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孝弘が俳優になった発端は、一種の非行だったのかもしれない。お互い他に相手を作りながらも別れない奔放な両親が理解出来ず、高校生に上がる頃に離婚したのだって、やっとかと思った程。 それでもモデルとしての経歴が輝かしい両親とは度々重ねられ、演技仕事に重きを置くようになった。今でこそモデル業を全く受けていないわけではないけれど、二十代中頃に気付いたことがある。孝弘が苦手なのは、ドラマや映画のような映像作品とは異なる、舞台というステージそのものだ。そこに立つと、二世芸能人としてしか扱われなかったあの頃に戻ってしまう。 (演技が始まってしまえばそうでもないけど…) 仕事の面でも私生活の面でも両親と重ねられ、いつしか孝弘自身まで奔放に走ってしまったのが悪いのか。一度貼られたレッテルが、イメージが、見出しがどこまでも付き纏う。そんな事情に真正面から言及してきたのは、数年前からマネージャーをしている野田ぐらいだろう。 「小坂さん、不倫だけは絶対にやめてくださいね」 学生時代から数回マネージャーが代わり、四人目に担当としてついた野田が、着任して早々にそんなことを言った。 「不倫は…。法的に駄目では?」 「あっ、そこは気にされるんですね。複数の相手と関係は持つのに」 「相手も複数人と関係があるからお互い様ですよ。俺一筋のガチ感のある人には手出してないですし…って、会って早々にこの会話はないでしょう」 野田と初めてしたまともな会話はそんな感じだった。それからはお互い深入りしすぎない関係で、そこそこ親しくやっている。故に野田が、ノワに興味を持ったのはかなり意外だった。 「小坂さんってそんな不器用でしたっけ?」 携帯電話のトークルームを前に考え込む孝弘は、野田からの発言に顔を上げた。ノワが誕生日当日は友人と飲み会に行くと言うので、せめてプレゼントはと買ったレザーのキーケース。 後日直接渡そうか、それとも連絡だけ入れてポストに投函しようか、迷っている最中に投げられた発言だった。悩んだ末プレゼントはポストに入れ、その旨だけ伝えるという結論に至り通話ボタンをタップする。なんだかんだ久しぶりな電話が繋がった途端、向こう側の騒がしさを感じた。 「もしもし?」 「もしもし。ごめん、急に」 「いえ、大丈夫です」 「今日ノワの誕生日だなーと思って、ポストにプレゼント入れとくわ」 如何にも何となく覚えていましたといった口調で伝えると、ノワは驚きと共にお礼を口にした。しかし、それに続いた申し訳なさげな声に、孝弘は小首を傾げる。 「ありがとうございます。けど…何でしたら次に会う時に直接受け取りますよ。忙しい中でわざわざ来てもらうのは悪いですし、出来たらあまりうちのアパートに出入りは……」 以前にも聞いたようなその言い分は孝弘を気遣ってなのだろうが、今回はなんとなくニュアンスが違って聞こえた。まるで自宅に孝弘が来られることが不都合であるような、そんな口振り。 「こっちに来られると……わっ!おい、亮平どけって!里奈ちゃんにも迷惑だろ?!」 通話口からは相変わらず男女の談笑が聞こえ、孝弘に向けたものではないノワの声。致し方ないと思ってはいても、同年代の友人にはそんなにもくだけているのかと。孝弘は無意識に閉口し、親指のささくれに爪を立てた。大学生の飲み会なら異性もいて普通。そもそも咎められるような関係でもないのだ。 「すみません、ちょっとこっちうるさくて」 「いや、悪い。俺もそろそろ撮影始まりそうだから切るわ」 「あっ、はい」 話が終わったような終わっていないような、曖昧な地点で孝弘は通話を切った。嫉妬をする権利がないなんてのも分かりきっているのに、あの青年に首輪をつけておきたい衝動が抑えられない。プレゼントだって本当は、まるで恋人から貰ったと周りが錯覚するようなアクセサリーの類いを渡したかった。それなのに重いなんて単語がチラつき、無難な物を選ぶ臆病な自衛。 (自分は大学の飲み会とか行かなかったしなー…。お持ち帰りとか、したりされたりするもんなんかな) 孝弘の想像の範疇(はんちゅう)では、正直それも絶対ないとは言い切れない。今の通話で話した限りだと、そこまで酔っている風でもなかったので判断を見誤ることはなさそうだが、そもそもその判断を見誤るとは何なのだろう。 「小坂さん、この後の顔合わせが延期とのことで二十時からスケジュール空きますけど、撮影後は直帰されますか?」 「そうですね……。私用で寄り道するので、野田さんも適当に上がってください」 孝弘は腰を上げると、自身を呼ぶスタッフの元へ足を進めた。人に見られるこの仕事は嫌いではない。自分から熱望して入った業界ではないけれど、ふとした時に面白いなと思う。役に嵌った瞬間が身震いするほどに好きだ。 