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6
スタジオの廊下で、自販機横の椅子に座る孝弘を見つけた。携帯電話を片手にどこか難しそうな顔をする彼を不思議に思い、野田は進路を変えて歩み寄る。
「小坂さん、お疲れ様です」
「あぁ…。お疲れ様です」
「深刻な顔してますけど、なにかありました?」
「ノワが、誕生日……友達と飲み会って」
その口から重々しく出されたのは予想とは全く無関係な内容で、野田は数回目を瞬かせた。この感情に名前をつけるならば、恐らく呆れなのだろう。
「それはそうですよ。あの子、大学生なんですよね?一回り年上の再従兄弟より友達優先は当然です」
「一回りは離れてないです。九個」
「大して変わらないですよ。彼女だっているでしょうし」
「いや、彼女なんて……」
そこまで言いかけ、孝弘は過去の会話を思い浮かべた。再開して最初に聞いた話だと、フランスでは日本人顔の自分は弟扱いばかりでモテなかったらしい。
しかし、その明確な意味は彼女がいないという意味ではないし、日本に来て早々に出来たかもしれない。
「彼女、いるんですかね?」
「知りません。別にいたっておかしくないという話です。彼、性格も悪くなさそうですし」
呆れを隠そうともしない野田に、孝弘は口を閉ざした。自分と体の関係を持った時点で、彼女なんていないと勝手に思い込んでいた。そもそも男の自分を誘ったぐらいなのだから、相手は彼女ではなく彼氏という可能性もある。
「あんまり青春の邪魔してると嫌われますよ」
やれやれと溜息混じりの物言いに、孝弘の背筋を嫌な汗が伝った。青春の邪魔どころか抱く寸前まで手を出しているなんて知れたら、野田から何を言われるか分かったものではない。
「誕生日プレゼントはどう思います?気持ち悪いですかね」
「えぇ?プレゼントは……まぁ、いいんじゃないですか?知りませんけど」
先日から〝知りません〟の責任放棄を連発する野田に若干の苛立ちを感じつつ、孝弘は大学生向けのプレゼント候補を調べようと検索サイトを開いた。
最近思うのが、孝弘はノワの喜ぶツボがたまに分からない。プレゼントは流行りのブランドで、君だけだと囁き、密かな特別扱い。今まで関係を持った相手なら誰しも喜んだはずなのに、ノワはいつだって困ったように笑う。
「あ、孝弘さん」
聞き覚えのある声に呼ばれ、孝弘の思考が止まった。顔を上げた先にいたのは今の今まで考えていたノワで、小走りで駆け寄って来る姿を見上げる。
「垣原くん、入り方分かりました?」
「はい。関係者のネームプレートも借りられました」
首から下げた札を示し野田と会話するノワに、孝弘は疑問符を浮かべた。二人は以前の対面が初めてだったはずなのに、何故こうも親しそうに話しているのだろう。
「撮影の見学に来ないかと僕が誘いました」
「はぁ?な、なんで?」
状況を把握しきれていない孝弘に気付き、野田が端的に補足した。しかし、それでも成る程と思うことは出来ない。混乱する孝弘を他所に、野田は奥の廊下を歩く一人の女性スタッフを呼び止めた。
「この子が前に撮影見学させたいって言った子で、すみませんがスタジオまで案内していただけませんか?僕もすぐ追うので」
「分かりました。ネームプレートは……持っていますね。こちらへどうぞ」
女性スタッフに促されたノワは、二人に会釈をしてその場を離れた。完全に蚊帳の外な状態が気に食わなくて、孝弘はむっと顔を顰める。
「俺への許可はないんですか?」
「えっ、小坂さんの撮影を見学するわけじゃないのに、小坂さんの許可必要ですか?」
不思議そうに小首を傾げた野田に、孝弘はますます分からない。てっきり自分の撮影現場を見学させたいのだと思っていた。
「先程の、なんで垣原くんを見学に誘ったかという質問の答えですが、単純に僕の興味です」
「まさかノワまで芸能界に入れようって算段ですか?」
「流石にそこまでは考えていませんよ。凄く失礼なことを言いますけど、垣原くんより容姿が整った人間は一般人にだって掃いて捨てるほどいます。彼は身長も平均ぐらいですし、気質が業界に向く向かないも、運も努力も本人に求められるものはいくらだってあります」
そんなことは孝弘も身に染みて分かっていた。色眼鏡をしていたって、ノワが世間的評価で最上でないことは明らか。それでも孝弘からすれば、他の誰と比べようもなく耽溺する存在なのだ。
「でも、垣原くんがこの業界に興味がないことを惜しいなって、少しでも思ってしまったんですよね。だから周りから見た反応が気になっただけです」
それはマネジメント職をする野田の職業病だろうか。勝手なことをしないでくれなんて思うのと同時に、その思考を真正面から突き放すことが出来なかった。
「言いたいことがちょっと分かったのが一番腹立つ…。ノワもなんでこんな大人についてきたんだよ」
「あははっ…!酷いですねー。ご自身のマネージャーですよ?」
背凭れに深く身を預け溜息を溢せば、勝ち誇ったように笑われてしまった。そろそろ撮影が始まるという孝弘とはそこで別れ、野田はノワがいる別のスタジオへ足を向けた。
この業界で仕事をする人間ならば、ノワぐらいの年頃の人間を目敏く吟味する。そんな視線に晒すのは申し訳ないと思いつつ、少しだけ期待するところがあるのも本音だった。
