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女が泣いていました。とても天気のいい月曜日に。
そんな女の存在をかき消すように、近くの公園から子供たちの笑い声が聞こえてきます。
流れる涙をそのままに、女は教会に入っていきました。
中にいるのは、教会を美しく保つために掃除する若いシスターと、目じりの下がった柔らかい雰囲気の神父だけ。
神父は女の存在に気づくと、優しく話しかけました。
「どうなさったのですか? 何か悲しいことでも」
「数日前に、娘が死んだのです」
「お悔やみ申しあげます」
「まだ八歳でした!」
そう言って女は神父の前で泣き崩れました。むせび泣く女に、驚いたのはシスターです。
神父は女の目線に合わせる為にしゃがみ、自分の持っていたハンカチを差し出します。それを受け取った女は、止めることの出来ない涙をぬぐい、神父に訴えかけました。
「どうして神様は娘を連れて行ってしまったのですか! どうして!」
「娘さんは使命を果たされたのですよ」
「納得できません! 夫も同じように言うだけで、誰も私の悲しみを分かってくださらない!」
「そのようなことはありません。旦那さんも、同じように悲しんでいるはずです。ただ悲しむ気持ちを、表に出さないだけで」
「いっそ私のことを連れ去ってくだされば良かったのに!」
「きっと貴方には、まだやるべきことが残されているのでしょう。娘さんも天国で、それが果たされるのを待っているはずです」
「なんて非道な神様!」
女は、またわんわんと泣いてしまいます。神父さんは暫く女の傍についていましたが、途中で来客があったので、掃除の終えたシスターと交代したのです。けれど神父が戻ってきた時、そこに女の姿はありませんでした。
「女性は帰ったのですか?」
神父はシスターに問いかけます。
「はい。気持ちが楽になったようで、落ち着いて帰られました」
「それなら良かった」
神父はホッとして、夕方のミサの準備に取り掛かりました。
それから二日経った頃、教会に女が来ているのを見かけ、神父は話しかけました。
「こんにちは。お祈りですか?」
「神父さん、こんにちは」
二日前に比べて、女の様子はとても落ち着いていました。それどころか、口には薄く笑みが浮かべられています。
「なんだか嬉しそうに見えますが、良いことでもありましたか?」
「そうなんです、神父さん。とても良いことがあったのですよ」
深くは尋ねませんでしたが、調子の良さそうな女を見て、神父の気持ちも浮かばれました。それから少し世間話をして、神父は病院へ赴くため、教会を後にしました。
けれど神父が教会に帰ってくると、そこにはまだ女の姿がありました。女の傍にはシスターもおり、二人は何やらコソコソと話をしているようでした。
「おや、まだいらっしゃったのですね」
神父が声を掛けると、女は驚いたように神父を見ました。血の気が引いたような、真っ白い顔になっています。
「おかえりなさいませ、神父様」
一方シスターは、いたって平然としておりました。
女は神父に素早く一礼すると、そそくさと教会から出ていきます。
さきほど話した時とは随分と違う反応に、神父様は少し戸惑いました。
「驚かせてしまいましたね」
「……そのようですね。それよりキミ、いつの間にあの女性と親しくなったのですか?」
「二日前ですよ。神父様に任された時に、話が弾みまして」
そう言われ、それ以上神父は詮索しませんでした。けれど心の片隅で、少しの違和感を抱いていました。そして女が立ち去る前に見せた、血の気の引いた顔が忘れられなかったのです。
次の日、また女が教会に来ました。
けれど入り口で掃除をしている神父を見て、引き返してしまったのです。
「おや?」
さすがに神父も不審に思いました。突然、自分を避けるような行動を取られ、悲しい気持ちもあります。何が原因なのかも分かりません。
けれど何か理由があるのだろうと、神父は女の行動を咎めませんでした。
また次の日、女が教会に来ていました。
シスターと話しているようです。
それを見かけた神父は話の邪魔をしてはいけないと、来た道を戻ろうとしましたが、その間際に聞こえた話の内容に、思わず足を止めてしまったのです。
「シスター……本当に、これは悪いことではないのですか?」
「もちろんです。これは、あの神の子も辿った道です。なにも間違ったことはありません」
「けれど、こんな話は誰からも聞いたことなんて」
「あまりに神聖なことなので、他言無用なだけですよ」
「でも神父様には秘密と……」
「教会はこのことを秘密にしたがるでしょうが、貴方のように悲しむ人を神は見捨てません。安心してください」
不安そうな顔をしていた女も、最後は言葉を吞み込みました。シスターにぺこりと頭を下げると、隠れていた神父に気づかず、教会を出ていきます。
