side アオイ

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side アオイ

なんであのとき、扉を開けてしまったのだろう。 いつもなら別に気にも止めないし、呼んで返事がなくても放っておくのに。 ーーあぁ、そうか。 あのとき俺は珍しく機嫌が良かったんだ。 大学の推薦も受かったし、高校の間、密かに想いを寄せていたクラスメイトの長岡恵美とも久しぶりに会話が出来た。 だから、そう。そんな俺のなにげない幸せを誰かに話せたらいいなって思って。 友達はまだ受験が終わっていない奴が多かったし、かといって親に好きな女の話はできない。大学に受かったことは喜んでくれたけど。 だから、そう、他に選択肢もなかった。 俺よりひとつ年下の高校2年生で、友達でもなくて、ただの従兄弟で、おじさんとおばさんが海外勤務の3年間という期限つきで、同居することになった男くらいしか。 今の俺のささやかな喜びを聞かせてやれる相手はそいつ以外考えられなかったんだ。 「なぁ、翔真(しょうま)?お前さ、ちょっと暇だったら俺と久しぶりにゲームでもやらね?」 俺はコントローラー片手に、翔真の部屋を数回ノックした。 夕飯も食べ終わって、風呂も入って、母さんと父さんはリビングでくつろいでいる。 翔真は俺の推薦合格を一応「おめでとう」と言ってくれた。まあ、普段から口数の多い奴ではなく、ガリ勉いい子ちゃんの優等生だから俺が受かった大学なんて、あいつからしたら全然たいしたことないんだろうけどさ。 でもまあ俺は合格できたことに安心して、翔真の俺を多少バカにしたような態度にも目をつむれたわけだ。 それだけでなく、普段なら絶対訪れないあいつの部屋まで来てしまったりして。 時間は21時過ぎたくらいだった。もしかしたらもう寝てる可能性もあるから、ノックをして返事がなければ戻るつもりだった。本当に。あいつも、いきなりゲームやろうなんて言われて喜ぶようなタイプじゃないのはわかってた。 「翔真?」 一階の方からはテレビの音と両親の笑い声が聞こえる。 部屋にいない……ということはないだろ。寝てるのか? 俺は、なかなか返事がない部屋の前で数秒考えたあと、引き返すことなく翔真の部屋のドアノブに手をかけた。 「翔真……?入るぞ」 俺は薄暗い部屋に入り扉を閉めた。やっぱり寝てんのか? いや、だがベッドの方から声が聞こえる。 なんか、苦しそうな……え?翔真、もしかして具合が悪いのか? 「翔真!」 俺はあわてて翔真のベッドにかけ寄った。その拍子にコントローラーがゴトッと床に落ちた。 そして、ベッドで踞る翔真の肩をぐっとこちらに引き寄せた瞬間、 「ーー!」 「………っ、(あおい)……?」 長い前髪とメガネからこちらを伺う、翔真の顔が見えた。そこには、耳にイヤホンをつけて……下半身が晒されている翔真の姿があった。 「!?あっ……いや!」 「………」 俺は急いで目をそらした。心臓の音が急激に早くなる。ーーえ?いや、だって……待て。翔真だぞ?あの、そういうことには全然興味ありませんみたいな涼しい顔してるやつが……。 俺はあまりにも衝撃的な場面を目撃してしまい、激しく動揺していた。 しかも、………今、一瞬だけ見えた、翔真の携帯の画面にうつっていたの、って……。 「………葵」 「っ、あ?いや、ごめん!一応、ノックはしたんだけど、返事なかったからし、心配、で……本当、ごめんっ!」 俺、出てくわ!と言って立ち去ろうとする俺を翔真は冷静な声で「待って」と言った。 俺は、ドクドクなる頭を押さえながら、ゆっくりと後ろを振りかえる。 翔真は、カチャ、とメガネをかけ直しながら上半身を起こして、耳につけていたイヤホンを外して、こちらを見た。 「………気づかなくてごめん」 「え!?い、いや、謝るの俺だし……っ、ま、まさか翔真が……そんなことしてるなんて一ミリも思って、なくて………」 ……って、俺はなにを余計なこと言ってんだ! 翔真は「そうかな」と冷静に呟く。 「………お、お前。