姉ちゃん

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姉ちゃん

 俺の家の電気が点いて、姉ちゃんが入ってきた。  実家はここから遠い。車で約六時間かかる田舎だ。連絡を受け、急いでこちらに向かったのだろう。コンビニでも寄って買った、お惣菜以外、何も手荷物がなかった。  姉ちゃんは昔から冷静さを欠けている。思い立ったらすぐ行動。そういう人間だ。そして多分病院帰りだったのだろう。顔は既に憔悴しきった顔をしていた。ただ立ちすくんでいた。  窓から見えた自分の姿を見つけ、 「クロ」  と泣きながら近づいてきて窓を開けた。 「翔太、死んじゃったよ。あの馬鹿たれ、うちらより早く死にやがったよ」  ひどい顔して泣いている。 「ニャーン」  ごめんねと言いたがったが、口からはこの言葉しか出てこなかった。 「ご飯食べてないでしょ。用意するよ。部屋の中においで。確か、この辺に翔太置いていたはずなんだよな」  と言いながら、キッチンの方へ歩いて行った。  そういえば、何回か実家にクロを連れて車で帰ったことあったよな。遊びに来た時にもクロに会ったことあったから覚えていたんだな。  犬や猫のように動き回る動物が好きではない、姉ちゃんが姉ちゃんなりにきちんと優しく迎えてくれたよ。良かったな、クロ。  俺には、父親の記憶がない。物心ついた時から、おかんと姉ちゃんの姿しかなかった。裕福な家庭とは決して言えないが、死ぬまで不満は一度も抱かなかった。それは紛れもなく姉ちゃんの存在があったからだと思う。  ちなみに姉ちゃんは十五歳年上。ここまで歳が離れていると親は一緒なのか本当に不安だったが、顔が似すぎてそんな疑いはいつしか一切抱かなくなった。俺が小さい頃に一緒に外を歩いていると、よく親子に思われていた。  母は当初俺を産むのを悩んでいたが、姉ちゃんの強い希望があって産むことを決めたらしい。 「あんたが生きていることを私に感謝しなさい」  と姉ちゃんに何度も言われていた。小さい頃は本当に大好きで、本気で結婚すると思っていた。幼い頃の思い出には全て姉ちゃんが側にいた。  幼稚園の年長頃には自動車の免許を持っていたから、たくさん色々なところへ連れてってもらえた。たくさんおもちゃがあったわけでもない。それでも毎日自分と遊んでくれた。  おかんと父の離婚が決まり、おかんの実家がある遠いところへ引っ越しが決まった時、姉ちゃんは専門学校に通っていたから、残ることになった。離れ離れになることが決まってしまった。正式に父がいなくなった悲しみよりも、姉ちゃんが傍からいなくなることの方が本当に悲しかった記憶がある。  飛行機を使わなければ来れない場所なのに、何度か遊びに来てくれた。姉ちゃんが帰る時に乗った電車を、泣きながら追いかけたこともあった。  そして俺が小学三年生になった時、姉ちゃんが結婚をすることになった。結婚式では、花束を贈呈する時、凄く泣いていたことを覚えている。嬉し泣きするとこだったと思うが、俺はその時も自分の大切な人が違う人へ渡ることが本気で嫌だった。  姉ちゃんは子供を出産し、離婚して結局実家に帰ってきた。当時の俺は失礼だが正直嬉しかった記憶がある。そこから長い間を一緒に暮らした。たくさん喧嘩もした。殴り合いの喧嘩をしたことも何度もある。  小さい頃はいつも勝てずに泣かされていたが、中学生にもなれば自然に俺が勝つようになった。俺が勝つようになってから、お互い喧嘩はしなくなった。  姉ちゃんには嘘は基本通じなかった。どんな変化も見抜かされた。俺の好きな人も多分全員知っている。そして、その子がどんな子でも一度も決して悪く言わなかった。  姉ちゃんが再婚すると家を出た時は、自分がもう高校生だったため、純粋におめでとうの気持ちが強かった。それからいくつになっても、自分にとっては偉大な存在だった。 「あんたの好きなように生きなさい」  そんなことを大人になってから、たくさん言ってくれた。俺は人付き合いが上手ではなく、心も意思も弱かったから逃げれるように言ってくれたんだと思う。もう姉ちゃんは俺の父親と呼んでも過言ではなかった。  小さい頃から、凄くわがままな自分を全て受け入れてくれ。何度も振り回したし、たくさん傷も付けてきた。それでも常に何も変わらず、俺の姉ちゃんで居続けてくれた。心から尊敬しているし、感謝しきれない程お世話になった。  姉ちゃんがクロのご飯を用意していると、もう一人入ってきた。  おかんだ。
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