帰省と手紙

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帰省と手紙

 帰り道は何一つ変わっていなかった。車で約六時間という長い時間だったが、ほとんどおかんと姉ちゃんは会話はしていなかった。姉ちゃんの好きなアイドルの曲が必死にずっと車内を盛り上げていた。真夏のお昼時、外は雲一つない快晴だった。  久しぶりの地元の景色が目に入った。一年ぶりだな。毎年お盆だけは無理言って休んで帰るようにしていたんだよな。そこまで久しぶりに帰ったわけでもないが、こんなに地元が恋しく見えたのは初めてかもしれない。  実家に着いた。綺麗な市営住宅ではない。ただ俺は安心感で胸が溢れていた。 「静かにしてね。どこかに勝手に行ったりしたらダメだよ」  姉ちゃんが言い、家の中まで連れてってくれた。  理解していた。何も鳴かず、ただ黙って座っていた。俺の遺体が到着するまでの少しの時間があるみたいで、その時間で二人は手紙を開けようとしていた。姉ちゃんはレコーダーを流した。 「おかんと姉ちゃんへ」  俺の声だ。本当気持ち悪い声しているな。 「これを聞いているということは、俺はもうこの世にいないでしょう」  言ってみたかっただけだった。猫の自分は内心で若干照れて笑っていた。 「まずは姉ちゃんへ」  後は手紙の中身を読むだけだった。 「こんな最期になってしまい、ごめんなさい。姉ちゃんが俺にとって父親の代わりになってくれたおかげで、幼い頃から何一つ寂しくはありませんでした。ずっと遊んでくれました。ずっと私のことを心配してくれました。ずっと迷惑をかけてきました。私の我儘で、たくさん振り回しました。小さい頃、一緒にディズニーランドへ行ったとき、私が長蛇の列に並ぶのに嫌になって癇癪を起こしたこともありました。旅行ツアーに参加をしどこかへ行ったときも、ツアー客全員で集合写真を撮るってなった時に、従兄弟が持っていたとうもろこしがどうしても欲しくて、わんわん喚いて泣いて、一緒に探しに歩き回りました。結局姉ちゃんと私だけ集合写真には写れませんでした。ですが、どちらも姉ちゃんは最後まで嫌な顔をせず、私の手を握って私の気が済むまでなだめてくれました。私が産まれた時は、まだ姉ちゃんは高校生。親が離婚する時は専門学生で、姉ちゃんの方が何倍も何百倍も辛くて、寂しい思いだったはずです。それでも、そんな身振りを私には一切見せませんでした。それがいかにしんどかったことか。今では凄く理解が出来ます。最期まで私の為にたくさん気を使わせてしまいました。本当にごめんなさい。そして本当にありがとうございました」  ここで姉ちゃんへの手紙は終わり、一旦おかんがレコーダーを止めた。自分の気持ちを落ち着かせる為だったのかもしれない。  姉ちゃんは泣いてはいなかった。ただ手紙を持つ手は、強く握りしめらていた。  しばらくすると姉ちゃんがおかんの手紙を開けレコーダーを再生した。 「続いておかんへ。  まずは辛い中産んでくれたのに、こんな形で終わらせてしまったこと、大変申し訳ありません。働きずらい体なのに、高校まで行かせてくれました。本当にありがとうございました。産まれてから最期まで、心配と負担をかけ続けてきました。おかんの体と心は、ずっとギリギリだったと思います。私の為に、私なんかの為に、本当に申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。先立つことを許してください。私が小学校を卒業する際、『六年間で大切だったことを書きましょう』みたいな名目で習字をすることになった時、周りの人は『野球』とか『友達』とか書いてあるのに、私だけ『お母さん』と書きました。今では大変恥ずかしいエピソードですが、当時の私は何一つ恥はありませんでした。マザコンだと言われても何も苦ではありませんでした。実際マザコンだったと思います。ただ、表にそれが出ていることは私にとっては誇りでさえありました。なのに、反抗期を迎えてから最期まで、傷つけることばかり言ってきました。本当にごめんなさい。高校受験の時は、おかんは私の何倍も喜んでいました。実際私は合格できると思っていなかったけど、おかんは『あんたはやればできる子なのを知ってるの』と何回も言って、喜んで泣いていました。高校に一緒に合格発表を見に行った日のことを今でも鮮明に覚えています。社会人になっても、私はギャンブル依存になり、おかんから何度もお金を借りました。大人になって、恩返しをしなければならないのに、結局最期まで心配と負担をかけ続けたこと、本当にごめんなさい。今までありがとうございました」  おかんは、ただタオルで目を抑えて震えていた。怒り、後悔、悲しみ。どの感情なのか分からないが、ただただ泣いていた。  必死に抑えるのに必死だった。 「最後に二人へ」  ここからは手紙にない中身だ。二人とも静かに聞いていた。 「私はおかんの子で、姉の弟で産まれたこと本当に誇りに思っています。精神科に通う時、地元に帰ってくるように強く言ってくれていたのに、ただの強がりで、こんなことになってしまい申し訳ありません。二人のことだから、自分を責めると思います。あの時に、この時に自分が私に何か出来たのではないか。