首のはなし

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首のはなし

 じいちゃんの部屋には死んだばあちゃんの首が置いてあった。  未就学児だったおれは興味本位でよく覗きに行ったものだ。立てつけの悪い襖をごとごと開けると背中を丸めてコタツにあたっているじいちゃんが「おう、来たか」と振り向く。  ばあちゃんのそれ、首は、コタツの上のテレビや照明のリモコンと一緒に並べられており、いつもじいちゃんの方を向いて微笑んでいた。 「こいつはじいちゃんの宝物だ。棺に納める前に骨をすきゃんしてぷらすちっく製の頭がい骨を造ってもらったんだ。人工の髪の毛と腐らない人工皮膚を貼りつけてもらった。ほら、ずしりと重いだろう。病気で脳がしぼんで軽くなっていた頭ん中にたくさん粘土を入れてもらったんだよ。目玉だってある。ほぅら、目蓋にやさしく触ると白目と黒目がこっちをみているだろう。口紅は毎日じいちゃんが塗ってやるんだ。この前どらっぐすとあの化粧品こうなぁでうろうろしていたら店員さんに話しかけられてな、奥様へのプレゼントですか素敵ですねって褒められちまったよ。おかげでまゆ墨ってやつを買わされた、あの店員さん口がうまいんだ」  満員の鉛筆立てから筆のようなものを一本取り、丁寧に眉を書き足していく。まるで職人のような手つきだ。  ばあちゃんはおれが生まれる前に施設に入ってそのまま死んだと聞いている。だから記憶の中にある姿はぜんぶ首だ。いつもは無口で母さんの出す料理をべちゃべちゃと汚らしく食べるじいちゃんが、首の話になると途端におしゃべりになるのが不思議で仕方なかった。  じいちゃんの足が悪くなって出歩けなくなると、小学生になったおれが口紅を買いに行くようになった。余った金は自分の小遣いにするという条件つきだ。店員さんに「動けないばあちゃんをきれいにしてあげたくて来ました」と伝えるとどういうわけか都合よく解釈してくれる。  そうしてじいちゃんは北向きの薄暗い部屋でばあちゃんの首とともに長い時間を過ごした。冬の寒い日、風呂上がりに心臓発作であっけなく死ぬまでずっと。  自分が死んだらばあちゃんの首も棺に入れてくれ──。呪いのようになんべんもなんべんも聞かされた遺言を、当然父さんも母さんも実行するものだと思っていた。
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