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十年を無駄にした。
その事実が後から迫ってくるようで劣等感を、当たり前に感じる日々を送っている。
今の自分に失われた者たちの人生の記憶がフラッシュバックし、その葛藤がいつも自分が損をしているのに、注意されるような、妄想を繰り返している。
生きるのが嫌になる、生きていたくなくても、死ぬ選択肢を作ると、身にならないので
こころだけでも苦しがる。そして、その状態が不安定なのに落ち着くようになってしまった。
苦しいが、それが私の人権侵害された後なのだ。もちろん生まれ変わった自分はそう思わない。しかし体は覚えている。
正直、些細な事である。
そうか、みんなこんなつまらない事で腹を立てて、もがいているのか!っと言うように、自身が会ってきた人間の想いを妄想する。
劣等感に対応して
それは、頑張っている人には気付けない、嫌味だった。
何も感じなくなった自分にとってそれを理解したのは、大きな成果だった。
自身が失われた人格は、それとは反対で広い世界を見て美しいと思っていた。
その嫌味はその人格にしてみればちっぽけで。
「まっ、つべこべ言わずに、自然を見ろ綺麗だろ!」っと、心意気で汚い空気の夕日の光が歪む様子をおもしろく見ていた。
投げ出したわけではない。
現実逃避でもない。
空の色は正直どうでもいい、この広い世界の中に、自分はいる。そして、それ自体、ちっぽけでなく、果てしなく続いてきた、時間のひとかけらを存分に生きれる。
どんな人でも、どんな状態でもその中のちっぽけな自分を捨て、忘れていたとしても、
その自分を思い出す。
これは奇跡であり、当たり前でありつつ、側にいる、大きなサイクルの中に我々がいるからだ。
空には自分の記憶を置いておく、アイテムボックスなのだ、だから忘れない。
自分が傷つけて、傷つけられて、
嫌になった記憶たちよ。
空の雲の如く、クラウドとして、時々引っ張
りだして、干渉に浸る。
そのクラウドの容量は、有限だから、文字にしても、残せない。
それは自分のものだから。
だからこそ、大切にしようと思う。
自分より、自分宛の手紙のようにトラウマに付き合い寄り添って、歪んだ空に、哀愁を感じる。
それはどんな事でも、時間が無惨にも、やさしくも、解決するのだという哀愁だった。
死にたい人はいてもいい、それを支えてくれる人がいないなら、わたしは空の一部になって、干渉に浸る。
なぜなら、そこには自分が広がっているから。
他人たちをつぶさにみれば、そのクラウドが豊かになる。
十年はその気づきに使った時間だったんだな。
そう悟っただけなのだ。
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