神父は聞いてしまった話の内容を、頭の中で無意識に反芻しました。盗み聞きしてしまったことも、いつもなら罪悪感に苛まれるはずなのに、すっかり忘れています。
シスターに問いただすべきか悩みましたが、正直に答えてくれるとは思えません。
不安な気持ちのまま、神父はその日を終えました。
そして二日後。
神父は前日の夜から大忙しだったため、女のことも、シスターのことも考える暇がありませんでした。
教会の出入りも普段より多く、子供たちは特に楽しんでいました。教会も、そんな子供たちの為にカラフルに飾り付けをしたり、ちょっとした遊びを用意したりで、いつもより賑やかになっていました。
そんな明るい雰囲気だった為か、いつもなら陽の高いうちに来ていた女も、今日はまだ来ていません。
楽しい時間は夜まで続きました。
用意しておいた数多くのロウソクに、色んな人が火を灯し、教会の荘厳さが引き立てられるような美麗な光景が作られました。
そんな美しさに見惚れている人たちの中で、シスターが人気のない場所へひっそりと移動する様子が、神父の目に入ります。
そこで神父は、女とシスターの会話を思い出し、湧き上がる不安に先ほどまで温かかった心が沈みました。
そして普段ならばしないことですが、こっそりシスターの後を追いかけることにしたのです。何もなければ良いと思いながら、神父は幻想的な空間から抜け出しました。
足音も立てず、早々と歩くシスターに着いていくのは、少し大変なことでした。けれど何とかシスターを見失わず、神父はシスターが古い教会へ入るのを目撃しました。
神父もその古い教会へ近づこうとしましたが、遠くから誰かが向かってくるのが見えて、いそいそと隠れました。歩いてきたのは、布の被さった籠を大切そうに抱える、あの女でした。
女が古い教会に入ったのを見て、いよいよ神父も近づきます。そして、ほんの少しだけ扉を開けて、中の様子を確認したのです。
中では女とシスターが話していました。
「例のものは持ってきましたか?」
「ええ、ここに」
「それでは、ロウソクに火を灯しましょう。あまり時間はないので、急いでください」
女は持っていたものを一度シスターに渡すと、先に用意されていたのか、言われた通りにいくつかある燭台のロウソクに、火を灯していきます。そのおかげで神父も、中の様子を知ることが出来ました。
古い教会は、長らく放置されていたせいでボロボロになっており、女が付けた灯りによって不気味さが増していました。けれどそれ以上に神父の目を引いたのが、形だけ残った祭壇に寝かされた少女の姿でした。ロウソクの火に照らされても、その肌はひときわ青白く、世話しなく動き回る女とは正反対にピクリとも動きません。そして彼女の上には百合の花が一輪、供えられておりました。
その光景に神父は嫌な汗を掻き始めます。けれど目は逸らせません。そのうち全てに火は灯されたようで、女がシスターの傍で動きを止めました。
「ほ、本当にこれで、よろしいのですよね?」
「ええ、もちろんです」
「嘘じゃないですよね? これで娘は、蘇りますよね?」
「今日は復活祭です。娘さんは神の子のように、蘇ります」
「ああ! やっと会えるのね我が娘よ! この日をどれだけ待ち望んだことか!」
感極まった様子の女。いつもと変わらぬ、優しい笑みを浮かべるシスター。
神父だけが、この状況を理解できていないのです。
「では最後に、これを娘さんの周りに置いてあげてください」
シスターは預かっていたものを女に返します。女は籠を覆っていた布を取り払いました。中に入っていたのは、てらてらと輝く楕円形の、赤く塗りたくられた卵です。
それは今日、神父が教会に来た人たちへ差し上げた卵と、なんら変わらないものに見えました。けれど教会で配ったカラフルな卵とは違って、そこにある卵は、ただただ赤いのです。赤黒いのです。何が赤く染めているのか、神父はまだ乾ききっていない卵を見て、いつもはしない嫌な想像を掻き立てます。濡れた卵を女は構わず掴み、寝かされた少女の周りに置いていきました。
「おわ、終わりました……」
「ご苦労様です」
「娘は……いつ復活するんです?」
「もう間もなくですよ」
そう言うとシスターは、神父から見た祭壇の後ろに立つと、少女の上に手をかざします。そして神父が聞いたことのない言語で、なにか呪文のようなものを口ずさみ始めるのです。
そんなシスターに縋るように、手を組んで祈り始める女。
あまりに異様な光景に、シスターの行動を止めたかった神父は、まったく身動きができません。
いつの間にか、中の雰囲気も禍々しいものに変わっていました。
するとピキピキと卵が割れ、シスターが唱える奇怪な呪文に合わせ、祭壇が揺れ始めます。
ふと少女を見下ろしていたシスターが、顔を上げました。
目は、まっすぐに神父を見ています。
にこりと、シスターは笑いました。
その時、少女のような姿をしたなにかは目は見ひら
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