「垣原くんはどうして見学の誘いに乗ってくれたんですか?」
到着した撮影現場で、野田は壁際に立つノワへ小声で問いかけた。
「こっちの業界にはあまり興味がないと聞いていたので」
ノワは隣の野田に顔を向け、少し考える素振りをした。涼やかに冴えたそのブルーグレイの目は、やはり野田の勘に違わず不思議な雰囲気がある。
「俺、交換留学で日本に来ているんですけど」
「らしいですね」
「八歳まではこっちにいたので日本語も喋れますし、留学の願書を出した時はかなり不思議がられました。けど、俺の日本に対する知識や感覚は、八歳で止まっているんですよね」
微笑混じりで話されたそれに、野田は心当たりがあった。よくよく考えると、ノワは今時の若者言葉をあまり使わない。日本で広く知れ渡った略語であれば、野田や孝弘の方が使うぐらい。教科書とまではいかないけれど、その話し方は少しだけ幼いと言うべきか、全体的に型に嵌っている。
「だから、将来的にどっちの国で働くかは分かりませんが、自分の知らない世界を見てみようかと。貴重な機会をありがとうございます」
そう言って微笑む目元はどこか孝弘と似ている気がした。他の容姿はあまり似ていないが、やはり遠いなりに血縁関係がある再従兄弟ということなのか。そんなことを考える最中、野田はノワの後ろにスタジオの中を覗く孝弘を見つけた。相手もこちらに気付いたらしく、こっそりといった様子で入って来る。
「小坂さん、撮影は……」
「休憩中。ノワが変な大人に絡まれてないから見に来ただけです」
その物言いはおもちゃを盗られた子供のようで、野田は心の隅で溜息を吐いた。どうやらこの男は相当に再従兄弟を気に入っているらしい。
「ノワ、この後空いてたら飯行かない?」
「あーすみません、バイトのシフト入れてます」
「えっ」
「い、いや…でも、二十二時までなので、その後でしたら空いてますけど」
明らかに落胆する声にノワが慌てて補足し、今まで見たことのない孝弘の姿に野田は新鮮味を感じていた。ノワが芸能界に興味がないことは今も少しだけ惜しくはあるが、あの気質はあまり向かないように思えた。
そしてなにより、彼の隣に立つ番犬が怖くて誘えたものではない。夜の食事に自分も誘われたのだって野田は意外に思ったぐらいだ。
「マネージャーさんと仲良いんですね」
仕事終わりにノワと合流し、曇りのない目で言われた発言に孝弘と野田が閉口する。確かに仲は悪くないが、未だにお互い苗字呼びの敬語止まり。二人で食事や飲みに行くことはあっても、孝弘が再従兄弟の存在を話していなかったように、あまり過去や身の上話をしてこなかった。
「すみません、余計なこと言いました?」
「いえ!そんなことは…。仲が良いって初めて言われたので」
「三十路のおっさん同士が仲良しって字面もちょっとなー」
「お二人は年齢近いんですか?」
「俺のが若い」
「小坂さん、やめましょう。現役大学生の前ではそんなのは悪足掻きでしかないですよ。垣原くんは成人してましたっけ?」
「今月します」
「じゃあ、お酒はまだ…。居酒屋っぽい店にしちゃいましたけど、違う方がよかったですかね」
「全然、気にしないでください。孝弘さんに何食べたいか聞かれた時、やきとりって言ったの俺なので」
「すげぇピンポイントなの笑ったわ」
「だって美味しいじゃないですか。日本に来てコンビニでいつでも買えるの最高だなって思ってますよ。兄弟にも羨ましがられますし」
「あっ、そっかそっか。兄弟いたな。弟の方はまだ全然小さくて喋った記憶ないけど、顔はなんとなく覚えてる」
「写真見ます?」
「見る見る」
孝弘がそう言うと、ノワは携帯電話を取り出した。そして寄せられた画面を覗き込み、思わず声を上げる。
「うわっ、懐かしー!弟の方がレオだっけ?」
「そうです。こっちがルイ」
「やば、でっかくなったぁ。二人いくつ?」
「レオが十五で、ルイが……二十、四?」
「マジか。時の流れが怖いわ」
一つの携帯電話を挟み喋る二人は、こちらを見る野田の視線に気が付いた。その目は物言いたげで、弾んでいた会話が不意に止む。
「お二人って普段からその距離感なんですか?」
「えっ?」
「ん?」
野田の指摘に双方が似たような声を上げた。孝弘とノワは隣の席に座っているが、第三者に言われるほどの距離感でもない気がする。しかし、ノワは自分たちの公言出来ない関係を思い出してか、慌てて距離を取られた。
「まぁ、欧米とかだとそれぐらい近いものなんですかねー」
「そ、そうなんですよ!俺がたまに距離感を間違えるっていうか…。大学の友達にも言われるんですけど」
笑って便乗したノワの発言に孝弘は体を強張らせた。二人っきりの時、孝弘は際限なくノワを恋人扱いをする。それは自分がしたかったからであるし、その空気に慣らされたノワが自分にも同じ距離感で接することが嬉しかった。
しかし、大学の友人にもこの距離感というのは、場を誤魔化す為の方便か、それとも事実か。そんなことを考え始めてしまえば、孝弘の心の底に薄寒い蟠りが渦巻いた。
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