運命は大きく変えることが出来たのかもしれないと。強く思い塞ぎ込むかもしれません。でも決して自分を責めないでください。私は貴方達二人と一緒に居れたこと、心から幸せでした。来世があるかは分かりません。ですが、もし生まれ変われるのなら、どんな生き物だろうと、母と姉がいる。この二人の家族に産まれたいと思っています。自分で全て決めた人生です。みっともなく、だらしない生き方しかできませんでした。二人の誇りにはなれなかったと思います。でも二人は私の誇りでした。本当にありがとうございました。二人ともお身体大切に、元気でお過ごしください。さようなら」  ここでレコーダーは止まった。リビングにはレコーダーが勝手に止まる音以外、なにも音がしていなかった。  俺は二人にお礼とお詫びをしたかった。ここまでずっと心配をかけて、負担をかけてきた俺を最後まで二人は一回も見放すことはなかった。だからきちんと伝えたかったのだ。  でも死んだ人間から言われたって、きっと何一つ嬉しくはない。死んだ人の勝手な言い逃げだ。生きて目の前で言われなくては何にも嬉しくはない言葉を俺のエゴで投げて捨てた。  クロ。俺の「やり残したこと」は、結局二人のことを何も考えていない、しょうもないことだった。生きて直接「ありがとう」と「ごめんね」と言ってあげてたら、もっと二人は報われただろうか。 「子は親を選べない」そんな言葉を聞いたことがある。確かに選ぶ権利がなく産まれたのかもしれない。もっとお金持ちの家、有名人の家、外国人の家。そもそもの産まれた時代。本当に選ばずに産まれたのかも分からないのに、この言葉が世の中に存在する。  他人の家庭を羨んで、妬み、現実を受け止めれなくてこの言葉が産まれたのだろう。確かに世の中残酷なニュースが流れたりする。子は何も親に抵抗できず、親の愛を受けずに亡くなっていく。そんなニュースが何年かに一度は目にする。  しかし、親もしかりだ。「親は子を選べない」いや、違う。 「親は子を『選ばない』」のだ。  産まれてきてくれることが何よりも嬉しく、決して選んだりはしないだろう。我が子が日々少しずつ成長する姿を、親は心から嬉しくなるのだろう。歩くことが出来なかった我が子が、言葉を発せなかった我が子が、日々親の知らない姿になっていくことが何よりも嬉しいのだろう。それがどんな子でもいいのだ。  それこそが無償の愛なのだ。それはきっとなにも難しいことではない。我が子が自分で食べれないから食べさせて、我が子が自分で答えを出せないから答えに導くのだ。  虐待は親が全て悪いと思う。だが、その線を超えるか超えないかはきっと紙一重なのだと思う。育児など永遠に正解のない問題を解き続けるのだ。途中で諦めてしまうか、最期まで解き続けるか。そもそもで人の精神の強さなど人それぞれなのに、教科書通りにならない子供が産まれてくるのだ。  育児の本など、正解は書いていない。その子にしかない性格だってある。そんな中、親はきっと必死に踏ん張って子供を育てあげていかなければならないのだ。  胸が締め付けられるニュースもたくさん見てきた。ただその背景にはきっと、たくさんの悩みや悔しさがその親の容量を超えてしまったのだろうと思っていた。一度道を外してしまった親などたくさんいるかもしれない。ただ、子を見て、自分を見つめなおして、冷静になり、正しい道に戻れるか否かの違いなのだ。  純粋な感情で、子は親の喜ぶ顔を見たがる。親の喜ぶ姿が自分の喜びだからだ。だが、親は子が喜ぶ顔で喜怒哀楽、どの感情をすれば良いのかを選び反応しなければならない。子は間違ったことをしても、喜んでしまうこともあるからだ。それはきっとごく自然なことなのに、そこで子と親の意識の違いに嫌気がさしたりしてしまうのだろう。無垢な笑顔に対し、怒らなければならないこと、悲しくなってしまうことが親にとっては辛いことなのだと思う。  そもそも、子育てに答えはあるのだろうか。誰が採点をするのか。どの家庭が基準になっているのか。俺には分からなかった。子が勝手に親を採点するのか。もし、そうであれば、俺のおかんと姉は花丸百点だ。ただ、親は子を採点しないのだろう。生きているだけ、笑顔でいてくれるだけで百点なのだろう。  なおさら、子として一番いけない結末をしてしまったとひどく後悔していた。  沈黙を破ったのは姉ちゃんだった。 「来世も一緒はちょっともういいかな」  と笑いながら泣いていた。 「そうだね」  おかんは笑ってそれだけ呟いた。ただ目を隠していた手を一度も離すことはなく。  どんだけの悲しみや悔しさ、憎しみが二人に襲ってきているのかも想像できないのに、二人は笑った。そこまでの俺の身勝手ささえも二人は受け止めていた。 「翔太にありがとう言わないとね」  姉ちゃんが言い 「そうだね」  とまたおかんが言った。  俺はもう心が壊れてしまうところだった。何も出来ていなかった、身勝手な俺に「ありがとう」など。お礼を言わなければならないのは俺の方なのに、なぜ二人が言うのだ。だけど、俺の姉ちゃんもおかんのことだ。  多分俺が最後に不器用ながらも二人に残してくれていたことが素直に嬉しかったのだろうとすぐに分かった。
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