせてやる。本来であれば、そなたの宿命は明日死ぬということになっている。今ここでこの頼みを叶えるとその宿命に背くことになるのじゃ。言わば、決まっている結末を迎えずに人生を破棄することだな。そうするとこっちでは違反となり、来世への転生権を失うことになるぞ。もうこの先は生まれ変わることが一生出来なくなるということじゃ。あやつが選んだ運命の先はこの結末じゃっただけじゃ。きちんと宿命を迎えたんじゃ。ほっといても来世は何かに生まれ変われるじゃろう。おぬしは明日で宿命を全うできるのに、それでもそなたはその命をくれてやるのか。その運命を選ぶのか。あやつにそこまで価値があるのか」 「明日か・・分かった。二つだけお主に言わせてくれ。お主が神か仏かは知らんが、あやつの価値をお主が語るな。そして、この行為を『運命』などと言う良い言葉で言わないでくれ。これはワシの『使命』じゃ。さっさとやってくれ。正体を明かさぬ、一言だけ翔太に説明させてくれ。頼む」 「分かった」  目の前が白い光に包み込まれた。ワシの目の前には翔太がいた。 「『あの。ここはどこですか?』」  ワシの姿は見えてないんじゃの。良かった。約十四年ぶりの会話じゃな。ワシがなんなのか等色々説明しているところで、またあの声がした。 「現実世界と時間は並行しているから、早くしないと猫の死が近づいてくるぞ」 「分かった。次喋り終えたらワシを消してくれ・・」 「『お主がやり残したことをやってこい。今までお世話してくれてありがとう。昔から一緒だったが、お主と過ごせてワシは幸せじゃった・・時間がもったいないの。ではな』」  ワシの「やり残した」ことは出来た。欲を言えば、もっと長い命をくれてやりたがったがの・・すまぬ。猫の体でもお主の想いはきっと届く。ワシなら分かる。生きていればなにか起きる。そう信じて良かったと思って欲しい。ワシには一切の悔いはなかった。  最後まで神か仏かは分からんかったが、翔太の命がまた尽きるまで見届けさせてくれた。いいとこもあるんじゃの・・そんな翔太の最期は凄い暖かい光で包まれていた。 「クロ、この体をくれてありがとう」  その想いがワシに届いていた。 「『・・逝ったか。ではワシも逝くかの。翔太よ、本当に色々とありがとうな。ワシのやり残したこともこれで終わったわい。』」 「・・本当に良かったんじゃな」 「何を言っておるんじゃ。本当はお主は分かっておったんじゃろ。これがワシの『宿命』じゃと。じゃから前世の記憶も消さず、翔太とまた会わせ、ワシの前に現れたんじゃろ。」 「さあな・・では逝くぞ」 「・・お主も優しいの」  ワシの体が消えてくのが分かった。一切の悔いはない。翔太と出逢い、たくさんの時を過ごした。ワシが見てきた中で、ここまで純粋で優しい男はいなかった。  きっと時代が違えば、出会い方が違えば、ワシは翔太に恋をしていただろう。出逢ってくれてありがとう。宿命が交わって光栄じゃった。  幸せな最期じゃ。ワシの体が完全に消えて行った。暖かな心が最期まで残り続けていた。 「・・二人とも綺麗な色をして逝ったの『使命』か・・あんな真っ直ぐに物事を言ってきたやつはあやつが初めてじゃ。こっちまで清々しい」  そう言いながら、その者は天に帰って行った。その者もまた暖かな心に包まれていた。  こうして、一人の男の死を巡って起きた全ての出来事が終わった。  関わった全ての者が前を向き歩き出した。  不器用でしか生きられなかったかもしれない、なにも出来ず死んでいったかもしれない。  ただ、翔太が生きてきた意味はこの為にあったのだろう。
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