しかし、孝弘がずっと恋焦がれているあのブルーグレイの目は、俳優としての孝弘を見つめてはいなかった。来るなと言われながら撮影後に向かったアパートで、深く帽子を被り部屋の主を待ってみる。暫く待って階段を上がる足音がし、部屋の前に立つ孝弘に顔を出したノワが瞠目した。 「なんで…。ここには来ないでって、電話で言ったじゃないですか!」 焦ったようなその口振りに、孝弘はささくれを触られたような痛みを感じた。 「俺に見られたら困ることでもあんの?彼女がいるとか?」 「はぁ?!そういう話ではなくて…!」 こんなことをしてもウザがられるだけだと、分かってはいる。ノワの前では大人のフリをしていたいのに、ノワの前だからこそなりきれない矛盾。 「孝弘さん、電話の時から様子が変ですよ」 「俺はいつもこうだよ」 「そんなの……いえ、もうやめましょう。こんな所で話すことでもないですし」 ノワが溜息混じりで鍵を取り出し、部屋を解錠する。孝弘は開いたドアを掴むと、ノワの腕を掴み雪崩れ込むように中へと押し込んだ。 「ちょっ….孝弘さん?!」 背後でドアの閉まる音がして、電気の点いていない暗闇にノワの怪訝そうな表情が浮かぶ。 「ま、って…ねぇ!孝弘さ……!」 静止を求める口を塞ごうとすると顔が背き、孝弘は後頭部を捕らえ無理矢理キスをした。下に逃げようとする体も、足の間に片膝を入れれば止まらざるを得ず、舌先はノワに似合わないアルコールの味がした。 「俺がこういうことしてくる相手だって認識ちゃんとある?ここに突っ込んで、恥も外聞もなく喘がせたいなーって思ってるんだけど」 事実ではあるにしても、我ながら酷い言い分だと思った。優しい再従兄弟としか思われていない立場が嫌で出た意地悪でしかなかった。黒のインナーから覗く肩に歯を立て、痕を残す安直な独占欲。 しかし、逸らすことなくこちらを射抜く目に涙が滲み、孝弘は途端に罪悪感に苛まれた。怖がらせるつもりはなかったなんて、そんなのは言い訳でしかない。自分より体格の大きい、社会的に地位のある年上の男に凄まれて、怯えるなと言う方が無理な話である。 「やっ、あの…ご、ごめん!悪い、やりすぎた!!謝る謝る!」 慌てて謝罪を口にし、孝弘は袖口で涙を拭った。そして為す術もなく、苦し紛れに抱き寄せるしかない。今まで人の涙にこれといった感情はなかったのに、幼少期の印象が強すぎるのか、ノワの涙は孝弘に多大なダメージを与えた。 「怒ってるわけじゃなくて、その…だからぁー……そう、野田さんに!あんまり青春の邪魔してるとノワに嫌われるって言われて、鬱陶しがられたらどうしようなーっていう、あの…ね?そんな感じ!」 苦しい言い分を突き通し覗き込んだノワは、涙の止まった目を瞬かせていた。 「鬱陶しいとは、別に思いませんけど…。こんな所にいるのを見られたら、孝弘さんの仕事に差し障るんじゃないかなって」 やはりノワが気にしていたのはそこなのだ。冷静に考えれば孝弘も言いたいことは分かるのだけれど、ノワを相手にすると途端に視野が狭くなる。これも暫く会えていなかった弊害だろうか。 「それにここ、声とか…結構、隣に聞こえますし」 辿々しく事実を告げられ、孝弘はこちらの服を掴むノワの手に気付いた。今さっきまで怯えていたくせに、今度は試すように見上げる目が狡い。もしや先程までのは演技だったのではないかと錯覚し始める程に、孝弘は動揺していた。距離を詰められ、衣服越しに伝わる熱が、髪の香りが、目配せ一つだって孝弘を誘う。 「キスだけ」 強請る声の後に唇を重ねられ、理性の危うさを感じた。 「ん…、っ……は、ぁ」 唇を離した合間に呼気を洩らし、熱を湛えた目に孝弘は必死に思考を回す。これ以上ここにいれば確実に自分が止められない。抱いた先でノワの明日の体力を気遣ってやれる自信もない。つまり引くならここが瀬戸際だ。 「いい子だからここまで。またにしよ」 宥めるように抱き寄せた背を軽く叩き、孝弘はドアノブを握る。そして鞄に入れていた掌サイズの箱を思い出した。 「これ忘れてた。誕生日プレゼント」 「あ、ありがとうございます。高いものじゃないですよね?」 「普通ぐらいだよ。じゃあ、おやすみ」 心配そうなノワの表情に微笑した孝弘は、飼い犬にそうするように癖毛を撫で外に出た。秋口もそこまで近付いた心地いい風が抜け、一人きりの空気に小さく息を吐く。 (危ねぇー……。これ俺が酒入ってたら確実に抱いてたな) 数秒前までそこにあった存在を思い浮かべ、よく我慢したと自分を褒めてやりたい。 もしこれでノワに恋人なんて出来たら、孝弘は自分がどうなってしまうのか怖くもあった。また(かつ)てのように戻ったところで、果たしてこの隙間は埋められるのだろうか。
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