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ある日の夕方、若森は、出先の駅で空橋と再会した。
偶然の再会を二人は大いに喜び、そのまま近くの居酒屋で思い出話に花を咲かせた。
互いに二杯目を頼んだ辺りで、話題は二人の共通の友人の事へ及んだ。
「海野が死んだ、という話は聞いていたが、詳しいことは何も知らないんだ」
「お互い筆無精だからな。若森が転校してからすぐのことだったよ」
若森、海野、空橋。
三人の境遇には特別似通った箇所があるでもなく、とりわけ、妙に考えすぎるところがある海野と、細かなことを考えるのが苦手な空橋は、何故友人になったのか、そのきっかけも分からぬほどに価値観の合わぬ二人であった。
若森はそんな二人の間に入ることが多い。所謂仲介役、という奴であり、側から見れば、気苦労の多そうな位置だ。
気難し屋と、大雑把と、まとめ役。危うい関係にも見えたが、それでも三人は、よく一緒に遊んでおり、たまに喧嘩することはあれど、その仲は良好だった。
だがそれもいつまでもは続かず、若森は家族の都合で町を離れることになってしまった。
海野の訃報が若森の所に届いたのは、転校してから一年ほど経った頃だった。詳しい死因も教えられていない。
「自殺というか、事故というか……俺もよくわからないんだ。なにせいきなりおかしくなっちまったからな」
空橋が言うには、とにかく変な死に様だった、という。
始まりは、二人で学校を出た帰り道のことだった。空橋が、道端に卵が落ちているのを見つけた。
落ち方が良かったのか、卵が小さかったからか、罅が入った様子もなかった。
風に煽られて巣から落ちたのだろう。見れば近くの木の枝の中に、鳥の巣と思しきものもある。
戻してやろう、と考えるのが人の情というものだ。空橋もそう思った。
だが何を考えたか、空橋はひょいと卵を拾い上げると、そのまま鳥の巣目掛けて放り投げたという。
「上手く入ると思ったんだよ」
案の定目測を誤り、卵はコンクリートの上に叩きつけられる形で、無惨に割れてしまった。
砕けた殻の間から、道路の上に黄白色の粘液が流れ出る。当然空橋はしまった、と罪悪感に駆られたわけだが、
次の瞬間、隣にいた海野がヒッ、と、息を呑むような悲鳴を上げた。
唇は震え、明らかに動揺しており、その目は焦点を失いかけたように揺れながら、けれど割れた卵から視線を逸らせずにいる様子だった。
「当人である俺なら兎も角、横で見ていただけのあいつがそこまで狼狽するってのも、なんかおかしな話だろう? だから、どうした、って声を掛けたんだがな」
『見られた』
海野は絞り出すようにそう呟くと、空橋を差し置いて、走っていってしまったという。
何に見られたと言うのだ。空橋が卵の殻を摘み上げると、中身の粘液は全てこぼれ落ち、覗き込んでも当然、海野を睨めつけるような目玉の類は、どこにもなかった。
「ところが巣を見上げたら、そこから雛が一匹顔を覗かせてた。
その時はわからなかったが、ついこの間、図鑑を見てて知ったんだ。
ありゃあカッコウの雛だった。卵を落としたのはそいつだったんだよ。海野はあれに見られた、って怯えてたんだろうな」
それから暫く、海野は学校にも来なくなり、昼間はブツブツと独り言を呟きながら部屋に篭り、夜中にゴソゴソと起き出しては、どこかへフラフラ出かけて行くようになった。
その数日後、海野が亡くなっているのが発見された。
近くの山にある小さな崖の下で、首の骨を折っていた。
足を踏み外して崖から落ちたのだろう。ただ直接の死因は、頭部外傷だった。
卵大の大きさの何かをぶつけられたような傷跡だったが、肝心のぶつかったものは見つからずじまいだという。
「カッコウの呪い、って奴なのかねぇ」
そう締めくくり、空橋は酒を煽った。
だが若森からすると、全く合点のいかない話だ。
呪われて死んだ、と言うのはまだいい。その真偽は考えるだけ不毛だ。
何故海野なのだろう。
カッコウからすれば、せっかく落とした卵を戻そうとしてきた空橋こそが忌むべき対象であり、呪うならこいつの方の筈だ。第一、結局カッコウ側の目的は果たされているのだから、呪う理由は全く無い。
それに、空橋は海野が、カッコウに見られてるのに気づいて悲鳴を上げた、と解釈してるようだが、海野が卵から目を離そうとしなかった、とも言っている。
であれば、やはり海野が見られた、というのは、卵の方なのではないか。命になることなく潰えてしまった卵が呪った、と言うのなら、流れの辻褄は合う。
だがそれにしたって、やはり何故海野なのかがわからない。
卵が割れてしまったのも、カッコウの努力を無に帰そうとしたのも空橋の方だ。
そう話すと、空橋はキョトンとしたあと、呆れたように笑った。
「馬鹿だなぁ、そりゃあ確かにさっき呪いがどうの、なんて話はしたが、本気でそう思ってるわけないだろう。
そりゃあ罪悪感で気が塞ぐ、なんてことはあるだろうが、だからって夜中に山の中を歩き回ったりしたら、足を滑らせて死ぬに決まってる。
おおかたその拍子に石ころに頭をぶつけて、その石が砕け散ったってところだろうよ。
もし呪いなんてものがあって、卵を割ったくらいでガタガタ言われるなら」
空橋はおもむろに箸を取り、肴の煮卵へ突き刺した。
「料理人なんてとっくに呪い殺されてるよ」
成程。
そう言って嗤う空橋を見ながら、なんとなく理解は出来た。
有精卵と無精卵の違いも、カッコウの生態も雛の見た目も知らないようなこの男は、なんの罪悪感に囚われることもない。
海野が見た、と言う視線も、ひょっとしたら、卵から溢れる粘液の泡を、罪悪感がそう見せていたのかもしれない。
もし、呪いというものがあるのなら、そうやって引き起こされるのでは無いだろうか。海野を呪ったのは、他ならぬ海野自身の持つ罪悪感だったのではないか。
この日から暫くして、空橋も死んだ。
膝を胸に付ける形で畳まれた両脚を両腕で抱えた、まるで殻に篭るかのような姿勢で、布団の中で冷たくなっていた。
心臓麻痺、とのことだったが、なぜそんな格好で死んでいたのかはわからない。
けれど、そういうわけだから。
それは呪いではなく、単なる事故なのだろう。
心臓麻痺など、珍しくも無いのだから。
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