俺に、見られたのに……なんでそんなに冷静、なんだよ」 「え?」 「……いや、普通、慌てたりするだろ………っ、つーか、マジで、……目のやり場に困るから……」 とりあえず服着てくれねぇかな、と俺がいうと翔真はフッと笑った。 ーーいやいや、全然笑うとこじゃねぇから! 「翔真、」 「葵は、しないの?」 「………は?」 「あぁ、受験でそれどころじゃなかったかな。推薦っても面接練習とか論文とかあったんだよね?」 「…………ま、まあ……」 「ふぅん。じゃあまあ、良かったね。合格したんだし、禁欲生活も終わりだね」 はぁ?!と声が出た。 こ、こいつ、なに堂々とそんなこと言ってんの!?恥ずかしげもなく!つーかどうにかして、その下半身! 「…………翔真、」 「なに?」 「……いや、お、お前……いつも、してたの?その………」 俺が携帯とイヤホンを指差しながら言うと、翔真はそれを見て「ああ」と言う。 「さすがにイヤホンなしじゃ、できないよ」 「……そうか。いや、じゃなくて!」 「なに?……あぁ、もしかして、見た?」 「……え?」 「俺のスマホ」 そう言って、翔真は自分のスマホをこちらに向けた。俺の視線が自然とそちらに向いた。 見るつもりはなかったのに、薄暗い部屋の中、スマホの画面だけが、パッと明るく瞳に飛び込んできた。 そこには、普段のーー俺の姿が映っていた。 「!?おいっ!それ」 「葵だよ」 「……いや、……はぁ?いつ、撮ったんだ、それ!」 「いつだろう。リビングで葵がうたた寝してたときかな。思わず写メった」 「いや、なん、なんで!つーか、エロいもん聴きながら、俺の写メ見てたっていうのかよ、お前!」 俺がそう叫ぶと、翔真は『それがなにか?』というような顔をした。俺は、ゾクッと悪寒がする。 「や、やめろよ、そういうの……っ」 「なんで?人がしてるあいだに許可なく入って見たのは葵だよね。人のプライバシーに無断で入り込んで文句いうの?別に葵に迷惑かけてないでしょ。葵に迫ったわけでもないのに」 なにか問題でも?と、翔真は優等生の顔を向けてくる。 いや……いやいや、なに言ってんのこいつ。話通じないの?? 「……勝手に、覗いたのは悪かった……。でも俺は……お前をそういう風に見れない。だから……」 「だから、こういうことに自分を使うなって?……嫌だね。ていうか、俺、葵になにも言ってないよね、好きとも、葵と付き合いたいとも、なんにも。ただ、葵の写真見てただけだ」 開き直りなのか、なんなのか。 翔真はそう言い切った。そのままなにも言い返せない俺を見ながら、翔真はまた小さく笑った。 「もういいよ、行って」 「……え」 「葵が入ってきたせいで、最後までイけてない。ゴム無駄にしたくないから、もう出てってくれる?」 「……っ!?」 翔真は、わざとその部分が俺に見えるか見えないかくらいに布団をずらして、俺に向かってそう言った。 ーーくそ、なんなんだ、こいつは、一体。 「お……お邪魔しましたっ!!」 そう叫び、部屋を出た。身体がドクドクする。なんだ、あいつ、なんで。 俺は、自分の部屋に入ると急いでドアを閉め、ベッドに潜り込んだ。 「………っ、くそ!」 隣の部屋には、翔真がいる。 俺の写真を見ながら、エロいなにかを聴きながら……あの続きをしてる。 そう考えるとわけがわからないけど、自分の身体まで熱くなってくる。 「……いやいや、ありえねぇって……」 俺には長岡恵美という好きな女がいる。 もうすぐ高校卒業だし、告白しようとも考えている。 「…………っ、沈まれ俺……っ!」 あんな、真面目な優等生のくせに。 あんなにも慣れた感じでしやがって、ふざけんな。 そう思いながら俺の熱はその夜、なかなかおさまってくれなかった。 ーー引き返せば良かったんだ、あのとき。 大人しく、いつもみたいに構わないでおけば良かったんだ。 俺は、俺の都合でその扉を許可なく開けてしまったことを、これ以上ないほど後悔した。
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