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 次の日もまたいつも通りの希だった。会話も部活もいつも通り。ただバスの中だけは違った。  今度は鞄を置かなかった。いや、正確には置けなかった。俺が乗った時、そこには希の鞄がすでに置いてあったからだ。そして、希の手も鞄の下にあった。俺が座るとき、希は顔を見つめていた。好きな笑顔だった。ただ、希のほっぺたがいつもより紅く見えた。迷わずに、手を鞄の下に入れた。 「ありがと」  希に伝えた。希は何も言わなかった。ただ笑顔で窓の外を見てた。そして会話がいつも通り始まった。  いつしか手を繋ぐことが、ニ人のいつも通りになった。希の鞄がない時は、俺の鞄で。希の鞄が置いてあった時は希の鞄で。二人だけの秘密がずっと鞄の下に隠れていた。  雪が溶け始めて、桜が咲く準備をしているところ。高校二年生の春になった。二人だけの秘密はずっと大切に守り続けていた。  ただ、繋ぎ方だけは恋人繋ぎへと変わっていた。  部活がたまたま休みの土曜日に一通のメールが届いた。希からだ。 「暇なんだけど、家に遊びに来ない?」 「いまからいく」  メールを受信して何秒後の返信だったか分からない。おそらく人生で一番速く返信した瞬間だった。自転車をいつも以上に漕ぎ、希の家に到着した。 「家着いたらチャイム鳴らさずに上がっていいからね」とのメール。実は冬の期間に一度だけ希の部屋に行ったことがあった。物の借り貸しで行っただけなので、入ったには入ったが、滞在時間十秒もなかった。 「着いたから上がるからね」とメールを送信し、希の部屋へ行った。  そこにはおめかしもなにもしていない、昔から知っていた希がいた。小学生ぶりぐらいに見る、気を抜いている希がそこにはいて、嬉しかった記憶がある。  希は俺を見るとすぐに、 「来てくれてありがと。暇すぎてね」  と笑っていた。 「全然。俺なんて毎日暇だよ」  と笑い、毎日のように話しているのにも関わらず、どこからそんなに話題が出てくるのか分からなかったが、日が沈むまで喋っていた。  希の趣味だったピアノも聞いたり、全てが幸せだった。 「今日はありがとう。また誘うね」 「こちらこそありがとう。いつでも誘って」  お互いが笑顔だった。このままでいい。ずっとこのままで居れることが幸せになっていた。  それからは、部活が終わってからもたまに希の家に遊びに行き、学校の愚痴や、部活の愚痴を二人で喋る日々が何度も続いた。希の家庭も母親だけで働きに出ていたため、ほとんど家にいなかった。俺と会った際も、昔から俺のことを知ってくれていたこともあり、すんなりと受け入れてくれた。  外が夏へと変化しようとしているとき、希が体調を崩した日があった。部活も休みだったこともあり、心配で 「大丈夫?なんか欲しいものとかない?」 と希にメールを送信した。  すぐに返事が来て、 「のみものひえぴた」  と書いてあった。希の親も忙しいため、仕事をなかなか休めないことを知っていた。近くの薬局で飲み物と冷えピタを購入し、希の家へ向かった。  希の部屋を開けたら、希はベッドに寝ていて辛そうだった。 「ありがとう」  弱弱しい声で希はお礼をし  「気にすんな。飲み物買ってきたから飲んで、早く寝なさい」  とだけ伝え、俺は自分ができることを全力でしていた。俺が到着したことで少し気が緩んだのか、希は寝た。  日もすっかり暮れ、希が起きた時は、俺はベットの下で座っていた。 「お!起きた?大丈夫?」 「うん。大分良くなった。本当ありがと」  いつも通りだ。  希の手が俺のほっぺに置いてある以外は。  俺は何も言葉が出なくなっていた。希の手を支えて自分のほっぺたにくっつけていた。 「冷たくて気持ちいい」  と希は笑った。好きな笑顔で。  しばらく沈黙が続き、希と見つめあっていた。お互い笑顔で。なぜしたのかは分からない。ただ、俺は動いていた。  初めてキスをした。  三秒ぐらいだった。  唇を離した後、沈黙を壊したのは、希だった。 「ばーか。移っても知らないからね」  好きな笑顔で笑っていた。 「ばーか。バカは風邪ひかないんだよ」  それが俺の振り絞って出した言葉だった。    受け入れてくれたことがなによりも嬉しくて目が潤っていたと思う。その日は日が沈んでも、希の親が帰ってこれるまで希の傍に俺は居た。最期まで笑顔が消えることはなかった。その日のことを俺は一生忘れることはなかった。  外はすっかり夏真っ只中、高校での二回目の夏だ。  俺と希はいつも通り希の家に一緒にいた。ただその日は無言の空間だった。何も会話せずとも、二人とも気持ちが一緒だったと思う。俺は希にキスをし、希は俺にキスをし、  二人は初めて重なった。  二人とも初めての経験だったため、動きこそぎこちなかったが、それでもそこは世界で一番幸せな空間だと思えた。二人はずっとくっついて離れなかった。その瞬間。その場所だけは時間が止まっている感覚だった。 「生きていて一番幸せだ。このまま二人でどっかに飛んでこうよ。俺は希がいれば他はいらないよ」  今思い返せば、高校二年生の分際で何を言っているんだと思えるが、その当時の俺は本気で思って、本気で伝えていた。希は笑っていた。    次の日に学校の売店で顔を合わせた時、希は照れていた。あの時の顔がかわいくて俺の脳裏から消えることはなかった。  だが、二人は付き合うことはなかった。
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